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フランクル心理学に学ぶストレスに負けない心をつくる7つの知恵

ストレスに負けない心をつくる7つの知恵

 ストレスに負けないためには、ストレス対処の「知識」を身につけ、その時の状況に応じてトライを繰り返し、自分なりの「効き目のある手法」を見つけ出し、手元に準備しておくことが大事です。他人に効き目があるものが、必ず自分にも「効き目がある」というわけではありません。

 他人が「そなんでストレスが減るの?」と首をかしげても、自分に効き目があればいいのです。J-POP、ジャズ、クラシック、ロックなど、「好きな音楽」が人それぞれ違うように、ストレス対処の手法も違うものです。

 現代はさまざまなメディアが急速に拡大することに人の心が追いつけていけない、ストレスの強い社会になっています。そこで、ストレスの多い逆境を乗り越えていくために、「逆境の心理学」といわれる「フランクル心理学」の考え方を参考にして、ストレスに負けない心をつくる7つの考え方をお話ししていきます。

知恵1: セルフ・トランスセンデンス(自己超越)「無我夢中になれ!」
知恵2:リフレーミング「現実を再定義せよ!」
知恵3: ホモ・パティエンス「悩む自分を肯定せよ!」
知恵4:ミッション「使命感をもて!」
知恵5:オプティミズム(楽観主義)「未来を信じよ!」
知恵6:スピリチュアリティ「崇高な精神性で自己を支えよ!」
知恵7:スマイル「自分を笑い者にして、苦悩を笑い飛ばせ!」

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原則1: セルフ・トランスセンデンス(自己超越)

「小さな自分を越えてゆけ!」

 フランクル心理学は、ナチスの強制収容所を生き延びたヴィクトール・E・フランクルに(Viktor Emil Frankl)よって提唱されました。フランクル心理学は「ロゴセラピー」(Logotherapy)とも呼ばれます。

まっつん
まっつん

 20世紀最大の悲劇といわれるナチスの強制収容所にいて、フランクルは自身の心理学を使うことで、心が折れずにすんだのです。困難な状況を乗り越えていく知恵の宝庫であるため「フランクル心理学」は、「逆境の心理学」ともいわれます。

 その「フランクル心理学」で重要キーワードが「セルフ・トランスセンデンス」(Self-transcendence)です。「自己超越」と訳されます。

この「自己超越」について、フランクルはこう書いています。

フランクル
フランクル

「彼が自分の課題に夢中になればなるほど、彼が自分の相手に献身すればするほど、それだけ彼は人間であり、それだけ彼は彼自身になるのです。
 したがって、人間はもともと、自己自身を忘れ、自己自身を無視する程度に応じてのみ、自己自身を実現することができるのです」

『生きがい喪失の悩み』(講談社学術文庫)p26

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  仕事や趣味に没頭している時、人は時間を忘れ、自分を忘れ、極度の集中状態になります。没入状態の時には、自分を意識することがなく、ふと我に返った時に、自分の存在にに気づきます。

 こうした自己自身を忘れている状態を、「自己超越」といいます。

没頭すればストレスに強くなる

 例えば、自分の好きな小説の世界に入っている時、主人公の行動や気持ちの動きを言葉で追いながら、登場人物たちと一緒になって、喜んだり悲しんだりし、笑ったり、涙を流したりします。ただ、文字を読んでいるだけなのにです…。

 そんな風に、自己を忘れれば忘れるほど、自分を本の世界に没入させればさせるほど「没我」の状態となり、より質の高い読書体験をすることになります。

 「没我」は「無我の境地」ともいえますね。

 小説を読み終えて、ふと時計に目をやると「あれ、もうこんな時間か!」と、思った以上に時が流れています。1時間とか、2時間とか…。

まっつん
まっつん

人は「没我」「無我」になると、自分のことや日々の雑事や悩み事を忘れているのです。自分が消えるのですから、ストレスなど感じません。こうした「没我」「無我」の心理状態こそ、ストレスに強い心なのです。

 仕事でもそうですね。

 例えば、残業して夜遅く、明日のプレゼンに向けて誰もいなくなったオフィスで、企画書を作り上げようと無我夢中になってキーボードを叩いているとします。イヤホンをして好きな音楽を聞きながら…やがて極度の集中状態に入って、一気呵成に企画書が完成します。

 「ふ~、やっと終わった!」

 そう我に返ったとたんに、突然、音楽が聞こえてきます。集中している時にも、音楽は実際に鳴っていたわけですが、人は無我夢中になると、聞こえている音が聞こえない意識状態になります。これも、没我状態であり、その時、「自分」という意識は消えているのです。

 「没我状態」のことを「自己忘却」ともいいます。

 スポーツでは「自己忘却」になることを「ゾーンに入る」という言い方をしますね。

 自意識が消える「自己忘却」状態になると、アスリートたちは自身の能力を越えるような極めて高いパフォーマンスを発揮します。スポーツ界では、くり返し確認されていることで、多くのトップ選手たちが、そのことを証言しています。

没頭すればストレスに強くなる

 マズローは人間の5段階の欲求を提唱し、その最上位に「自己実現欲求」を設定しました。

「自己実現」

 「自己実現」とは、自分の持つ潜在的な部分も含めた資質・能力を最大限に活かして、最善の自己に到達していくことです。

 自己実現の結果が、「起業家」であったり「ロックスター」であったり「温かな家庭の母」であったりして、それは人それぞれです。夢を叶えることは「自己実現」の一部ですね。

自己実現するには自己超越が大事!

 フランクルは「自己実現」するためには、「自己実現」を強く意識するのではなく、「自己超越」することが大事だといいます。

 なぜなら、自分のすべきことに本気になって真剣になって、そうして自己を超越した「無我の境地」や「無我夢中」の状態である時が、人間にとっての最高の状態だと、フランクルは考えるからです。

 ストレスは自分が感じるものです。

 でも、自分が消えている心理状態になれば、ストレスも消えます。今、やるべき事に、全力を傾け無我夢中になっている時、人はストレスに負けない心になっているのです。

 さらにいえば、「無我夢中」の心理状態は、ストレスに強いだけでなく、アスリートたちがそうであるように、質の高い仕事を成し遂げる可能性が高くなるのです。

「本気」「無我夢中」がストレスに強い心をつくる!

詩人であり書家である、相田みつを氏に、こんな詩がありました、

なんでもいいからさ 本気でやってごらん
 本気でやれば、たのしいから
 本気でやれば つかれないからつかれても
つかれが さわやかだから

『相田みつを美術館』購入絵葉書より

 楽しよう楽しようと、手を抜くと逆に変に疲れますね。

まっつん
まっつん

 私も若い頃に、何度も経験したことですので、よくわかります。楽しようとすることが、逆に、ストレスになって自分を疲れさせているのです。なぜなら、楽しようと自分を意識することが、自己への「こだわり」を生み、その「こだわり」は、人間の心からエネルギーを奪うからです。だから、変に疲れるのです。

 楽しようとする時、人は自分が「本当」にやるべきことに「気持ち」が入っていないわけで、これは「本気」と逆の心理です。ちっぽけな自分にとらわれて、心のエネルギーを浪費している状態です。

 これでは「自己超越」とはいえません。

 繰り返しになりますが、「自己超越」とは、自己を忘れていて、取り組んでいる事に無我夢中になっている時です。無我夢中になって自分すら意識できない時に、私たちはストレスに負けない「強い心」を持っていることになります。

 ストレスに負けない「強い心」を求めるのではなく、そんな「強い心」を求めていることすら忘れて、目の前にあるすべきことに無我夢中になっている時、すでに「強い心」は、実現されているわけです。

  本気になること、無我夢中になることが、ストレスに強い心をつくるのです。


知恵2:リフレーミング(reframing)

リフレーミングとは何か?

 「リフレーミング」は、フランクル心理学のオリジナルではありません。心理学で一般的に使われる用語です。

 「フレーミング」の名詞形は「フレーム(frame)」で、「枠」や「枠組」を意味します。「フレーム(frame)」という単語は、動詞形でも使われ「~を組み立てる、構成する」という意味があります。

「リフレーミング」の「リ(re)」とは、「リカーバー」(recover)や「リサイクル」(recycle)で使われる接頭語の「リ(re)」で、「again(再び)」の意味があります。

 つまり、「リフレーミング」は「再構成」のことです。

 私たちは、現実を認識する様々な「枠組」(フレーム)をもっています。その「フレーム」とは、人それぞれの「価値観」「信条」「心の癖」などです。これらの「フレーム」を使って人は、現実を切り取り、意味づけし、解釈をしています。

現実の切り取り方を変えればストレスは減る

 雨が降って「嫌だな〜」とイラッとする人もいれば、「天の恵みだな」と考え、「ありがたい」と感謝する人もいます。これは、現実を意味づけする「フレーム」が違うからです。

 「フレーム」は、人それぞれ独自のものですので、同じ家庭や同じ職場で、同じ出来事を体験しても、それぞれで違った感情が生まれてきます。だから、現実に対する「反応」が、人それぞれ異なるわけです。

 そう考えると、この世界に「同じ現実」はなく「人それぞれの現実」がある、ということになります。

 私が運営しているFacebookPage『リーダーへ贈る人生が輝く言葉』で、こんな言葉をアップしたことがあります。

リーダーへ贈る人生が輝く言葉

同じ会社、同じ職場、同じ仕事。
なのに、仕事が面白くないと日々、
不平不満を職場に撒き散らす人がいる一方で、
日々、仕事をおもしろく楽しみながらする人がいる。

楽しい仕事があるのではない。
仕事を楽しくしている人がいるだけだ。

 職場で、いつも不平不満を撒き散らす人は、現実を切り取る「フレーム」が、「不平不満タイプ」になっているのです、反対に、楽しく仕事をする人は、現実を切り取る「フレーム」が、「楽しもうタイプ」になっているのです。

 不平不満を撒き散らす人は、ストレスが多い人です。ストレスが多いということは、体の調子を崩しやすいということです。これは本人にとって、よくない人生です。また、不平不満を聞かされる人たちも、たまったものではありません。強いストレスを受けることになります。

 であれば、「フレーム」を「再構成」(リフレーミング)する必要があるのです。「不平不満タイプ」から「楽しもうタイプ」に「再構成」(リフレーミング)するのです。そうして現実のとらえ方を変えていけば、不平不満が減ると同時にストレスも減ります。

これが「リフレーミング」の意図するところであり、その効用です。

フランクル流のリフレーミング

 フランクルの名著『夜と霧』に、こんな一節があります。

フランクル
フランクル

 すなわちわれわれが人生の意味を問うのではなくて、われわれ自身が問われた者として体験されるのである。

 人生はわれわれに毎日毎時間問いを提出し、われわれはその問いに、詮索や口先ではなくて、正しい行為によって応答しなければならないのである。

『夜と霧』(訳 霜山徳爾 みすず書房)p183

 ストレスの多いとても辛い状況に陥った時に、「こんな人生に、意味があるのか」「人生の意味」「生きる意味」をひとり問いかけ、つぶやくことがあります。

 人が「人生の意味」を求める心の動きを「意味への意志」(will to meaning)と、フランクルは呼びました。

 人生に意味を求めるのは、人の根源的な強い欲求である。

 そう、フランクルは考えたのです。

 しかし、意味があるのかないのかと、ひとりつぶやいてみても、答えが返ってくるわけではありません。答えは返ってこないので、さらに「意味はあるのか」と問いかけてしまいます。これでは出口のない迷路をさまようような状態です。

 迷路から抜け出せなければストレスだらけの人生になってしまいます。そんな「生きる意味」に関する堂々めぐりの思考に歯止めをかけるために、フランクルは、コペルニクス的転回を求めます。

 ここが「リフレーミング」です。

 人生の意味を「問う者」から、人生の問いに「答える者」になれ!

 「人生に意味があるか、ないか」「この仕事にやる意味があるのか、ないか」と問うではなく、日々、「すべき事」があるならば、その「すべき事」に無我夢中に取り組んでいくのです。そうすることが、人生の問いに「答える」ことになり、それはとても意味のあることだと、考えます。

 「すべき事」とは、運命や人生が差し出した「問い」であり、その「問い」に答えていけば、「生きる意味」は、自然と満たされていくのです。これがフランクル心理学です。

まっつん
まっつん

 「意味があるか、ないか」という堂々巡りの問いは、「虚しさ」を増幅させます。ストレスを強く感じさせます。「虚しい」は「意味がない」という感覚につながりますので、生きることが虚しくなってきます。これでは「生きる気力」が奪われるので、かなりまずいわけです。

 ですので、「意味を問う」のではなく、問いに「答える者」になるのです。「人生が差し出す「問い」にひたらすら答えていくことが人生だ」と、「それでいい」とリフレミーングするのです。

 「意味への意志」や「生きる意味」に対する独自の考え方を提唱し、フランクルは全世界の悩める人を救い続けました。彼が遺した数々の著書によって、今も、彼の「救い」は続いています。

 ストレスがかかって辛い時、現実を切り取る「フレーム」(枠組)を変えて、見方を変えてみましょう。リフレーミングしてみましょう。

 リフレーミングすることで、ストレスを力に変えることができます。


知恵3: ホモ・パティエンス「悩む自分を肯定せよ!」

「ホモ・パティエンス」(Homo patiens

 これはフランクルが考え出したオリジナルの言葉です。

 「ホモ・サピエンス」(Homo Sapiens)なら、聞いたことがありますね。「ホモ」(Homo)は人間のことで、サピエンス(Sapiens)は「知恵」です。「ホモ・サピエンス」とは、「知恵のある賢い人」という意味です。

 他の動物に比べて高度に脳が発達し、複雑な思考を展開できる人間は「知恵」をもつことができます。それが人間独自のものであり、「賢さ」こそ人間の本質だと考えます。だから「ホモ・サピエンス」(Homo Sapiens)なのです。

「ホモ・パティエンス」(Homo patiensとは

 フランクルは、他の動物にはない「ある特性」を人間の本質と見極め「ホモ・パティエンス」といいました。

「パティエンス」とは、「苦悩に耐える」ことです。

 苦悩するのが「人間の本質」だと、フランクルは考え人間を「ホモ・パティエンス」だといいました。

 確かに、人間以外の動物は、人間のように「生きる意味」について深く悩んだりしません。「人生に意味があるか、ないか」で苦しんだり、クヨクヨしたり、ブルーになったりしません。

 そう考えると、苦悩することは、人間に特有のことだと考えられます。人間の本質が「苦悩」とは、ちょっと気分が重たくなる話です。でも、そう考えるのは、この言葉の意味を半分しか理解していないからです。

悩むことは最高の行為

フランクルは、こう言っています。

フランクル
フランクル

 忍耐、少なくとも、まことの運命を正しく誠実に苦悩するという意味での忍耐は、それ自体がひとつの行為です。いや、それどころではなく、たんにひとつの行為であるばかりでなく、人間に許されている最高の行為です。

 こうして私たちは、ヘルマン・コーエンの「人間の最高の尊厳は苦悩することである」ということばをも理解できるのであります。

『生きがい喪失の悩み』(中村友太郎 訳 講談社) p134

 私たちは、人生の壁にぶつかり悩んでしまうと、その悩むという行為そのものが、価値の低いことに思えてきます。

 悩むこと=悪・罪

 そんな短絡的かつ否定的な「フレーム」をもっていると、悩むたびに自分を傷つけてしまいます。「悩むこと=悪・罪」では「悩んでいる自分はダメな自分」と、ストレスをより強めてしまうのです。

 悩むこと=人間に許されている最高の行為

 このフレーム(枠組)を持てば、ヘルマン・コーエンの言葉「人間の最高の尊厳は苦悩することである」もそうであるように、自分自信を追い込むことが少なくなっていきます

稲盛和夫流の「人生の方程式」

 京セラ創業者で世界から尊敬されている偉大な経営者「稲盛和夫」氏は、自分が成功できた人生を振り返り「人生の方程式」を提唱しています。

【人生の方程式】

人生・仕事の結果=考え方 × 情熱 × 能力

「稲盛和夫OFFICAL SITE」より

 人生とは、どう考えるのか、その考え方ひとつで大きく変わっていく。情熱も能力も大事だが、まず「考え方」が大事だと稲盛氏はいいます。だから「悩む=悪・罪」ではなく「悩むこと=最高の行為」と考えてみるのです。

「逆境とは神の恩寵である」

 そんな言葉があります。「闇」があって「光」のありがさを知るように、私たち人間は、ネガティブな状況にあっても、その辛い状況にも「意味」や「価値」を感じ取れる「ホモ・パティエンス」なのです。

まっつん
まっつん

 ナチスの強制収容所に囚われたフランクルは、死と隣り合わせの絶望的な状況にあって、「生きる意味」を見失いませんでした。殴る蹴るの暴行が日常で、そんな苦悩を「人間に許されている最高の行為」と考えることで、逆境を乗り越えていったのです。

 苦悩することにも「意味」がある。「最高の行為」である。

 このことを信じられば、悩んでいても「今・ここ」から希望は生まれます。希望が生まれれば、今の悩み、その苦しさに耐える力がわていきます。

 悩むことは最高の行為と信じることで、ストレスに負けない心をつくることができます。


知恵4: ミッション「使命感をもて!」

『それでも人生にイエスと言う』(フランクル 春秋社)
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 フランクルの名著『それでも人生にイエスと言う』(フランクル 春秋社)に、印象的なエピソードがあります。

 ある青年がフランクルのもとを訪れます。青年は「生きる意味がない」といい、そのことで話し合いになりました。フランクルはきっと持論を展開したのでしょう。「どんな時にも生きる意味がある」と。

 しかし青年は、フランクルが社会的に大きな仕事をしていることを指摘し、
こう質問をぶつけてきます。

青年
青年

「あたは現に、相談所を創設されたし、人々を手助けしたり、立ち直らせたりしている。でも、私はといえば…。私をどういう人間だとお思いですか。私の職業をなんだとお思いですか。一介の洋服屋の店員ですよ。私はどうしたらいいんですか。私は、どうすれば人生を意味あるものにできるんですか」

『それでも人生にイエスと言う』(V・E・フランクル 春秋社)P31-32

 青年は自分の仕事を見下す発言をしています。「一介の洋服屋の店員ですよ」と。一介とは、「つまらない一人」「取りに足らない一人」という意味です。

 青年は自分の仕事に対する、セルフ・イメージがとても否定的ですね。自分を認めることができず、仕事に誇りを持てなくなっています。

他人と比較するからストレスになる

 青年が否定的になっているのは、なぜでしょう?

 答えはとてもシンプルで、「フランクルと自分を比べているから」です。誰かとの「比較」は不平不満の大きな要因になります。「比べる」から、自分の仕事に誇りが持てなくなるのです。ストレスが大きくなるのです。

まっつん
まっつん

 「あの一流の大手会社に比べて、うちはな~」と愚痴をもらすのは、その典型例です…。でも、その一流の会社の人たちだって、「海外の最先端企業に比べたら、うちはな~」と、ぼやいているものです。

 「大きな会社」「大きな仕事」はステータスであり、その人の「働く意味」を満たします。「働きがい」となります。

 でも、比べている限り、いつまでも満足することはできません。なぜなら、比べる相手は、無数に存在するからです。

 青年の問いに対して、フランクルはこう書いています。

フランクル
フランクル

「なにをして暮らしているか、どんな職業についているかは結局どうでもよいことで、むしろ重要なことは、自分の持ち場、自分の活動範囲においてどれほど最善を尽くしているかだけだということです。

活動範囲の大きさは大切ではありません。大切なのは、その活動範囲において最善を尽くしているか、生活がどれだけ『まっとうされて』いるかだけなのです」

『それでも人生にイエスと言う』(V・E・フランクル 春秋社)P32

 想像してみてください。

 Aさんは、大きな有名会社で働きながら、愚痴まみれになって仕事で手抜きばかりしています。
 Bさんは、小さな無名の会社で働きながら、持てる力を100%出し切ろうと最善を尽くしています。

 AさんとBさん、どっちが充実した人生でしょうか?

自分の仕事を「使命」と考える

 1度しかない人生で、与えられた仕事を「ミッション」(使命)だと認識して、最善を尽くす人の人生は、そうでない人の人生より幸せなのは明らかです。

 だから、自らの仕事を「ミッション」(使命)ととらえることで、ストレスに負けない心をつくることができるのです。

 フランクルは、続けてこう書きます。

フランクル
フランクル

「各人の具体的な活動範囲では、ひとりひとりの人間がかけがえのなく代理不可能なのです。だれもがそうです。
 各人の人生が与えた仕事は、その人だけが果たすべきものであり、その人だけに求められているのです。
 そして、より大きな活動範囲にほんとうにふさわしい働きができなかった人の人生は、もっと狭い範囲でもそれをほんとうに満たした人の人生にくらべると、まっとうされずに終わるのです」

『それでも人生にイエスと言う』(V・E・フランクル 春秋社)P32

 フランクルが書いた「各人の人生が与えた仕事は、その人だけが果たすべきものであり、その人だけに求められているのです。」という一文は、自分の仕事を「使命」と認識することを意味します。

 「使命」は「命を使う」と書きますね。

 100歳を超えて現役医師だった日野原先生は、講演で「命の定義」を「命とは時間である」と話していました。人生は有限です。「命」には「持ち時間」があります。だから、「命は時間」と考えることができます。

「使命感」があれば、ストレスに負けない

 今、こうしている間にも、時は流れ自分の「持ち時間」=「命」が削られていっています。どれだけ持ち時間があるのかは、わかりません。ただ、「持ち時間」に、必ず終わりがくることは誰もがわかっています。

 「命」=「時間

 命を使って取り組むことを「使命」と考えれば、「より多くの時間を使っている事」「使命」とみなすこともできます。1日のうちで、多くの時間を注ぎ取り組んでいる事こそ、「使命」とみなすのです。

 それは、多くの人にとって、今している「仕事」です。

 仕事とは「事に仕える」と書きます。「命を使う【事】に【仕】えている」のですから、「仕事」が「使命」です。

 今の仕事が好きであろうが、嫌いであろうが、命を使っているのだから、自分に与えられた「使命」だと考えます。もし「使命」だと覚悟が定まれば、簡単にはストレスに負けない心になります。

 「使命感」によって、ストレスに打ち勝つことは、フランクルが地獄の収容所で経験したことです。

フランクル
フランクル

「ナチスの強制収容所で証明されたことですが(さらに後に日本と朝鮮でもアメリカの精神科医たちによって確認されたことですが)、満たすべき使命が自分を待っていることを知っている人ほど、その状況に容易に耐えることができたのです」

『意味による癒し』(ヴィクトール・フランクル 春秋社)

 ストレスに負けないメンタルの強い人は「使命感」をもって仕事に取り組んでいます。「使命感」がストレスに打ち克つ強い心を育てます。


原則5: オプティミズム(楽観主義)

 ストレスに強い人は、悲観的ではなく、未来に対して楽観的な態度をとる傾向があります。「明日は明日の風が吹くよ」「なんとかなるさ」と前向きな言葉を使い、自分や周りの人を勇気づけます。

フランクル
フランクル

「収容所生活が囚人にもたらした精神病理学的現象を心理療法や精神衛生の見地から治療しようとするすべての試みにおいて、収容所の中の人間に、ふたたび未来や未来の目的に目を向けさせることが内的に一層効果をもつことが指摘されているのである。」

『夜と霧』(V・E・フランクル みすず書房)P177

 言葉がやや難解ですが、フランクルがこの一文で言いたいことはシンプルです。

未来に希望を持とう!

 未来に対して楽観的な態度でのぞみ、希望を持ち続けることでストレスに強くなれます。そのため、フランクルはナチスの強制収容所にいた時に、「未来の自分」を思い描くという「心理的トリック」を使っていました。

メンタルを強くする「心理的トリック」

 フランクルとは、監視官からの暴力や激しい飢えに苦しめられ耐えられなくなった時に、その「心理的トリック」を駆使していたというのです。

 そのトリックは、「未来の自分を空想する」です。

 フランクルは、強制収容所から解放されて、今自分が体験していている苦悩をまとめた「強制収容所の心理学」について講演をしているシーンを思い浮かべたそうです。

「突然私自身は明るく照らされた美して暖い大きな講演会場に立っていた。私の前にはゆったりとしたクッションの椅子に興味深く耳を傾けている聴衆がいた」

 肉体的、精神的にボロボロの状態で、「現在」から「未来」へと自己を超越させます。すると、現在の苦悩を過去の出来事であるかのように感じることができます。心の視点を未来へ移すことで、逆境に負けないポジティブな心理的効果を生み出すことができたのです。

フランクル
フランクル

「一つの未来を、彼自身の未来を信ずることのできなかった人間は収容所で滅亡して行った。未来を失うと共に彼はそのよりどころを失い、内的に崩壊し身体的にも心理的にも転落したのであった。」

『夜と霧』(V・E・フランクル みすず書房)P179

 この言葉に象徴される「未来を信じる」ことに関して、『夜と霧』におさめられている代表的なエピーソドがあります。

希望を失った作曲家F

 ある外国の作曲家Fの話です。その作曲家は、奇妙な夢をみたとフランクルに打ち明けます。「知りたいことがあれば、何でも教えてくれる」。そう「ある声」が夢の中でいったのです。

 作曲家Fは、「戦争がいつ終わるか」、つまり「収容所からいつ解放されるのか」を聞きました。すると「ある声」は「5月30日」だといいます。

 さて、その「5月30日」が近づいてきました。しかし、収容所にもたらされる情報では「5月30日」に、戦争は終わりそうもありません。

 作曲家Fは、5月29日に突然高熱を出し、予言の「5月30日」にひどい譫妄(意識障害)状態となって意識を失い、5月31日に亡くなってしまうのです。

まっつん
まっつん

 作曲家Fは自分のもつ「希望」を「期限付き」にしてしまいました。5月30日が期限なので、その日付が過ぎれば、未来は奪われ「絶望」が残されることになります。それは「楽観主義」(オプティミズム)とは反対の「悲観主義」(ペシミズム)のとる態度です。

 悲観主義では絶望しやすく、ストレスに負けてしまいます。

 だから、どんな時にも未来に希望をもち、楽観的であることが大切です。楽観主義であれば、ナチスの強制収容所という「逆境」を乗り越えていくタフなメンタルになれます。

 つまり、「未来への希望」もち楽観主義であることが、ストレスに負けない心をつくるのです。


原則6: スピリチュアリティ(崇高な精神)

 「スピリチュアリティ」(spirituality)を辞書で引くと、次の訳を目にします。

「霊性」「高い精神性」「崇高なこと」

 欧米ではキリスト教が根付いているため、宗教心や信仰心は、私たち日本人よりも身近な感覚です。日本社会では、宗教に対するアレルギーがあるため、表面的には、「スピリチュアリティ」について語りにくい雰囲気があります。

まっつん
まっつん

 とはいっても、日本人が「スピリチュアリティ」と無縁かといったら、そうではありません。お寺や神社が、日本全国、至るところにあり、特定の宗教を信仰することなくても、パワースポット・ブームもあって、多くの人が寺社仏閣を訪れます。

 では、フランクルは「スピリチュアリティ」について、どんなことをいっているのでしょう。名著『夜と霧』に、こう書いています。。

フランクル
フランクル

「元来精神的に高い生活をしていた感じ易い人間は、ある場合には、その比較的繊細な感情素質にも拘わらず、収容所生活のかくも困難な、外的状況を苦痛ではあるにせよ彼等の精神生活にとってそれほど破壊的には体験しなかった。
 なぜならば彼等にとっては、恐ろしい周囲の世界から精神の自由と内的な豊かさへと逃れる道が開かれていたからである。
 かくして、そしてかくしてのみ繊細な性質の人間がしばしば頑丈な身体の人々よりも、収容所生活をよりよく耐え得たというパラドックスが理解され得るのである」

『夜と霧』(V・E・フランクル みすず書房)P179

 不思議なものですね。

 肉体的に屈強な人間よりも、繊細な気質をもった人が、地獄の強制収容所を耐え抜いたのです。人間は、肉体だけでなく「心の質」もあわさって、人としての「強さ」が決まるのです。

強制収容所での2つの関心事

 強制収容所に囚われた人々の関心ごとは、大きく2つあったと、フランクルはいいます。

 ひとつ目は「政治的関心」です。ふたつ目が「宗教的関心」です。

 「政治的関心」は、いつ戦争が終わるかであり、いつ自分たちが解放されるかです。自分たちの命に関わる重大事です。

 「政治的関心」と同じくらいに、囚人たちの心をひいたのが「祈り」でした。

 重労働を課せられてボロボロになりながらも、バラックへ帰る途中やバラックの一隅で、多くの人が手をあわせ祈りを捧げていました。

 人間の尊厳を踏みじるような過酷な強制収容所において、精神的に高い生活をしていた繊細な人の方が、頑丈の体の持ち主たちよりも、よく耐え得た。

 だとすれば、何らかの「心の支え」をもつことが、辛く苦しい状況に陥った時に、いかに重要なのかが理解できます。

フランクル
フランクル

「ここで問わなければなりません。典型的な囚人になってしまったのはいつでしょうか。その人が自分の心を没落するままにまかせたのはいつでしょうか。

その答えは、心の支えをなくしたときだ、心の支えがなくなったらすぐだ、という答えになるはずです。」

『それでも人生にイエス』(V・E・フランクル 春秋社)P129

 その「心の支え」として、フランクルの見い出した答えのひとつが「スピリチュアリティ」です。

 強制収容所で、心の支えがなくなると、人はみるみる堕落していきました。つまり、ストレスを力に変えるには「心の支え」を見つけ出せばいいのです。

 「あなたにとっての「心の支え」は何でしょうか?」

 その答えは、人それぞれであり、それでよいのでしょう。神や仏や天使など「超越的な存在」に支えを求める人がいます。太陽や月や山や海や「自然」が「心の支え」になることもあります。

 「家族」「恋人」「友人」「恩師」など「人間」が「心の支え」になっている人もいます。「親の形見」であったり、苦労して手に入れた我が家だったり、車だったり、「モノ」に「心の支え」を感じる人もいます。

 何が正解というものは無いのでしょう。

まっつん
まっつん

 何が「心の支え」として正解なのかを考えるより、「心の支え」を「崇高な力」として認めていくことが大切です。なぜなら、そう考えることが、崇高な精神性(スピリチュアリティ)を発揮することになり、私たちの心を強くしてくれるからです。

「超越的な存在」「自然」「人間」「モノ」など…。

 心の支えとなる、それらを崇高なものと尊ぶことが、私たちに高い精神性(スピリチュアリティ)を育み、逆境にあって折れない心をつくりだします。


原則7:スマイル(笑顔)

 「笑う門に福来る」

 この言葉がある通り、日本には、笑顔を「縁起のいいもの」ととらえる精神文化があります。笑顔の時、人は幸せの中にいます。人生に笑顔の時間が多いほど「幸福度」が高くなります。笑顔は幸福の妙薬です。

 ところで、こんな言葉を聞いたことがあると思います。

「悲しいから泣くのではない、泣くから悲しくなるのだ」

 心理学史上の名言です。この言葉の主は「ウィリアム・ジェームズ」と「カール・ランゲ」です。この身体反応のプロセスに関する説を、二人の名前をとって「ジェームズ=ランゲ説」といいます。

 普通に考えれば、悲しいことがあるから、泣くわけです。楽しいこと嬉しいことがあるから笑うのです。でも、その逆も真なりと唱えたのが「ジェームズ=ランゲ説」です。

 「笑い」のケースでは例えばこんなこと…。

 ストレスを感じる嫌なことがあって落ち込んでいる時に、「鏡の前で口角をあげるとよい」と、本に書いていたことを思い出し、実際にやってみると、鏡に映っている自分を眺め「何やってんだか…」とバカらしくなってきて、ケラケラ笑っていたら、いつの間にか気分が明るくなっていた。

 笑うことで気分が明るくなるのは、「笑いの効用」の代表選手です。

フランクルは、名著『夜と霧』で、こう書いています。

フランクル
フランクル

「強制収容所の中に自然を愛する生活あるいは芸術を愛する生活があるというがごときことは、それだけですでに驚嘆すべきことのように思われるであろうが、しかしもし収容所にはユーモアもあったと言ったならばもっと驚くであろう。もちろんそれはユーモアの芽のごときものに過ぎず、また数秒あるいは数分間だけのものであった。

 ユーモアもまた自己維持のための闘いにおける心の武器である。

周知のようにユーモアは通常の人間の生活におけるのと同じに、たとえ既述の如く数秒でも距離をとり、環境の上に自らを置くのに役立つのである。」

『夜と霧』(V・E・フランクル みすず書房)P119

 フランクルは心理学者として「笑いの効用」を心得ていました。そこで、収容所で一緒に働く人に提案します。

「1日にひとつユーモアのある話をみつけることを互いの義務にしよう」と。

 そして、収容所の監視官にされたことなどを題材にして、あの地獄の惨劇の中で、互いに笑いあったというのです。

 フランクルは「笑いの効用」を心理学的に説明する言葉として、次のキーワードをあげています。

「自己距離化」

 悩み苦しむ時、人は、その悩み苦しみと一体になっています。悩みに囚われ、苦しみと一体化してしまっているのです。

 悩みと一体になっていると、自分を客観的にみることができません。すると、苦しいという感情は維持されたままになります。これは「笑えない」状態です。

 だから、自分を客観的に見るために、自分から自分を引き離して距離をとる必要があります。

自己距離化

 自己距離化とは、自分を客観視するため、自分と距離を取ること。

 この自己距離化を実現するために、「ジェームズ=ランゲ説」が役に立つのです。

 「笑えない状態」は、笑うことで、変えてることができます。「笑える」状態になるには、笑ってしまえばいいのです。「笑い」に自己距離化の効果があることは、フランクルも指摘しています。

「楽しいから笑うではなく、笑うから楽しくなる」

 自分を外から眺めるような感覚で、自分の置かれた状況を、自分を笑い飛ばすのです。これが、「環境の上に自らを置く」という心理状態です。

 そうして、フランクルは地獄の収容所の中で、「笑いという心の武器」を使いながら、ストレスに負けることなく心を強く保って生き延びのです。

 心理学者というと、「無口で暗い性格の人」といったイメージがあるかもしれません。ですが、フランクルはとてもエネルギッシュな人でした。生涯、ユーモアを忘れなかった人でした。体が弱り、亡くなる前でも、家族を笑わせようとする明るい性格の人だったのです。

ユーモアもまた自己維持のための闘いにおける心の武器である。

 笑うことでストレスに負けないメンタルの強さを育むことができます。

 フランクルが、とんでもない逆境で「笑い」を忘れなかったように、私たちも「ユーモア」「笑顔」を忘れずに、心を強くして、逆境を乗り越えていきましょう。

(文:松山 淳)


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