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『SLAM DUNK』(スラムダンク)安西先生の名言に学ぶアドラー流リーダーシップ

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アドラー心理学とは

 『嫌われる勇気』(岸見一郎 古賀 史健 ダイヤモンド社)が大ベストセラーになったことで、「自己啓発の源流」と呼ばれるアドラー心理学(個人心理学:Individual Psychology)が多くの人に知られるようになりました。

 アルフレッド・アドラー(1870〜1937)は、1900年代初頭の近代精神分析学が確立される時期に活躍した人物です。

 精神分析学の開祖といえばフロイトです。アドラーはユングとならぶフロイトの「2大弟子」と呼ばれます。ただ、アドラー自身はフロイトの弟子を呼ばれることを好ましく思っておらず、フロイトとは対等の関係であり「共同研究者」であると自認していました。

 「フロイト」「アドラー」「ユング」の3人が「世界三大心理学」です。

なぜアドラーは「個人心理学」と名付けたのか?

 アドラーは、フロイト「意識と無意識の関係性」に対する考え方に賛同できなくなり、フロイトの元から離れていきます。そして、アドラー独自の心理学「個人心理学」(Individual Psychology)を確立していくのです。

アルフレッド・アドラー
(Alfred Adler)

 アドラーが自分の心理学を「個人心理学」と名付けたのは、フロイトの考え方に異を唱えたポイントになっています。

 「個人」は「individual」です。「in」は否定の接頭辞。「dividual」「分割できる、分割された」。よって、「individual」とは「分割できない、分割されていないもの」を意味します。

 「個人」とは分割することのできない「人間の最小単位」であり「全体」(総体)です。

 アドラーは、『生きる勇気』(興陽館)の中で、こう書いています。

『生きる勇気』(興陽館)
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「もしわたしたち個人心理学の研究者が、人間が一つのまとまりであることを確信できなかったとしたら、この心理学も、人間を理解すること、あるいは理解しようと努力することも、全て意味のないものになったでしょう。」

『生きる勇気』(アルフレッド・アドラー 興陽館)p42

 フロイトは心の要素を「意識」と「無意識」分割し、その2つは相反する働きがあると考えました。いわば「二元論」の考え方です。

 アドラーは「二元論」ではなく、「意識」と「無意識」は協調して一貫性のある働きがある「ひとつのまとまり」(総体)としてとらようとしました。そして、「人生全体」を視野に入れた心理的考察を重視したのです。

 アドラーは「意識」と「無意識」の存在を否定しているわけではありません。フロイト流に、心を「意識」と「無意識」に分割し、「無意識」に「心の病の原因がある」と決定してしまうと、人間を決めつけてしまう「決定論」になりがちな点が、アドラーは気に入らなかったのです。

 アドラーは、「原因論」に対して「目的論」の立場をとります。それでは、2つを比較してみましょう。

原因論:「そうなる」のには「原因」がある。

 「原因論」は、原因と結果を結びつけて考える因果論です。ある結果になるのは何らかの原因があるからです。

 例えば、人生に「生きる意味」を見いだせず、虚しさ(症状)を覚えて、悩んでいる青年Aがいたとしてます。虚しさが結果であり症状です。結果(症状)があれば何か原因があるはずです。

まっつん
まっつん

 その原因を見つけ出すために、フロイトは無意識に迫ります。無意識を探索するために過去へさかのぼっていきます。成育歴を聞いたり、催眠をかけたり、夢分析をしたりします。

 さて、青年Aに成育歴を聞き、「過干渉の親に育てられていた」「学校でいじめにあっていた」という事実が判明したとします。すると、「原因論」は、これらの過去の出来事が「原因」ではないかと考え、「この過去の経験があるから、今、虚しさを感じている」と、現在の症状(結果)と結びつけて考えます。

 過去の心の傷「トラウマ」は、その代表例ですね。原因論は、「なぜ〜?」に対して「なぜならば…だから」と答える構文で文章化できます。

 「なぜ、青年Aは今、虚しいのか?(結果)。なぜなら、トラウマ(原因)があるからだ」。

 原因と結果は結びつているので、「原因」(トラウマ)を取り除けば、「虚しさ」(結果)はなくなるはず、と考えます。

 これが「原因」に着目する「原因論」の考え方です。


目的論:「そうなる」のには「目的」がある。

 「目的論」は、過去の「原因」に焦点を合わせていきません。

 今の自分がそうなっている(結果/症状)には、「目的」があると考えます。何かのために、「そうした結果になっている」「そうした症状になっている」と見なします。

 「目的」と「結果」を結びつけるのが「目的論」です。

 例えば、仕事で失敗し上司に怒鳴られて、翌日から出社しなくなった主任Aさん(20代)がいたとします。

 「原因論」で考えれば、「原因」が「仕事の失敗」「上司の叱責」です。「結果」が「出社拒否」です。「仕事で失敗して怒鳴られたらから、Aさんは、出社拒否になった」と思考を展開させるのは「原因論」です。

 「目的論」では、Aさんが、何かの「目的」を果たそうとして(〜のために)出社拒否になっているのではないかと考えていきます。

 例えば、主任Aさんの成育歴や話す内容を聞いていくと、「職場の人たちに注目されたい」「上司にもっと気にかけてもらいたい」という「目的」が見えてくるかもしれません。

 失敗して怒鳴られ「心が傷ついていた」のは、出社拒否になった「表面的な理由」です。実は、みんなから「注目されたい」「評価されたい」という動機が出社拒否の「真の理由」です。

 「会社からいなくなれば、みんなが自分のことを、もっと心配してくれるはずだ」

 そんな本人にも気づけない動機が目的となって、Aさんは出社拒否しているわけです。

 「Aさんは、みんなから注目されることを目的に出社拒否になった」

 これが「目的」に着目する「目的論」の考え方です。

 アドラー心理学は「目的論」の立場をとります。

勇気づけ

 原因論は、過去の原因を取り除くことで結果(症状)に好影響を与えようとします。過去を重視します。

 目的論のアドラー心理学でも過去の成育歴を検討しどんな「ライフスタイル」(思考パターン・心のパターン)を持っているのかを検討します。

 過去から結果(症状)を生み出している「目的」を考察するのです。しかし、焦点を合わせるのは、過去ではなく、「これからどうするのか」の「未来」です。

原因論→過去へ
目的論→未来へ

 アドラー心理学は、自分の行動は自分で決められるという「自己決定性」を軸にしています。未来は決まっていなく、未来は変えられると、未来の可能性に対して大きく開かれている思考法をします。

 人間は過去によって決定された存在(決定論)ではなく、未来に向かってどの様にでも変化していける存在です。

 過去ではなく未来の可能性を信じ、本人の「自立」を促す「勇気づけ」を行っていきます。

勇気づけ

「勇気づけ」とは、その人が自分自身で困難を克服できる「心の力」を与えることです。

 この「勇気づけ」こそアドラー心理学のキーになるコンセプトです。ですので、アドラー心理学(個人心理学)は、「勇気づけの心理学」とも呼ばれます。

それでは、次から漫画『SLAM DUNK』(スラムダンク)の助けをかりながら、アドラー心理学の「勇気づけ」について、話しを進めていきます。

安西監督のアドラー流「勇気づけ」術 。

『SLAM DUNK』(スラムダンク)の主人公は、札付きの悪だった桜木花道です。

 彼は湘北高校バスケ部に入部し、キャプテン赤木剛憲、流川楓、三井寿、宮城リョータなど様々な登場人物との激しいぶつかりあいを通じ、バスケットマンとして、ひとりの人間として成長していきます。

 湘北バスケ部を率いる安西先生(監督)は、ケンタッキー・フライドチキンのカーネル・サンダースをさらにふくよかにさせた好好爺といったイメージです。登場する時には「ほっほっほっ」といつも笑っていて、沈黙していることの多いセリフの少ない監督です。

 湘北は神奈川県予選を勝ち抜き全国大会に出場すると、2回戦目で高校バスケ界の頂点に君臨する秋田県代表「山王工業」と対戦します。「山王工業」は優勝候補です。強豪チームに無名校が挑む勝利の確率は極めて低い戦いです。

 試合前、桜木たち湘北高校の選手は極度に緊張し、自信を失いかけています。そんな中、安西先生は会場に散るメンバーを探し、ひとりひとりに声をかけていきます。

 気を紛らわそうと廊下でひとり走るPG(ポイントガード)の宮城リョータには、こうです。

安西先生の名言①

 「PGのマッチアップではウチに分があると私は見てるんだが…」

 「スピードとクイックネスなら絶対に負けないと思っていたんだが…」

『スラムダンク 25巻』(井上雅彦 集英社)

 緊張からトイレに何度も行く三井寿には、トイレで偶然会った風を装い話しかけます。三井がマークする山王工業の先発メンバーがいつもと違い、全国でも有名なディフェンスのスペシャリストになったと告げ、そしてこう言います。

安西先生の名言②

 「いくら山王といえど三井寿は怖いと見える……」

『スラムダンク 25巻』(井上雅彦 集英社)

 桜木は試合前の練習でダンクシュートを決めようとして、派手に失敗しています。廊下でひとり練習する桜木に声をかけると、「あの満員の観客の前で大ハジをかちまったからな…もう怖いものなどねえ」と言葉が返ってきました。監督は言います。

安西先生の名言③

 「おや」「もともと君に怖いものなどあったかね?」

『スラムダンク 25巻』(井上雅彦 集英社)

 安西監督の「勇気づけ」によって、3人の選手は、失いかけていた自信を取り戻すのです。

 アドラー心理学のいう「勇気づけ」とは、「自分自身で困難を克服できる「心の力」を与えること」です。自分の力で問題を解決できるように「自立」をサポートすることです。


安西先生のリーダーシップ 「言葉がけ」〜否定しない、依存させない〜 。

 安西先生は、「緊張してどうすんだ」「それでは戦う前から負けだ」などと選手を否定しません。「私がついているから大丈夫だ」「私を信じろ」とも言いません。それでは先生(リーダー)に「依存する心」をつくるからです。

 監督(リーダー)に依存するようになると、選手(フォロワー)たちは、監督(リーダー)の判断を求め、監督の顔色を伺うようになり、プレー中に「自分で考え自分で判断」できなくなります。

 それは、自分自身で困難を克服できる「心の力」から程遠いものです。

 宮城に対しては、「私は〜」とアイ・メッセージ(主観伝達)の形をとり、「だが…」と語尾をあいまいして自分で考える余白を与えています。

 桜木の時も質問形にし、自らの「強み」に自分で気づくように促しています。

 三井の時には、第三者の視点(敵チームから見て)を導入しています。「(自分には)自信がない」。そんな心のベクトルが過度に内面に向く心の視野狭窄状態から、視点を引き上げ、解放することに成功しています。

 この「言葉がけ」こそ、まさにアドラー流の「勇気づけ」といえるものです。

 安西先生は、「上から目線の賞賛」「厳しい叱咤の言葉」によってリーダー(監督)に依存する心理を選手につくり出したりしません。「気づき」を促し、自分たちの力で困難を乗り越える「心の力」を与えているのです。

 安西先生のリーダーシップ・スタイルが、このコミュニケーションのとり方から、理解することができますね。


安西先生のアドラー流の「勇気づけ」方法

「スラムダンク27巻」表紙画像
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 山王工業との試合が始まります。安西監督が考え出した奇襲が功を奏し、前半は2点差のリードで折り返します。しかし、後半となり実力差が現れ始めると、58対36と点差が開きます。

 ここで監督は、スタメン出場していた桜木をベンチに下げます。ベンチから試合を見させて、勝つための秘策を授けるためでした。どうするかを伝え終わると、安西監督は桜木を「勇気づけ」ます。

安西先生の名言④

 「それが出来れば君が追い上げの切り札になる…‼︎」

『スラムダンク 27巻』(井上雅彦 集英社)

 ベンチの補欠メンバーが思いを託すため、次から次へと桜木に握手していきます。

 監督の言葉と補欠メンバーの行動が、桜木の心を強く揺り動かし、後半戦の活躍につながります。桜木の心理状態がこう解説されていました。

 「こんな風に 誰かに必要とされ 期待されるのは始めてだったから…」

『スラムダンク 27巻』(井上雅彦 集英社)

 アドラー心理学の重要な概念に「共同体感覚」(social interest)があります。

「共同体感覚」とは、自分を受容し、他者を信頼し、家族や職場、社会など「共同体」の中で「自分は必要とされている」「自分の居場所はここだ」と思える肯定的な感覚です。

 アドラーは、「共同体感覚」の育成と保持を人生の大きな目的としています。

 桜木花道は、問題児でした。

 バスケ部に入ってからも次から次へと問題を起こしています。その問題行動が、ギャグと相まって漫画の面白さを格別のものにしています。ですが、「こんな風に 誰かに必要とされ 期待されるのは始めてだったから…」という言葉から、「共同体感覚」の欠落を理解でき、これは物悲しい事実です。

 桜木はバスケ部に所属し数多くの人々と関わっていくことで、そして安西監督の数々の「勇気づけ」があり、物語の終盤27巻目(全31巻)でやっと、「自分は必要とされている」という感覚を抱くことができたのです。

「お父さんお母さんは僕のことを大切にしてくれる」
「僕はこの学校にいていいんだ」
「私はこの職場で必要とされている」

 そんな「共同体感覚」を育むことで、人は「生きる力」を育むことができます。

 アドラーは『生きる意味』(興陽館)の中で、こう書いています。

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「人間は共同体感覚を発達させつづけて進化するのですから、人間の存在は「善である」ことに強く結びついていることと推定できます。「悪である」ように見えるものは、進化の過程のしくじりととらえるべきですし、そもそもの認識が間違っています」

『生きる意味』(アルフレッド・アドラー 興陽館)p48

 リーダーシップを発揮しようとする時、人間の存在を「善である」ととらえることは、リーダーに力を与えます。なぜなら「悪である」という認識は、人間への不要な「恐れ」を生み出し、「善である」は、勇気をもたらすからです。

 リーダーにとって、誰かを「勇気づけ」をすることが、もちろん大事です。それと同じくらいに、自分で自分を「勇気づけ」できることが大切です。

 リーダーもひとりの人間。善なるひとりの人間です。

(文:松山 淳)