不安が強くなる心理〔予期不安〕
会議での発表、顧客を前にしてのプレゼン、結婚式のスピーチなど、社会人になると人前で話す機会が何度もあります。社会人だけでなく、アクティブラーニングが主体となっている現在、学校でも、小学校から大学生まで、授業で壇上に立って話す時間が増えています。
人前に立っても、緊張せずに話すことができればいいですね。
でも、多くの人は、苦手意識を持っています。自分の番になる前から不安が高まり、心臓がドキドキしてきます。さあ前に出るとなると緊張は強くなり汗が流れ出し、いざしゃべり始めると声が震えて、顔が赤くなってしまい、そうなっている自分に気づいて、ますます汗が流れ、時には頭が真っ白になって、言葉が出てこなくなることもあります。
「緊張しないほうがいい」
そう思っていても、「緊張するな」と自分に命令しても、手のひらに人と書いて飲むこむ「おまじない」をしても、いとも簡単に期待は裏切られ、緊張は私たちの心と体を硬くします。
その結果、恐れや不安が強くなり、上手に話すことができなくなります。
例えば、一度でもひどい失敗をプレゼンの場でしてしまうと、「あの時みたいにはなりたくない。もうこりごりだ」と、その状況を想像するだけで、体が熱くなったり冷や汗が出てきたりします。そして、「次のプレゼンでも同じような目に合うのではないか」と、起きていない現実を思い描いて「不安」にとらわれます。
実際に、今、プレゼンの場にいるわけでもないのに、「また同じ目に合う」と考えるだけで、あたかもその場にいるかのようなリアルな不安を感じます。
こうした予(あらかじ)め感じられる不安を「予期不安」といいます。
不安感の負のループ
「明日のプレゼン、うまくいくかな〜」
そう不安を感じることは、誰にでもあることです。そんな時、「まあ、なんとかんなるだろ」と楽観的になれば、緊張や不安感をやわらいでいきます。
ただ、「予期不安」が強くなると、「いっそ明日のプレゼンなくなればいいのに…」「どうせうまくいかないんだ」「こうなったのも課長が悪いんだ」などと、否定的なことばかり考えてしまいます。
「失敗したくない、恥をかきたくない、不安になったり緊張するのは嫌だ」
そう不安から逃げ出そうとすればするほど、不安感は強くなり、その結果、自信をもって堂々とプレゼンできないネガティブな現実がつくり出されます。
不安や緊張に意識を向けることが、実は、不安な状況を現実化しているのです。
「予期不安」を意識すればするほど「さらなる不安」がわき起こり、汗が流れてきたり、動悸がしたり「身体症状」が出ます。すると、自分のすべきことから逃げてしまう「逃避行動」につながり、この経験がまた「予期不安」を呼び起こす原因になります。こうして「負のループ」がつくり出されていくのです。
不安から逃げようとする心の動きが、
むしろ、不安を強く意識することになり、
逆に不安感を強める
不安感の負のループがまわり出すと、手に負えなくなります。
そこで、このループを断ち切ることがポイントになります。心理学者フランクルは、そのために「逆説志向」という考え方を提唱しました。
では、次から、その「逆説志向」についてお話していきます。
逆説志向(paradoxical intention)
逆説志向(paradoxical intention)とは、「そうなってほしくない症状」を、逆に「もっとそうなれ」とユーモアをもってあえて望む(志向する)ことで、症状を軽くする心理療法です。
強い不安を感じて冷汗が流れるのは、誰でも嫌なものです。不安感や冷汗が、「そうなってほしくない症状」です。
「そうなってほしくない」と思えば思うほど、逆に、「そうなってほしくない症状」を意識することになり、症状が出てしまいます。
逃げれば逃げるほど、追いかけてくる「影」のようなものです。そこで、フランクルは考えました。
逃げるから「そうなる」のであれば、逃げなければいい。むしろ、症状に立ち向かっていく、あえて、それを「もっとそうなれ」と望むことで、症状は軽くなったり、消えていくのだ。
症状に立ち向かっていく時に、ユーモアをもって「もっとそうなれ」と望む(志向する)ことがポイントです。
「恐れ」とは、それが「危険なもの」「異常なもの」と認識することで発生する感情、感覚です。
危険を感知したら、恐れを感じる。
この心理プロセスは、人間の本能に根ざしており、本能であるが故に変えることが難しいものです。
例えば、ちょとした心臓の鼓動(ドキドキ)が気になって「死ぬのではないか」と強い恐怖感にとらわれてしまうAさんがいたとします。いくつもの病気に行き、何度も検査をしてもらっていますが、毎回、心臓に異常は認められません。
「何もしていないのに、心臓がドクドクする。異常なんじゃないか。やばい、やばい、死ぬかもしれない」。
心臓のドキドキを過度に「危険」「異常」と認知することで、恐れが発生し、恐れから逃れようとして、逆に心臓に強く意識が向きます。すると、恐れが強くなり、さらに心臓のドクドク(そうなってほしくない症状)が強く(異常に)なっていくように感じられます。
でも、平気な人もいます。心臓が少しドキドキしても、「なんか最近、疲れてるからな。疲れると、よくこうなるんだよ」。さらりと流して気にしません。
この平気な人は、心臓のちょっとしたドキドキを「疲れるとよくこうなる」と、自分にとっての「普通のこと」と考え、「危険」「異常」と認識しません。そのため、必要以上に「心臓の動き」が気にならないですし、恐れ・不安も発生しません。
でも、Aさんの「心臓がドキドキする」→「死ぬんじゃないか」(恐れ)→「やばい、もっと心臓がドキドキしてきた、やばい」(そうなってほしくない症状)という心理プロセス(負のループ)は、「何度も検査したんだ。心臓に異常はないんだ」と頭でわかっていても、あたかも計画されていたかのように決まったパターンを繰り返してしまいます。
「逆説志向」は、恐れに関する計画的とも思える心理プロセスに齟齬(そご)をきたすようにし向けます。齟齬とは、「物事がくい違って、意図した通りに進まないこと」です。
簡単にいえば、「恐れ」「不安」から発生する「計画的心理プロセス」を狂わせるのです。「決まったパターンを崩しにかかる」ともいえます。
自らの身体に起きることを「異常」と認識するから「恐れ」が発生します。
「恐れ」が発生すると「恐れ」から逃れようとして、「そうなって欲しくない症状」(心臓のドキドキ、緊張、赤面、汗が流れるなど)が始まります。すると、さらに「恐れ」が強くなり、症状も強く出てきます。
「小さな異常」→「恐れ」→「異常」→「強い恐れ」→「大きな異常」→「さらに強い恐れ」……(負のループ)
であれば、「恐れ」から逃れようとするのではなく、むしろ「もっとそうなれ」と、ユーモアを交えて、逆に逃れたい状態を「望む」(願望)ことで、「異常」は「正常」となり、計画的心理プロセスを狂わせることができるはずです。
「そうなって欲しくない症状」を、ユーモアをもってあえて望むことで、「そうなって欲しくない症状」を軽減させる。
これが「逆説志向」の基本的な考え方です。
フランクルは「逆説志向」によって、数多くの不安感から生まれてくる辛い症状を軽くすることに成功しているのです。では、具体的にその事例を見ていきましょう。
症例1ー発汗恐怖の医師
ある若い医師がフランクルのもとを訪れました。ある日、彼は上司と握手した時に、自分がものすごく汗をかいていることに気づきます。
その時以来、「またひどい汗をかくのではないか」と「予期不安」が強くなりました。
「汗をかくのでないか」
そう考えるだけで冷汗が流れるようになってしまったのです。
汗の流れている自分に意識が集中すると、目の前にいる人の話をまったく聞くことができなかったり、肝心のことを聞き逃したりして、仕事のミスにつながります。「この人は私の話しを聞いてないな」と思われたら、患者さんの中には、怒りだす人もいるでしょう。これでは日常生活に支障があります。
医師は4年間、発汗恐怖で苦しみ、フランクルのもとを訪れます。フランクルは「逆説志向」を試みるため、若い医師にこう助言しました。
「今度発汗が起こりそうになったら、思いきって、自分はどれほどたくさんの汗がかけるかをひとつみんなに見せてやろうと心に決めてください」
『意味による癒し』(ヴィクトール・E・フランクル[著]、山田邦男 [監訳] 春秋社)p45
若い医師は、「汗はかきたくない」と「恐れ」から逃げようとしていました。
ですが、フランクルは、汗をかくのをOKとするどころか、それを「みんなに見せてやろう」と、「大げさに望む」ことを助言しています。ここがユーモアですね。
1週間後に訪れた若い医師は、自分にこう言い聞かせていると、フランクルに報告しました。
「たったの1クォート〔約1.4リットル〕しか汗をかかなかった。しかし今度はせめて10クォートは汗を流してやるぞ」
『意味による癒し』(ヴィクトール・E・フランクル[著]、山田邦男 [監訳] 春秋社)p45
この若い医師は、1回の面接と1週間の逆説志向の自主的トレーニングによって、約4年間続いていた発汗恐怖から解放されたのです。
症例2ー指のけいれん(簿記係 女性)
これはフランクルの同僚が行なった症例です。
文字を書こうとすると手が震えること(書痙)で数年来、悩んできた簿記係の女性がフランクルの病院を訪れました。それまで何ヶ所もの病院で治療を受けてきたのですが、全く効果ありませんでした。
文字をうまく書けないことは簿記係として致命傷で、彼女は失職する寸前でした。絶望し「自殺したい」とまでいいました。
治療を開始するに当たって、私の同僚は患者に、彼女がこれまでやってきたのと正反対のことをするように勧めました。すなわち、できるだけきちんと、読みやすく書こうとするのではなく、できるだけ汚くなぐり書きをするように勧めたのです。そして、こう言い聞かせるようにと助言されました。
「さあ、私がどれほど素晴らしいなぐり書きの名手であるかを見せてやろう」
『意味による癒し』(ヴィクトール・E・フランクル[著]、山田邦男 [監訳] 春秋社)p45
このユーモアに満ちたアドバイスの後、彼女は、なぐり書きをしようと思えば思うほど、そうできなくなりました。
「私はなぐり書きをしようとするのですが、それが簡単にできないんですよ」(p47)
そう言い、48時間以内に文字を書こうとする時の「手の震え(書痙)」から「さよなら」することができたのです。
症例3ーエレベーター恐怖症(42歳 男性)
症例3は、日本での「勝田茅生」(かつた かやお)先生の事例です。『フランクルを学ぶ人のために』(世界思想社)に記されている内容を簡単にまとめます。
男性(42歳)は、会社のエレベーター故障で長い時間閉じ込められた経験があります。その後、閉所恐怖症の傾向が出て、エレベーターだけなくトイレに入っても扉を閉めることができなくなりました。
ある所で、精神分析を受けると、出産のトラウマが原因だと言われました。
そこで、野球バッドで、母親に見立てた丸太を叩くという心理療法を受けました。「俺を出さなかったお前が憎い」と、大声で叫びながら、バッドを何度も打ち付けるのです。
しかし、症状が悪化したため、ロゴセラピストである勝田先生のもとを訪れます。エレベーターに乗ると「息ができなくなるような気がする」と男性は訴えます。
そこで勝田先生は、「逆説志向」を試みました。
「ユーモアを持ってそれが起こることを大げさに望めば望むほど、不安は小さくなる」
逆説志向の説明を行い、大げさな願望を抱くように男性にお願いしました。半信半疑だった男性は、言葉を考え出しました。
「みんなが駆け寄ってきたときに、できるだけ大騒ぎして、自分を救急車で病院に運んでもらいたい。一度病院の車に乗ってみたかったのだから」
『フランクルを学ぶ人のために』(山田邦男[編]世界思想社)p41
男性はこれに続けて、他にもユーモアをまじえたアイディアをひねり出します。
そして、勝田先生と一緒にエレベータに乗り込むトレーニングを行いました。9階で降りるまでに、ひどい汗をかきましたが、以前のような恐れを感じませんでした。
それからカウンセリングとトレーニングを繰り返し、半年ほどで男性は、閉所恐怖症の苦しみから抜け出していったのです。
笑うことの大切さ
〔自己距離化(self-detachment)〕
3つの症例をあげました。「逆説志向」のポイントが「ユーモア」「笑い」であることを、ご理解いただけたと思います。
自分が苦しんでいる症状を不安がったり、恐れるのではなく、むしろ、それを「大げさに望む」ということ自体が、ユーモアに満ちていています。日本語の表現でシンプルに言うと、「笑い飛ばす」ということですね。
ところで、どうしてユーモアをもっておおげさに望むことが、「そうなってほしくない症状」を軽くしたり消したりするのでしょうか。
フランクルは、『神経症1』で、次のように書いています。
「笑いにかぎらずすべてのユーモアは距離をつくり、患者をその神経症や神経症の症状から遠ざからせるからである。そうして、まさにユーモアほど人間に、なにかあるものと自分自身とのあいだに距離をつくらせるものはあるまい。ユーモアをとおして患者はたやすく、自分の神経症の症状をどうにか皮肉り最後には克服することをも学ぶのである」
『神経症1』(V・E・フランクル[著]、宮本忠雄、小田晋[訳]みすず書房)p161-162
「ユーモア」つまり、「笑う」ことによって、人は自分と症状との間に、心理的な距離をつくりだすことができます。そうした心の働きをフランクルはこう呼んでいました。
自己距離化(self-detachment)
症状に苦しんでいる時には、不安や恐れに心が飲み込まれてしまっている状態です。自己距離化ができていない状態です。これでは、「そうなってほしくない症状」をコントロールすることができません。
でも、自分と症状に距離がとれて、客観的に見ることができれば、心の余裕も生まれてきて、症状をやわらげることができます。
こうした心理的作用が、無意識のレベルで自然に行われるとフランクルは言っています。
フランクル心理学は思想や哲学であって、「心理療法として役に立たない」という批判があります。それはきっと『夜と霧』が世界的ベストセラーとなって、そこに書かれてあることがフランクル心理学の全てだと考えている人が多いからでしょう。
ですが、少しつっこんで学ぶと「逆説志向」という心理療法を知ることができます。
フランクル の書いた世界的ベストセラー『夜と霧』は、やや暗く重いイメージがありますが、フランクル自身はバイタリティにあふれ、とても明るくユーモアにあふれる人でした。
亡くなる直前まで、家族を笑わせていたというエピソードも残っています。
不安や緊張する場面に出くわしたら、ぜひ、自分を「笑い飛ばす」という「逆説志向」を思い出してみてください。
(文:松山 淳)
【参考文献】
『意味による癒し』(ヴィクトール・E・フランクル[著]、山田邦男 [監訳] 春秋社)p45
『フランクルを学ぶ人のために』(山田邦男[編]世界思想社)
『神経症1』(V・E・フランクル[著]、宮本忠雄、小田晋[訳]みすず書房)
世界的ベストセラー『夜と霧』の著者であり、ナチスの強制収容所を生き延びた心理学者フランクル。彼の教えは、今なお人生に苦悩する人を救い続けています。フランクル心理学のエッセンスを「7つの教え」にまとめてお伝えいたします。