乙骨憂太(おっこつゆうた)は、漫画『呪術廻戦』【0巻】の主人公。東京都立呪術高等専門学校の高校生。呪術師としての等級は、最高レベルの「特級」。乙骨には、死んだ幼なじみの折本里香が怨霊となって背後に憑いている。物語の最初の設定では、乙骨が呪われた存在「特級被呪者」。怨霊の折本里香が「特級過呪怨霊」として乙骨を呪っている存在。
『呪術廻戦』【0巻】は、『ジャンプGIGA(増刊)』で月刊連載された4話を収録したもの。この連載が好評を呼び、虎杖悠仁(いたどりゆうじ)を主人公とする『呪術廻戦』が、本誌『週刊ジャンプ』(集英社)でスタートする。単行本は【1巻】からである。
『呪術廻戦』【1巻】での乙骨憂太は、東京都立呪術高等専門学校の2年生。虎杖悠仁は1年であり、乙骨は虎杖悠仁の先輩にあたる。
『呪術廻戦』【0巻】は、『劇場版 呪術廻戦0』として映画化。2021年12月24日より全国の映画館で放映。
『呪術廻戦』【0巻】のストーリーに少しだけふれていますので、もし、物語の筋を知りたくない方は、ここで引き上げてください。あしからず、です。
- 年齢:17歳
- 誕生日:3月7日
- 等級:特級呪術師
- 出身地:宮城
- 呪術高等専門学校への入学方法:先生の五条悟によるスカウト
- 術式:里香(死んだ幼なじみの折本里香)
- 技:呪言(コピー)、反転術式
- 特技:ネリケシを作るのが上手い
- 好きな食べ物:塩キャベツをゴマ油で
- 苦手な食べ物:ステーキの脂身
- ストレス:同級生に会えない(1巻からの設定で海外)
※参考文献:『呪術廻戦公式ファンブック』(集英社)より
誰かと関わりたい
誰かに必要とされて
生きてていいって
自信が欲しいんだ
『呪術廻戦 0巻』(芥見下下 集英社)p45
乙骨憂太は、東京都立呪術高等専門学校に転校する前、いじめにあっていました。怨霊の「里香」が背後にいて、「里香」をコントロールできないため、自分の存在を認められず、自己肯定感の極めて低い存在でした。
呪術高等専門学校に転校してすぐに、同級生の禪院真希(ぜんいん まき)と「呪い」を祓(はら)に行きます。
「呪い」は怪物みたいものです。しかし、敵が強く禪院真希も呪いに犯され、実戦経験のない乙骨はピンチに陥ります。その時、禪院に呪術高専で「何がしたい何が欲しい‼︎何を叶えたい‼︎」と問われ答えたのが、上の言葉です。
自分を認められないと、時に人は、生きている自分に罪悪感をもってしまいます。
「生きていては、いけない」
「自分には生きる価値がない」
「生きていて、ごめんない」
この「生きることへの罪悪感」は、一度、心の奥底にはりついてしまうと、なかなか、うまくはがすことができません。
そこで、ポイントとなるのは、「無理にはがそうとしない」ことです。
罪悪感を無くそうとするのではなく、「生への罪悪感」と共に生きていく道を選ぶのです。
「生きることへの罪悪感」はあってもよいと、心の奥底でうずく「罪悪感」にOKを出します。
「生きることへの罪悪感」は人を苦しめるだけではありません。「罪悪感」があるからこそ、謙虚に人を思いやる人になれます。もっとよい人間になろうと「生きる力」も湧いてきます。
つまり、「罪悪感」にはメリット(良い面)もあるのです。そう考えると、こう言えます。
罪悪感は高貴な感情。
罪悪感を「悪」と決めつけ「あってはいけないもの」「もっていたらよくないもの」と考えることが、人を苦しめます。
この考え方を反転して、「罪悪感は高貴な感情」でもあり、「あってもよい」と受け入れていけば「生きる力」となって、心が楽になります。
「罪悪感」を受け入れたら、、あとはやるべきことをやるだけです。
人間には、日々、やることがありますね。勉強、仕事、趣味など、「今、やるべきこと」「今、やったほうがよいこと」が、いつでも目の前に用意されています。その目の前にあることを、ひたすらやっていくのです。
乙骨憂太の言葉「生きてていいって自信が欲しいんだ」の後に、一緒に戦っていた禪院真希は叫びます。
「呪いを祓(はら)って祓って祓いまくれ‼︎
自信も他人もその後からついてくんだよ‼︎ 」
『呪術廻戦 0巻』(芥見下下 集英社)p46
自信も人も後からついてくる。
何の後からつくていくるのかといえば、「今やるべきこと」をやった後に、ついてくるのです。だから、過去の自分にとらわれ、自分の感情(罪悪感、自己肯定感など)にとらわれなくていいのです。自信があるかないかは、後から考えればいいことです。
「今の自分がどうか」ではなく「今、何をすべきか」です。
今やるべきことをひたすらやっていくことによって、自信はつくられ、誰かから必要とされる存在になれます。
狗巻君の優しさには絶対に応える。
『呪術廻戦 0巻』(芥見下下 集英社)p96
狗巻君とは、乙骨の同級生「狗巻棘」(いぬまき とげ)のことです。狗巻も呪術師です。
この言葉が出たシーンでは、乙骨と狗巻がふたりで戦っています。実戦経験の浅い乙骨は、狗巻にとって決して「頼もしい味方」とはいえません。なぜなら、狗巻は、乙骨を守りながら戦わなければならないからです。
想定外に強い敵が現れ、乙骨をかばい狗巻は負傷してしまいます。その優しさに応えるために、狗巻のために、乙骨は必死に戦います。
乙骨は自分に自信がなく、「誰かに必要とされる」ことを望んでいましたね。
誰かの役に立つ行動をとることで、人間は他人から必要とされる存在になれます。
まさにその通りの行動を乙骨はとりました。
障害物雇用の先駆者である日本理化学工業の大山泰弘会長(2019年没)は、著書『働く幸せ』(大山泰弘 WAVE出版)の中で、こう書いています。
「人間の幸せは、ものやお金ではありません。
人間の究極の幸せは次の4つです。
その1つは、人に愛されること。
2つは、人にほめられること。
3つは、人の役に立つこと。
そして、最後に、人から必要とされること。」
『働く幸せ』(著 大山泰弘 WAVE出版)より
乙骨雄太が「誰かと関わりたい 誰かに必要とされて 生きてていいって 自信が欲しいんだ」と叫んだように、人から必要とされることは、人間の「幸せ」であり「自信」や「生きる力」になります。
大山会長の4つの要素の中で、3つ目「人の役に立つこと」だけが受け身形(他人から〜される)ではありません。「他人からされること」は、他人の意志が強く関係し、自分ではどうにもならないこともあります。
どんなに自分が愛しても、他人から愛されないことは、よくあります。誰を愛するか愛さないかは、相手が決めることですね。
でも、3つ目「人の役に立つこと」は、自分の意志で起こせる行動です。
「人の役に立つんだ」と、自分で決めて、自分から行動していけます。「相手の意志」より「自分の意思」が重要です。実際に役に立てたか、立てなかったかの議論はあるにせよ、他人の役に立とうとするか否かは自で決めるられることです。
乙骨雄太が、狗巻の優しさに応えることは、「人の役に立つこと」です。
「人の役に立つこと」をしようとする時、どの様な結果になれ、「人に愛され」「人に褒めら」「他人から必要とされる」人間になるチャンスが広がっていきます。
乙骨は実力不足からこのシーンでは、敵を倒せませんでした。しかし、狗巻の術が発揮されるチャンスを作り出し、二人の連携プレーが功を奏して「呪い」(敵)を祓うことに成功します。
乙骨は共に戦うことで、「人から必要とされる存在」へと成長していくのです。
友達を侮辱する人の手伝いは 僕にはできない‼︎
『呪術廻戦 0巻』(芥見下下 集英社)p121
主人公「乙骨雄太」を含めた都立呪術高等専門学校にとっての最大の敵は、「夏油 傑」(げとう すぐる)です。
夏油は呪術高専の生徒でした。しかし、百を超える一般人を呪い殺し、呪術高専を追放された最悪の呪詛師(じゅそし)です。
夏油の狙いは乙骨雄太であり、特級レベルの強さをもつ乙骨の背後に憑く「里香」です。「里香」の力を手に入れ、野望を果たそうとしてます。
夏油の野望は、「呪術師だけの世界をつくる」ことです。呪術を扱えない一般人(非呪術師)は全て不要という過激な選民主義者です。
夏油は呪術高等専門学校に現れ、乙骨の同級生「禪院真希」を「落ちこぼれ」と侮辱します。これに怒った乙骨のセリフが上の言葉です。
「呪術師だけの新たな世界」=「新世界の創造」。
夏油の野望は壮大です。その野望はあまりに「大きなコト」です。しかし、乙骨は「同級生を侮辱された」という「小さなコト」を理由に、夏油の誘いを断ります。「大きなコト」と「小さなコト」が対比され、乙骨のセリフに、強いインパクトをもたらします。
友達を侮辱された場面で、乙骨は夏油にノーを突き付けました。
夏油がもくろむ「新世界の創造」への誘いを断るという「態度」によって、乙骨は自身の願い(「誰かと関わりたい 誰かに必要とされて 生きてていいって 自信が欲しいんだ」)の実現へと近づいていきます。
逆境の心理学とも呼ばれるフランクル心理学の創始者V・E・フランクル に、こんな言葉があります。
自分の可能性が制約されているということが、どうしようもない運命であり、避けられず逃れられない事実であっても、その事実に対してどんな態度をとるか、その事実にどう適応し、その事実に対してどうふるまうか、その運命を自分に課せられた「十字架」としてどう引き受けるかに、生きる意味を見いだすことができるのです。
『それでも人生にイエスと言う』(V・E・フランクル[著]、山田邦男 松田美佳[訳] 春秋社)p72-73
乙骨は幼い頃、好きだった「里香」を失い、「里香」に呪われた存在として生きてきました。彼は運命から課せられた「十字架」を、完全に引き受けることはできていませんでした。
ところが、呪術高等専門学校に転校し、仲間と戦いを重ねていくことで、自身に課せられた「十字架」をひとつひとつ引き受けていったのです。
同級生の禪院真希を侮辱されたことで夏油に「ノー」を突き付ける「態度」は、そのひとつです。
私たちの生きる世界に「夏油傑」はいませんが、「夏油傑の様な人間」は存在しています。『呪術廻戦』で描かれるほどの「呪い」(怪物)はいませんが、人を呪う人間は確かに存在しています。
現実は小説より奇なり。
時に、現実は『呪術廻戦』に描かれる世界以上の厳しい事実を、私たちに突きつけてきます。逆境に放り込まれ辛く苦しい思いをすることは、多くの人が経験します。
その時、「どんな態度をとるか」によって、人生に意味が満ちるか、「生きる力」がわくか否かが決まってきます。
『呪術廻戦』【0巻】で、乙骨雄太は学校でいじめられていた存在でした。そして、転校し呪術師として仲間と戦い続け、様々なシーンでとった彼の「態度」が、乙骨に「生きる力」を与えました。
その「生きる力」が、乙骨の望み(「誰かと関わりたい 誰かに必要とされて 生きてていいって 自信が欲しいんだ」)を引き寄せていったのです。
もし、自分が乙骨雄太だったら、どんな態度をとるだろう?
この問いに答えながら『呪術廻戦』【0巻】を読み進めると、きっと「生きる力」を生み出すヒントがつかめるはずです。
(文:松山 淳)