HOME > 執筆 > 部下へ贈る言葉の花束 【第2章-2】

 第2章 人は弱いからちゃんとした人になれる(2)


 電車が駅に停まる。扉が開き、人が群れになってなだれこんできた。 

 美咲は人の波に押され中村さんに寄りかかる。足を踏んでしまった。 


 「あっ、すいません」 

 「ああ」

 「大丈夫ですか」

 「大丈夫だよ」 


 扉が閉まり、電車は動き出す。

 美咲は何かを話そうと思ったが、話題が見つからない。 

 中村さんも、何も言わない。 

 言葉が喉の奥に沈殿し、自己嫌悪が襲ってくる。

 親指の爪を噛み出す。


 美咲は口ベタだ。

 自分の思っていること、考えていることを、

 どうしてもうまく喋ることができない。 

 書くことでならいくらでもできるのに・・・。

 だから、好きな人へ告白する時は、いつも手紙にまかせていた。

 そして、口べたは自分の最大の短所であり、

 気の弱い自分をかたちづくる原因だと固く信じていた。 


 さっきだって苛立つオーナーを前にして「すいません」しか言えなかった。

 あんなに謝らなくてもいいのに・・・。

 中村さんが来なかったら、どうなっていたのだろう。 

 そう思うと「ありがとうございます」を言っていない自分に気づき、

 美咲は落ち着かなくなった。 


 「あの、さっきはありがとうございました」

 「ああ、別にいいんだよ、謝るのは慣れてるから」

 「そうなんですか」

 「ああ、それでなんとかリストラされずに済んでいるからな。

  部長代理なんて、会社の中で俺だけだろ」

 「・・・・」

 「なに、美咲ちゃん、今、笑うところだよ」

 「えっ、すいません」


 電車はカーブにさしかかり、吊り革で懸命に身体を支えようとするが、

 横から迫る人の体重がかかり、

 どうしても中村さんに寄りかかってしまう。 


 「あっ、ごめんなさい」

 「きっといいデザインするんだろうね」 


と、美咲の言葉を受け流して、中村さんは言った。 


 「えっ、そんなことありません。だって、今は・・・」 


言葉がつまる。


 「だって、優しいじゃない。優しくないとデザインはきな臭くなるからね」 


 美咲は目を細め、唇を噛んだ。

 小さい頃好きだった「優しい」という言葉は今、

 美咲にとって褒め言葉ではなくなっている。 


「わたし、優しくなんてありません。

 さっきだって、もっと何か言い返せばよかったんです。

 弱いだけなんです。そんな自分があまり好きじゃないし・・・」


 (何、言ってるのわたし) 


 美咲は、自分がこぼした言葉に驚き赤面した。

 中村さんは、それから黙ってしまった。 


 電車は規則正しい音をたて進み続けている。

 部長が予定を変更して会社で待っている。

 茜色は薄れ、闇が街に降りようとしている。 

 ビルの側面や屋上にあるいくつものネオンが、

 けたたましく輝き出していた。


 美咲は爪を噛み続ける。 

 何か会話をつがなければと、心は急ぐが 

 適切な言葉は喉の奥に隠れ出てこない。 

 すると、誰かが右肩をたたいた。

 横を向こうとすると、目の前に予定の書かれていない空白だらけの

 手帳が見開かれていた。 

 そこにはたった今、 

 走り書きしたような文字でこんな言葉が書かれていた。


 「人はしばしば、弱いことからちゃんとした人になるし、

  臆病なことから大胆な人になる」※


 中村さんの顔を見た。何も言わず、笑っていた。

  美咲は下を向き、顔をあげられなくなった。 

 涙があふれている。



※『箴言と考察』(著 ラ・ロシュフコオ 岩波書店)

Copyright © 2007 EARTHSHIP CONSULTING. All Rights Reserved