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『こころの処方箋』7つの名言〈河合隼雄〉

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 『こころの処方箋』(新潮社)は、ユング派の心理療法家「河合隼雄」氏が書いた著である。心理学の専門書ではなく、一般の人でも読める本で55のコラムから成っている。

 55のコラムには、それぞれ「見出し」がついていて、その「見出し」自体が河合隼雄心理学ならではの独特の世界観をもち、「名言」といえる言葉が並んでいる。目次を読むだけでも、新たな気づきがもたらされる。

 55の見出しから河合隼雄氏ならではの言葉を7つピックアップして、読者の方に何らか新たな「気づき」をもたらすよう解説していく。

名言❶「ふたつよいことさてないものよ」

 「人生、山あり谷あり」といいます。いい時もあれば、悪い時もあります。「ふたつよいこと」で、いい時がずっと続けばいいわけですが、人生、そうは問屋がおろしません。

『こころの処方箋』(河合隼雄 新潮社)表紙画像
『こころの処方箋』(新潮社)
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 成功の有頂天にいたら、その成功が失敗の種となり、急坂を転げ落ちるようなことがあります。よいことには、悪いことがセットになっているかのようです。

 でも、「失敗してしまった」と落ち込んでいたら、その失敗の時に新たなアイディアを思いつき、これが成功の種になることもあるので、人生はわかりません。

 「ふたつよいことさてないものよ」は、物事の「片面」だけを見るのではなく、「両面」を見ることの大切さを私たちに教えてくれています。

 管理職として精力的に働き順調に出世をしてきた中年のビジネスマンが、突然、病気となりしばしの入院を余儀なくされる。よくあることです。「病気になった」ことは不幸かもしれません。

まっつん
まっつん

でも、どうでなのでしょう。もし、そのまま働き続けていたら、取り返しのつかない…それこそ会社を辞めるような「大病」を患うことになったかもしれません。そう考えると、病気になったことで、「未来の不幸」をやり過ごし「未来の幸せ」を手にした、ともいえるわけです。

 人生、どこかで帳尻が合うものだ、といいますが、いいことがあれば悪いことがあり、悪いことがあればいいことがあり、そうしてバランスがとれているのですね。

 病気になって人生に急ブレーキをかけられた人が、よくこんな言葉をつぶやきます。

「病気になったのは、人生、ここで少し休めと、神様がくれた休憩時間ですよ」

 河合先生は、こう書いています。

河合隼雄の言葉

 ふたつよいことがさてないものよ、とわかってくると、何かよいことがあると、それとバランスする「わるい」ことの存在が前もって見えてくることが多い。それが前もって見えてくると、少なくともそれを受ける覚悟ができる。人間は同じ苦痛でも覚悟したり、わけがわかっていたりすると相当にしのぎやすいものである。

『こころの処方箋』(河合隼雄 新潮社)p16

 河合先生は、こころに関する「法則」はあまり当てにならなかったり、一面的であったりするので、あまり好きではないといいます。でも、「ふたつよいことさてないものよ」の「法則」は、好きだと書いています。

 悪いことがあったら、その前にあったいいことを思い出して「バランスがとれた」と考えるのはどうでしょう。

 嫌なことがあったら、「こんあ嫌な目にあったら、”ふたつよいことさてないものよ”で、次は、きっといいことが起きるだろう」と考えるのも、人生の辛い時をしのいでいく「こころの処方箋」ですね。

名言❷「100%正しい忠告はまず役に立たない」

 お酒をやめられない人に「お酒をやめなさい」と忠告する。いつも遅刻してくる社員に「遅刻するな」と叱る。失敗するとすぐに落ち込んでしまう人に「落ち込まない方がいいよ」とアドバイスする。努力の足りない人に対して「もっと努力しろ」と叱咤する。

 忠告として、どれも間違っていません。どれも「正しい」ものです。

 でも、河合先生が「100%正しい忠告はまず役に立たない」というように、上に書いた例は、言われてみると確かに、「正しいけど役に立たない」アドバイスであることがわかります。

 それは、自分の身に置きかえてみて、誰かから「正しいこと」を言われた時を想像してみるとわかります。

 何かしら「やめたほうのよい」があるとします。でも、なかなかやめられなくて、それを「やめればいい」と「正しいこと」を言われたら、「そんなことは言われなくてもわかっている」と、怒りの感情がわいてくるでしょう。

 「正しいけど役に立たない忠告」を、つい誰もがしてしまうものです。

まっつん
まっつん

 なぜなのでしょう。なぜなら、「忠告をされる人」ではなく、「忠告をしている人」が満足するからです。正しい忠告をいうことは、少なからぬ「達成感」「満足感」を、その人にもたらします。

 私たちは、つい無意識のうちに「役に立たない正しいこと」=「役に立たない忠告」をいいがちです。そこで、忠告をする時の心構えを、河合先生は次のように書いています。

河合隼雄の言葉

 己を賭けることもなく、責任を取る気もなく、100%正しいことを言うだけで、人の役に立とうとするのは虫がよすぎる。そんな忠告によって人間が良くのなるのだったら、その100%正しい忠告を、まず自分自身に適用してみるとよい。「もっと働きなさない」とか、「酒をやめよう」などと自分に言ってみても、それほど効果があるものではないことは、すぐわかるだろう。

『こころの処方箋』(河合隼雄 新潮社)p16

 では、正しいことはいわないほうがいいのでしょうか。

 そんなこともないのが、この世の中です。

 「札つきの悪」だった生徒が、社会人になって真面目になって働くようになり、学生時代を振り返って「あの先生だけでは真剣に叱ってくれた」と感謝することがあります。

 つまり、「正しくて役に立たない」ことであっても、「真剣味」があると、言葉を超えた何かが相手に伝わっていくのです。その点を「己を賭けることもなく、責任を取る気もなく」と、河合先生は指摘しているのですね。

 問われているのは、どれだけ正しいかではなく、どれだけで真剣であるか、ですね。

名言❸「マジメも休み休み言え」

 「冗談も休み休み言え」はわかります。そうではなくて、「マジメも休み休み言え」です。これは、どういったことでしょう。

 「マジメも行き過ぎると害が大きくなる」ということです。だから、マジメなことも休み休み言うぐらいで、ちょうどのいい、というわけです。

 このコラムで、河合先生は、アメリカのウォーターゲート事件の国会での証人喚問をテレビで見ていたことについて書いています。ウォーターゲート事件では盗聴がありました。アメリカの国会で電話機が用意され、盗聴をしていた人物に対して「実際にどのようにしていたかをやれ」と、命令します。

 すると、その人物は、受話器のとろこに歩いていき「まさか、これは盗聴されてないのでしょうね」とジョークを飛ばし、国会にいた一同の爆笑を誘ったのです。

 小さな失言でネットが炎上し、政治家が窮地に追い込まれる日本の現状を考えると、信じ難いことです。同じことを、今の日本の国会でしたら、「冗談も休み休み言え」では済まず、「人としておかしい」とか「二度と国会に来るな」とか、極めて厳しいバッシングを受けることでしょう。

 アメリカは緊迫のある場面で「ジョーク」「ユーモア」「お笑い」を忘れません。ハリウッド映画のヒーローものでは、主人公が生きるか死ぬかの戦いを繰り広げている緊迫した場面でも、「お笑い」の要素を差し込んできます。

 「スターウォーズ」で、「C3PO」と「R2D」のかけあいは、緊迫した場面ほど「面白み」が増しています。

 この日本とアメリカの違いについて、河合先生はこう書いています。

河合隼雄の言葉

 アメリカでは烈(はげ)しく相手を攻撃する代わりに、相手の言い分も十分に聞こうとする態度がある。それに対して、日本的マジメは、マジメの側が正しいと決まりきっていて、悪い方がただあやまるしかない。マジメな人は住んでいる世界を狭く限定して、そのなかでマジメにやっているので、相手の世界にまで心を開いて対話してゆく余裕がないのです。

『こころの処方箋』(河合隼雄 新潮社)p16

 日本は今、「不寛容社会」だといわれています。

 誹謗中傷がうず巻くネットの世界を、少しでものぞけば、「不寛容社会」のリアルな現実を知ることができます。中傷された有名人が、自殺に追い込まれるケースもあります。

 『こころの処方箋』(河合隼雄 新潮社)の初版は1998年です。「マジメの側が正しいと決まりきっていて、悪い方がただあやまるしかない」。20年以上たって日本人の「マジメさ」による負の要素が、ますます色濃く出ているようです。

まっつん
まっつん

 本当にマジメだったら誹謗中傷はしないはずです。でも、変にマジメだから「自分は正しくて相手が悪い」となると「マジメに誹謗中傷」を繰り返すわけです。

 そんな時こそ、「マジメも休み休み言え」ですね。

 人を死に追いやるような誹謗中傷をやめることに、もっと「マジメ」になりたいものです。

名言❹「灯を消す方がよく見えることがある」

  河合先生が子供の頃に読んだもので、とても記憶に残っている逸話があります。方角がわからなくなった漁船の話です。

 漁船で海釣りに出かけ夢中になっているうちに、暗くなってしまった。潮の流れが変わったのか、方角がわからない。必死になって灯(あかり)をかかげて方角を知ろうとするが見当がつかない。
 そのうち、知恵のあるものが「灯を消せ」という。言われた通りすると、真っ暗闇となった。しかし、目が慣れてくると、遠くの方に浜の町の明かりのため、そちらの方がぼぅーと明るく見えてきた。そこで帰るべき方角がわかり、帰ってくることができた。

『こころの処方箋』(河合隼雄 新潮社)p114を要約

 人生、いろいろとあります。

 真面目に生きているのに、「どうして自分だけがこんな目にあわなければならないんだ」と、世を恨みたくなることも、人生では起きてきます。それはまさに「人生の暗闇」にひとりぼっちでいるような状況です。

 暗闇を抜けるには、行き先を照らす灯(あかり)が必要です。どっちの方角に進めばいいのかがわかれば、不安もやわらぎます。でも、一刻も早く「人生の暗闇」を抜けようとあたふたして、目先の範囲しか照らせない灯を手にしていては、結果はおぼつかないものになりがちです。

まっつん
まっつん

 「目先だけを照らす灯」とは、手っ取り早く効果が出るとされる、他人から与えられる何らかのノウハウです。そうした「即効性がある」とされるノウハウに次から次へと頼って、「自分で考える」ことをしないでいると、気休めの時間が過ぎるばかりになります。

 漁船の逸話にあるように、むしろ灯を消して「この不運も何か意味があるのだ」と、自分の境遇を引き受け、暗闇にいる覚悟を決め、自分で考えて考えて苦しんだ先に、遠くに進むべき方角が薄明かりとともに見えてくるようなことがあります。

 河合先生は、こう書いています。

河合隼雄の言葉

 目先を照らす役に立っている灯ーそれは他人から与えられたものであることが多いーを、敢えて消してしまい、闇のなかに目をこらして遠い目標を見出そうとする勇気は、誰にとっても、人生のどこかで必要なことと言っていいのではなかろうか。

『こころの処方箋』(河合隼雄 新潮社)p117

闇があれば光がある。闇があるから光も見えてくる。

人生の闇の中に意味を見出し、遠い目標を見つける勇気を持ちましょう。 

名言❺「強い者だけが感謝をすることができる」

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  河合先生は、カウンセラーの指導をします。ある企業カウンセラーの方から、「感謝」に関する話を聞きました。

 そのカウンセラー曰く、「その人がいろいろと努力をされて、自分の力でよくなってゆかれたなあ、と思う人は、終わってから感謝の言葉」(p146)を述べるのですが、反対に、カンセラーの方が「大変な苦労をして、あちこち走りまわったり」(p146)して「そのようなことを何年も続けているような方は、めったに感謝の言葉」(p146)を言わない、というのです。

 この話に対して河合先生は、「感謝できる人は強い人です」と応じました。

 感謝をできない人について、河合先生はいくつかの理由をあげてます。

 ひとつ目は、理不尽な苦しみを受けているのは、私が悪いのではなくて、他人や会社や社会が悪いのだから、少しぐらいよくしてもらって「当たり前」だと考えている点です。

 「ありがたい」の反対は「当たり前」。

 何事も「〜されてもらって当たり前」と考えていたら、「ありがたい」とう感謝の念はわいてきません。その結果、「感謝の言葉」もないわけです。

 ふたつ目の理由として、感謝をすると、相手が「上」で自分が「下」だ、と考がちな人のいることもあげられます。

 人間関係を「上下」で判断する人がいます。どっちが「上」でどっちが「下」かに、やたらとこだわるのです。学歴や出身地や住んでいる場所や役職など…。自分が相手より「上」であれば安心し上機嫌ですが、自分が相手より「下」だとわかると、不機嫌になったり関係を断とうとします。

まっつん
まっつん

 初対面なのに、自分のことは一切話さず、いきりなり、目を大きく見開いて、「どこにお勤めですか」「どこにお住まいですか」などと、人のプライベートを根掘り葉掘り聞いてくるような人が確かにいます。

 人間の「上下」にこだわる人は、「感謝をする」と自分が「下」になるように思えてくるので、「ありがとうございます」と口にすることに強い抵抗感があるのです。こうした人は、感謝しないことが、人としての「強さ」だと考えている節があります。でも、逆なんですね。

 河合先生は「感謝」について、こう書いています。

河合隼雄の言葉

 ある人がどの程度の強さをもっているかを前もって知っておくことが必要なときがある。そんなときに、その人が適切な感謝をする力があるかどうかは、相当に信頼できる尺度のように筆者は思っている。

『こころの処方箋』(河合隼雄 新潮社)p149

 ここで「適切な感謝」と書いているのがポイントです。

 「感謝」をギラギラと前面に出して、相手をコントロールしようとする人もいます。ですので、適切で、健康的な感謝をできることが「強さ」の証でもあるのです。

名言❻「道草によってこそ「道」の味わいがわかる」

 日本経済新聞の名物コーナーに「私の履歴書」があります。各界で活躍した成功者と呼べる人々が筆をとって、自分の半生をつづっています。

まっつん
まっつん

「私の履歴書」に登場する人物には共通する点があると、何かの本で読んだ記憶があります。それによりますと、多くの執筆者が「大病」や「事業の失敗」など、人生のどこかの時点で、大きな挫折を経験をしていることです。

 いつもどんな時も、順調だったというわけではないのです。人生の「道草」となる「挫折」を経験しているのです。その挫折があったらこそ、人生を歩む「道」が味わい深いものになっているのです。

 「道草によってこそ「道」の味わいがわかる」が見出しのコラムにも、成功した経営者が登場します。周囲の人から尊敬もされている方で、河合先生が「どうしてそのような豊かな生き方をされるようになりましたか」と訊いたところ、「結核のおかげですよ」と答えと、書かれてあります。

 結核になって苦しんだ経験が、経営者になってから活きている、というのです。

河合隼雄の言葉

 経営者となって成功してから考えると、結核による「道草」は、無駄ではなかったのである。(中略)人に遅れをとることの悔しさや、誰もができることをできない辛さを味わったことによって、弱い人の気持ちがよくわかるし、死について生についていろいろ考え悩んだことが意味をもってくるのである。 

『こころの処方箋』(河合隼雄 新潮社)p167

 左遷させられたり、事業を失敗したり、人間関係が破綻したりして、人によって「道草」をくわされることがあります。やけになる人もいますし、メンタル的に不調になる人もいます。

 そんな人生を「遠回り」させられるような「道草」の時に、実は、「かげがえのない豊かな経験」をしているものです。

 「道草」をすることで、学ぶことがあります。「道草」をしたからこそ、わかることがあります。

 人生には「道草」にしか咲いていない花があるものです。

名言❼「羨ましかったら何かやってみる」

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 隣の芝生は青く見えるものです。世の中見渡してみると、いろいろな人が経済的に成功し、人生をエンジョイしているようで、羨(うらや)ましく思えてきます。

 SNSの普及によって、他人の「人生を謳歌する姿」をリアルタイムで知ることができるようになったので、現代人は「羨ましい」と感じる機会が増えていると考えられます。

 「羨ましい」という気持ちは、行き過ぎると「憎しみ」「嫉妬」になるので、どちらかといえば否定的な感情だと考えられています。「羨ましい」と感じてはいけないと思いがちです。

 でも、「羨ましい」という感情をよく見つめて、活用する方法もあります。

 「羨ましい」は、「自分の持っていないものを他人が持っている、ということに生じてくる感情」(p199)です。であれば、羨ましい感情の奥には「未開発」の何かが眠っていると考えてみたらどうでしょうか。

 学生時代にスポーツに打ち込んだ人であれば、上には上がいることを痛いほど味わったでしょう。全国大会に出場する強豪高校で活躍して、大学に行ったら、まるで歯が立たなかったという話はよく聞くことです。

 そんな時、大学での部活をやめてしまう人もいます。一方で、「こんなにも才能が違うのか」と「羨ましい」と思いつつ、だからこそ「自分にないものを身につけようと」努力する人います。

まっつん
まっつん

そう考えると、「羨ましい」と感じた出来事の中に、努力・自己研鑽の方向性を見出すことができるのです。それは「未開発」の自分の力です。

 「隣の芝生はいつも青くていいな」と羨んでばかりいて、自分の家の芝生を手入れしないのは本末転倒です。隣の芝生を羨む時間を、我が家の芝生を手入れして青くする時間に当てればよいのです。

 河合先生は、こう書いています。

河合隼雄の言葉

 自分にとって実に多くの未開発の部分があるなかで、特に何かが「羨ましい」という感情に伴って意識されてくるのは、その部分が開発すべきところ、あるいは、開発を待っているところとして、うずいていることを意味しているのです。

『こころの処方箋』(河合隼雄 新潮社)p167

 羨ましいは、こころのうずきです。何がうずいているのかを理解し、冷静に受け止められたら、大きく変わるチャンスです。

 人生は、トライ&エラーの繰り返しです。

 その「うずき」を力に変えて、他人を羨むより、自分でやってみましょう。

(文:松山 淳


アイキャッチ画像肖像画:出典:ウィキメディア・コモンズ (Wikimedia Commons) File:Hayao Kawai.jpg 文化庁長官 河合 隼雄(かわい はやお)原典:日本政府


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