マスコミ掲載

2011年1月号「THE21」にて「デール・カーネギー」の言葉について取材を受けました。

THE21


出版

◆『「上司」という仕事のつとめ方』が韓国語に翻訳され韓国にて出版!

『上司という仕事のつとめ方』(韓国版)

 

◆2代目、3代目の社長たちが夜中にこっそり涙をこぼした物語。『真のリーダーに導く7通の手紙』(青春出版社)

 

◆上司の「あるべき論」ではなく、上司の心にそっとより添った上司の心を支える『「上司」という仕事のつとめ方』(実務教育出版)

『「上司」という仕事のつとめ方』(実務教育出版)

 

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田嶋社長

伊藤総合研究所ホームページ 主にレストランのコンサルティング事業を手がける伊藤総合研究所は、2009年9月11日に設立された。その7年前に伊藤氏は、ニューヨークのワールドトレードセンターの近くで働き「9・11」を体験する。命の瀬戸際に立つ経験をしながら、苦境に負けず、当時手がけていたプロジェクトを成功させた。新たな何かに挑戦することに魅力を感じる伊藤氏は、キャリア・チェンジを恐れず、ステップアップしてきた。2011年には、ニューヨークで有名な「レストラン・ウィーク」の日本版である「ダイナースクラブ フランス・レストラン・ウィーク」をプロデュースし成功させる。世界各地でセレブが集う高級レストランを手がけるアラン・デュカス氏の知遇をえて、日本のレストラン業界に新たな風を吹き込んでいる。


松山 現在の仕事に至るまで、さまざまなキャリアを積み重ねてきたと聞いておりますが、その出発点はどのようなものだったですか?

伊藤 私は、大学を卒業して企業に就職をしませんでした。学部は法学部だったのですが、もともと建築やデザインにとても興味があり、卒業してから1年間は勉強して、国立大学の建築学科を目指していました。ところがこの夢は叶いませんでした。かなりのショックで、今考えると無謀ですけれど、わけもわからず、イタリアに行ったのです。

 

松山 イタリアには何か特別な思い入れがあったのですか?

伊藤 いえ、特にこれといってありませんでした。直感みたいなものです。ただ、強いて言うなら先ほど言ったとおり、デザインに興味がありファッションなど、その先端をいくイタリアを見ておきたかったというのはあると思います。イタリアには半年ほどいましたが、いい加減就職しなければと思い、帰国しました。

 

松山 では、日本に帰ってきてから就職されたのですか?

伊藤 私は大学を1992年に卒業しています。この時就職活動していれば、バブルの余韻がまだあった頃で、体育会の主将でもありましたから、そこそこの企業には就職できたと思います。ところが1年以上の時が流れ、就職事情は一変していました。特にこれがどうしてもしたい、ということもなく、というより、何でもいいから挑戦しようと思いました。そこで、ある大手広告代理店に勤める体育会のOBを訪ねたのです。その方は取締役をされており、「なんとか入れてやることはできるかもしれない。でもそれでいいのか?」と言われました。

 

松山 「それでいいのか?」とは。

伊藤 私はデザインにかかわるようなクリエイティブな仕事がしたい、という気持ちがありました。ですが、大手広告代理店となると、総務もあれば人事もあります。決して誰もがクリエイティブな仕事をできるわけではないのです。それで、「それでもいいのか?」と言われたわけです。

 

松山 なるほど、では、その広告代理店には就職しなかったのですね?

伊藤 はい。しませんでした。それから自分は何がしたいのだろうと考えました。考えたあげく、「自分は、洋服買うのが好きなので、ファッションにかかわる仕事がしたい」と思い至りました。
 そこで、アパレル関係の会社を次から次へとから受けました。でも、全然受かりません。当時の私は、面接の時に、面接官に対して説教をしてしまうような生意気なところもありましたし、よく考えてみれば、アパレルの経験がまったくなかったのですから。そこで、百貨店の婦人靴売場でアルバイトをしました。アルバイトをしながらセールスの実地を踏んで、同時に、就職活動をしました。そして、やっとあるブランドの会社に就職することになるのですが、それが当時、大人気のブランドだった「ヒューゴ・ボス」です。

 

松山 アパレル経験のない伊藤さんが、どうして入社できたのでしょう?

伊藤 当時の私は、とても生意気なところがあったと言いましたが、社長はどうもそこを気に入ってくださったようなのです。また、私はとにかく売り場に立ちたい、店員になりたいということをしつこく言っていました。その時の採用試験では64人の人が受けたそうですが、私ひとりだけが採用されました。店員になりたいと主張する人は、どうも少なかったようで、その点が、おもしろがられたようです。 

 

松山 なるほど、それからしばらく「ヒューゴ・ボス」で働くことに?

伊藤 はいそうです。1995年に入社し、いろいろなことを学びました。「ヒューゴ・ボス」が他のブランドと違っていたのは、店舗のスタッフと店長の権限がとても大きかったことです。洋服の生地に何を使うかまでスタッフ主導で決めるのです。展示会に足を運び、自分で選びます。そのかわり、責任をもって売るという点も厳しかったです。ノルマは特に決められていません。そうではなく「全部売り切ってください」と、とてもシンプルなのです。
 「自分が選んだものを、自分で売る」。きつかった面もありますが、洋服づくりに深く関わっているから、売る時のセールストークにも重みがあります。ですので、自分で売ることにやりがいも深まっていきました。また、ヒューゴボスは、他のブランドに負けないために「接客で勝つ」という明確な方針がありました。

 

松山 「接客で勝つ」ですか?

伊藤 そうです。時に批判もありましたが、“そこまでするか”というサービスといいますか、ホスピタリティを徹底的にするのです。例えば、青山にお店がありましたが、お買い上げいただいたお客さまが店舗を出る時に、フロアの出口まで見送ることは当然ですが、通りに出て、お客さまの背中が見えなくなるまで深く頭を下げました。まあ、最初は恥ずかしかったですね。なんでこんなことするんだって、正直、思ってました。でも、こうしたホスピタリティが、ヒューゴボスの強みであり、私がもっとも学んだことです。

 

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