第2章 人は弱いからちゃんとした人になれる(1)
いつから「すいません」が口癖になったのだろう。
電車の吊り革につかまりながら、美咲はつぶやいた。
曇りだった空は茜色に染まっているようだ。
夕焼け空は見えない。
気味悪いくらいに重なるビルの色を見てそうわかるのだ。
(夕焼け、東京に夕焼けなんてあったんだ)
田舎で一人暮らす年老いた母を思い出す。
元気にしているだろうか。一年も会っていない。
疲れがたまった首の凝りをほぐそうと上を向くと、
「結婚紹介所」の広告が目に入った。
「理想の相手がきっと見つかります」と、
大きな文字で書かれ、奇麗なモデルがウィデングドレスを着て、
ブーケを持って微笑んでいた。
あわてて車窓に視線を移した。
何かが、心の中で切れそうになっている。
***
クリスマス・イルミネーションのライティングカラーを、
今年はグリーンからブルー系統に変えて欲しいと、
依頼を受け、打合をし、確かに発注した。
オーナーから携帯に電話が入り、別の現場から飛んで行くと、
昨年と同じグリーンの光がお店を彩っていた。
「あんたんとこは、丸投げか」
美咲の顔を見た途端、投げられた言葉。
「すいません、すいません」
と、おびえた子どものように反射的に頭を下げた。
それからオーナーの怒りがおさまるまで一時間かかった。
正確には、上司の中村さんが来るまでだ。
美大の空間デザイン科を卒業し、希望通りの会社に就職した。
大型複合施設の空間設計を手掛ける最大手である。
母は仕事の内容をよく理解しなかったが、
電話口から聞こえる美咲の明るい声に
「そう、そうなの、それはよかったね」
と、同じセリフを何度も繰り返した。
入社後、花形の「流通一部」に配属された。
先輩の教えを受けながら、アパレル系のブランドショップを手掛けた。
ところが三年目の春、
スーパーなど、チェンー展開している店舗を主に担当する
「流通三部」へ異動になった。
空間デザインの仕事に違いはないが、内容は大きく変わり、
正月、豆まき、お中元、お歳暮など季節ごとの催事に合わせて、
店内を装飾する仕事であった。
上司は「一年で戻すから」と、お別れ会の席で熱く語ってくれたが、
所詮は酒の席での話だった。
それから、3年の歳月が流れている。
* * *
電車は、会社のある最寄り駅へと向かっている。
横に立っている中村さんは、何も言わない。
来年の春で定年だと記憶している。
嫌いではないが、尊敬はしていない。
同じ部に所属しながら、日々現場を飛び回る美咲とは縁が薄く、
かつては、賞をいくつもとったデザイナーだったと聞いているが、
本当なのだろうかと、疑っている。
新年会、忘年会、送別会など、年に数度開かれる飲み会の席で
社交辞令に近い会話をしただけだ。
何を話したのかすら覚えていない。
部長代理という微妙な役職で、部の事務的な仕事をしている。
美咲より背が低く、春も夏も秋も冬も、
いつも同じダークブラウンのジャケットを着ていた。


