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ヴィクトール・エミール・フランクル(Viktor Emil Frankl)

ヴィクトール・エミール・フランクル(Viktor Emil Frankl)の顔写真
ヴィクトール・エミール・フランクル
(Viktor Emil Frankl)

 V・E・フランクル(1905〜1997)は、オースリア出身の精神科医・心理学者。「ロゴセラピー」の創始者。ナチスの強制収容所での凄惨な体験を記した『夜と霧』は世界的ベストセラーとして知られる。

 フランクルが生み出した心理学「ロゴセラピー」は、辛い状況でどのように考えるかに重きが置かれる。「どんな時にも人生には意味がある」という力強いシンプルなメッセージで、辛い逆境に陥った世界中の悩める人々を救い続けてきた。そのため「逆境の心理学」とも呼ばれる。

悩める人々を救い続けた心理学の偉人

フランクルの幼少期

 フランクルは、1905年オーストリアの首都ウィーンに生を受ける。

 父ガブリエルは医師を志しながら家庭が貧しく、夢を叶えられなかった。性格は厳格で仕事は国家公務員であった。母エルサは貴族出身の優しい人だった。フランクルが医師を目指すことを知った父は喜んだ。フランクルは3歳の時、すでに医師になることを決心していたという。

 4歳の頃にフランクルの未来を予感させるエピソードがある。ある夜、眠りに入ろうとして飛び起きた。

「自分もいつか死なねばならないと気づいたからである。しかし私を苦しめたのは、死への恐怖ではなく、むしろただひとつ、人生の無常さが人生の意味を無に帰してしまうのではないのか、という問いであった。」

『フランクル回想録 20世紀を生きて』 春秋社

 フランクルは4歳にして「人生の意味」を問う経験をしているのである。極めて早熟な哲学者といえよう。ある避暑地で出会った女性教師は、彼のことを「思想家さん」と呼んでいた。

16歳でフロイトと文通

フロイトの自画像
精神分析学の開祖フロイト

 高校生だったフランクルは、夜、成人向けの学校に通った。そこで心理学を選択する。その時フロイトに関する講義があり、興味を持った彼はフロイトに手紙を書く。すると返事が来た。16歳だった彼はフロイトと文通をすることになるのだ。

 当時、フロイトといえば精神分析学会の頂点に君臨している人物である。驚くことに、名もなき10代の少年に対してフロイトは、3日以内に必ず返事をくれたという。

 この文通で、フランクルはある時、短い論文を手紙に同封した。するとフロイトの推薦もあり、フランクルの論文は1924年『国際精神分析ジャーナル』に掲載されることになる。

 後年、医学部の学生となっていたフランクルは街でフロイトらしき人物に出会う。声をかけるとまさしくその人物はフロイトであった。フランクルとの文通を覚えており、フロイトはフランクルの家の住所を暗誦したという。恐るべき記憶力である。

アドラーに破門される

 近代精神分析学の開祖フロイトには、師弟関係といえるふたりの人物がいた。ひとりは分析心理学の創始者ユングであり、もうひとりが個人心理学の提唱者アドラーだ。「心理学の三大巨頭」といえば、フロイト、ユング、アドラーである。

 高校生の時、フロイトと文通したフランクルは、長じて個人心理学の創始者アドラーに傾倒していく。

 ウィーン大学へ進学し医学生となった彼は、精神科医を志す。フランクルはアドラーが創設した個人心理学協会のメンバーとなり、最年少ながら20歳の時には『国際心理学年報』に論文が載る。論文のタイトルは「精神療法と世界観」であった。

 しかしフランクルは、やがてアドラーの考えに疑問を抱くようになる。フランクルはこう述べている。

『死と愛』(みすず書房 霜山徳爾 訳)の表紙画像
『死と愛』(みすず書房)

 「個人心理学は勇気を説くが、しかしそれは謙虚さを忘れているかのように思われる。すなわち世界における精神的創造に対する謙虚さであり、その本質と価値が、心理学的の平面にそれほど簡単には心理主義的に投影されえないところの精神的なものに対する謙虚さである」

『死と愛』(みすず書房 霜山徳爾 訳)

 フランクルは、フロイトやアドラーの考えは深層心理の分析に重きを置き過ぎていると考えた。心の中ばかり覗いている。これを「心理主義」と呼び、そこにフランクルの納得できない点があった。

 彼は「深層心理学」に対して「高層心理学」という言葉をあて「ロゴセラピー」を説明している。

 フランクルは、独自の路線を開拓しつつあり、やがて個人心理学研究誌『日常生活における人間』を発刊。これは彼独自の心理学理論を展開するものとなった。

 アドラーの個人心理学協会では、アドラーの考えに異を唱える他のメンバーもいて、フランクルは異論派に共鳴していく。アドラーはフランクルを無視するようになり、最終的にフランクルは協会から除名されるのだ。

 アドラーは師といえるフロイトに異を唱え、フロイトから離れていった。フランクルも同じであった。歴史は繰り返されたのである。

ナチスの強制収容所へ、そして『夜と霧』

『夜と霧』(みすず書房 霜山徳爾 訳)の表紙画像
『夜と霧』
(みすず書房 霜山徳爾 訳)

 アドラーと袂を分かったフランクルは、1929年(24歳)、「青少年相談所」を開設する。抑うつ状態の若者たちを対象として匿名で相談が受けられる場をつくった。

 この相談所は好評で、後にヨーロッパの6都市に相談所が設立される。講演活動に飛び回りながらも、フランクルは悩める人々の声に耳を傾け、臨床実践の場に重きを置くようになっていく。

 数多くの臨床経験を積んだフランクルは、1939年、34歳の時、満を持して個人開業する。しかし時代は、第二次世界大戦が始まろうとする、きな臭い状態になっていた。

 ユダヤ人であるフランクルは、アメリカ行きのビザを手に入れるが両親のことを考えウィーンにとどまる。1941年の時点で1度収容を延期されたが、最終的には、1942年9月ナチスの強制収容所へと運ばれ、壮絶な体験をすることになる。

 最初に収監されたのはテレージエンシュタット収容所である。ここで約2年の時を過ごし、44年10月、アウシュビッツ収容所に移送される。フランクルはアウシュビッツで生死を分ける「選抜」を受ける。ガス室に送られか否かである。「死」か「生」かである。フランクルは「生」の選抜を受け、到着から数日後、アウシュビッツ収容所からダッハウ収容所へと送られる。

 45年3月志願してテュルクハイム病人収容所へ赴き、その約1ヶ月後の4月に解放される。ヒトラーは同年4月30日に自ら命を絶ち、5月にドイツが無条件降伏をする。約3年間にわたる収容所での生活であった。

 世界的ベストセラー『夜と霧』は、アウシュビッツへの移送から45年に解放されるまでの体験を綴ったものである。

 『夜と霧』は米国だけでも発行部数が900万部を越えるといわれる。1991年、アメリカ議会図書館の調査「私の人生に最も影響を与えた本」ではベスト10入りを果たしている。

『夜と霧』の、それから

 収容所から解放されたフランクルは地獄に突き落とされる。父や母が、そして愛する妻までが、収容所で亡くなっていた。だが、この過酷な運命に彼は負けなかった。

 1946年ウィーン市立総合病院神経科部長に就任。そして、収容所で取り上げられた原稿の再生にとりかかる。これがフランクルの処女作であり、フランクル心理学「ロゴセラピー」の骨格が示された『死と愛』(みすず書房)だ。同年、2〜3週間で書きあげたと伝えられる『夜と霧』(みすず書房)が完成する。

 『夜と霧』は邦訳名であり、『ある心理学者の強制収容所体験』が原題だ。英語での本のタイトルは『意味を求めて』(「Man’s Search for meaning」)。米国では1985年時点で、発行部数200万部を越えた。フランクルは世界的な名声を得るようになり臨床経験をさらに重ね、「ロゴセラピー」の思想体系を磨き上げていく。

 1980年には第1回世界ロゴセラピー会議が開催される。晩年は失明状態でありながらも講演活動を行った。バイタリティにあふれる人物像は、老いても変わることがなかった。

1997年9月2日に逝去。享年92歳であった。

ロゴセラピーについて

 辛い出来事が重なり苦悩している時、「こんな人生、意味あるのか」と問いかける。

 この時、人は誰に対して「問い」を発してるのだろう。自分にか、自分の人生にか、運命にか。それとも自己を超越した大いなる存在にか。しかし、どれだけ問うても、納得のいく答えはなかなか出てこない。

 そして苦悩は深まっていく…。

 こうした状況に人が陥るのは、根源的なところで人が「意味」を求める存在だからである。人は人生に意味を求め、人生を意味で満たそうと生きる。こうした意味を希求する心の動きをフランクルは、「意味への意志」(will to meaning)と名付けた。

 では、人生の意味に苦悩する人々を救い続けてきたフランクルは、人生の意味に苦しむ人々にどんな言葉を贈っているのだろう。

『それでも人生にイエスを言う』(春秋社 山田邦男 訳)の表紙画像
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「私たちが「生きる意味があるか」と問うのは、はじめから誤っているのです。つまり、私たちは、生きる意味を問うてはならないのです。人生こそが問いを出し私たちに問いを提起しているからです。私たちは問われている存在なのです。私たちは、人生がたえずそのときそのときに出す問い、「人生の問い」に答えなければならない、答えを出さなければならない存在なのです

『それでも人生にイエスを言う』(春秋社 山田邦男 訳)

 つまり、人生に意味は無いのではなく、意味はすでにあり、人は意味を発見していく存在であるということ。

 だから「人生に意味があるか無いか」と悩むことはない。

 「あるか無いか」という問いにとらわれるのではなく、人生が出す問いに答えていく。そうすれば、「生きる意味」は自ずから姿を現し、発見されるのだ。これがフランクルの主張です。

 こうした「生きる意味」「人生の意味」に対する見方、考え方を変容させていきながら心理的支援をしていくのが「ロゴセラピー」である。

 「ロゴセラピー」の主要な概念には、以下の4つがある。「意味への意志」「創造価値」「体験価値」「態度価値」だ。

「意味への意志」

 人は人生を「意味あるもの」にしたいという「意志」をもっています。フランクルはこの「意味への意志」を人間の根源的な極めて強い心の動きであると考え重視しました。人生に意味があると感じられた時、人は幸せを感じます。

創造価値

 ビジネスマンはもとより主婦や学生であっても、自身の行動を通して、人はこの世界に価値を創造しています。その価値を普段はなかなか感じられないのですが、ひとつひとつじっくり考察していくことで人生に意味が満ちていきます。

体験価値

 この世界には真善美が隠されています。真善美にふれることで深く感動し、その感動体験のさなか「この人生に意味がありますか」と問われたら、多くの人が「はい」と答えるでしょう。人は体験を通して人生を意味で満たせるのです。

態度価値

 人生には様々な制約があり、その制約の中を人は生きます。制約は時に、辛い人生をもたらしますす。でも、その時どんな態度をとるのか、その態度によって人生に意味が満ちます。だから、どんな時でも人は、人生を意味で満たせるのです。


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 フランクル心理学「ロゴセラピー」のエッセンスをベースに物語を書きました。フランクルの教えを「小さい変なおじさん」が語り、悩める青年を救い出すお話しです。笑いあり、涙ありで、フランクルが伝えたかったことが、深く楽しく理解できます。

 フランクル心理学は「逆境の心理学」とも言われます。今、生きづらさを感じている、辛い状況に陥っている、「人生が虚しい」と感じている、または、悩む人を元気づけたいと考えている方にオススメです。

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フランクルの「名言」に学ぶ心を強くする考え方」

 フランクル心理学について「ダイヤモンド・オンライン」にて12回にわたって連載を担当しました。フランクル心理学のエッセンスをコンパクトにまとめています。

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