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村上春樹の名言10選

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村上春樹 略歴

 1949年(昭和24年)京都生まれ兵庫県芦屋育ち。両親は国語の教師。兵庫県立神戸高等学校から早稲田大学に進学。学生時代にジャズ喫茶を国分寺駅近くに開店。喫茶を経営しながら書いた『風の歌を聴け』が「群像文学新人賞」を受賞。高橋陽子と学生結婚。

 1986年ヨーロッパに移住。1987年『ノルウェイの森』が大ベストセラーとなる。1991年米国プリンストン大学の客員研究員となり渡米し、翌年1992年、講師となる。1999年、桑原武夫学芸賞受賞。受賞作はオウム真理教信者へのインタビュー集となる『約束された場所で』。2000年2月、阪神・淡路大震災をテーマとする『神の子どもたちはみな踊る』を上梓する。社会的な問題を扱うようになる。

 2009年、イスラエルの「エルサレム賞」を受賞。エルサレムで行ったスピーチは連日ニュースとなり社会的に注目された。同年、『1Q84』で毎日出版文化賞を受賞。『1Q84』は、400万部を超える大ベストセラー。2017年『騎士団長殺し』、2020年短編集『一人称単数』を出版する。

【主な著書】『風の歌を聴け』、『羊をめぐる冒険』(野間文芸新人賞)、『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』、『ノルウェイの森』、『国境の南、太陽の西』、『ねじまき鳥クロニクル』、『海辺のカフカ』、『アフターダーク』、『1Q84』、『騎士団長殺し』など。

村上春樹の名言1:嫌われることはナチュラル

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村上春樹の名言

「小説家として長い歳月にわたって小説を書き続けながら、同時に誰かに個人的に好かれることが可能であるとは、なかなか思えないのだ。誰かに嫌われたり、憎まれたり、蔑まされたりする方が、どちらかといえばナチュラルなことみたいに思える」

走ることについて語るときに僕の語ること (文春文庫)

 村上春樹さんの小説は全世界で読まれています。すると全世界の人々から批評の的となります。批評といえば聞こえはいいですけど、単刀直入にいえば「悪口」を散々、言われるわけですね。「あんな小説のどこがいいんだ、俺は嫌いだ」なんて、多くの人から攻撃されます。

 ファンが多いと、アンチが生まれます。

「ファンとなる球団はないけど、巨人だけは嫌いだ」。そう断言する人がいます。好かれる人が多いと、嫌われる度合いもひどくなるのは世の定めなのでしょうか。もし、定めなのであれば、それが自然なことですから、なるほど、村上春樹さんが、嫌われてしまうのは、「どちらかといえば、ナチュラルなこと」かもしれません。

 村上春樹さんは、嫌われることを喜んでいるわけではなく、「ナチュラルなこと」と、受け入れています。この受け入れる姿勢が大切ですね。

 100%誰からも好かれる人なんていません。嫌われることはナチュラルなことです。

 そんな風に考えると、人間関係において、少し肩から力が抜けてきます。

村上春樹の名言2:自分を磨けばいい

村上春樹の名言

腹が立ったら
 そのぶん自分にあたればいい。
 悔しい思いをしたら
 そのぶん自分を磨けばいい。

走ることについて語るときに僕の語ること (文春文庫)

 村上春樹さんは「そう考え生きてきた」そうです。

 小説家として作品を世に出した時、全ての人に受け入れてもらえるわけではなく、批判や批難が、どうしてもあります。ネガティブな評価を受けることに対して、村上さんはこう書いています。

「誰かに故のない(と少なくとも僕には思える)非難を受けたとき、あるいは当然受け入れてもらえると期待していた誰かに受け入れてもらえなかったようなとき、僕はいつもより少しだけ長い距離を走ることにしている」

走ることについて語るときに僕の語ること (文春文庫)

 生きていると、誰かから非難されたり、悪口をいわれたりすることがあります。村上さんの言葉は、そんな時の「こころ構え」となるものですね。

まっつん
まっつん

 非難された時、人は非難した人を非難しがちです。でも、心のなかでどれだけ非難合戦をくり広げても、問題は解決しないことのほうが多いものです。であれば、「自分にあたり」「自分を磨く」選択をしたほうが、未来はひらけてきます。

 非難され悔しい思いをした時、誰かにあたるのではなく、自分にあたる。

 その悔しさをバネにして、人は成長していくのです。

 やれる努力してみましょう。

 やったことは、人生の財産となるのですから…。

村上春樹の名言3:底まで行くと通じ合える

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『こころの声を聴く』(新潮社)
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村上春樹の名言

「みんなが自分の井戸に入って、ほんとの底のほうまで行くと、ある種の通じ合いのようなものが成立するんじゃないかと僕は感じるんですよ」

『こころの声を聴く』(河合隼雄 新潮社)

 誰かを理解しようとする時、その相手の話しを聴くことは、人間理解の王道ですね。

 話しを聴くと、自分と違う考えをもっていることに、驚いたり、腹をたてたり、感動したり、納得したりします。それは、他人と自分が違うことを深く知ることです。ある意味、自分と他人の「溝」(みぞ)を感じとることです。

 一方で、「他者を知るために自分自身を深くみつめる」という方法もあります。

 自己を理解することは、人間を理解することです。人間を理解することで、他者理解も深まります。

 自分という存在を掘って掘って深く知ると、日常の意識では気づけない自分に出会います。普段の自分とは違う自分が、自分の底に住んでいます。

 底にいる自分は、個性的でありつつ、他者と多くの共通点をもっています。

まっつん
まっつん

 ユング心理学には「集合的無意識」という考え方があります。集合的無意識とは「元型」が生み出される心の領域です。「元型」とは、「人類に共通する心の動き方のパターン」です。

 人はそれぞれ違うものですが、人はそれぞれ同じものも、持っているのです。

 自分と他者とは違っていて、「溝」(みぞ)もあれば、共通する「土台」もあります。

 「なんだかんだいって同じ人間だね」

そんな言葉がつい口をつく時、私たちは個人を超越した存在としてつながりあっています。

 人は、ほんとの底のほうまで行けば、通じ合えるものなのです。

村上春樹の名言4:それは仕方のないことではない

『遠い太鼓』(講談社)
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村上春樹の名言

「誰だって歳は取る。それは仕方のないことだ。
 僕が怖かったのは、あるひとつの時期に達成されるべき何かが達成されないまま終わってしまうことだった。
 それは仕方のないことではない」

『遠い太鼓』(村上春樹 講談社)

「歳をとる」

 そう口にするると、なんだかネガティブな感じがします。

「年齢を重ねる」

 そういうと「歳をとる」よりは、少しポジティブな感じがします。

 「とる」と「重ねる」。2つの言葉のニュアンスの違いが大きいのかもしれません。

まっつん
まっつん

 年齢を重ねていくと、失うものもありますが、得てきたものもあります。今日まで積み重ねてきたもの、その全てを否定できるわけではなく、また、時が流れることで、過去に否定したことを肯定できるようにもなります。  

 年齢を重ねることは、肯定できる何かに巡り会っていくことであり、まんざら悪いことではありません。

 若かりし頃に、漠然とでも、こんな大人になってこんな生活をして、と理想を抱くことがありますね。

 でも、どんどん時間が過ぎていき、かつて抱いたイメージと現実が乖離していき、なんともいえない焦りや失望感を抱くこともあります。それを「仕方ない」と思うことも「仕方のない」ことです。

 でも、村上さんのように「仕方のないことではない」と考えることで、向上心が生まれてくることもあります。

 年齢を重ねて向上心が湧いてくるなら、その要因は何でもいいでしょう。例え、怖れであっても…。怖れは人を変える動機として健全なものです。

「仕方のないことではない」

そう自分を鼓舞し、希望をもつことが、人生にみずみずしい張りを与えてくれます。

村上春樹の名言5:僕が僕であって、誰か別の人間でないこと

走ることについて語るときに僕の語ること (文春文庫) 表紙画像
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村上春樹の名言

「僕が僕であって、誰か別の人間でないことは、僕にとってのひとつの重要な資産なのだ。
 心の受ける生傷は、そのような人間の自立性が世界に向かって支払わなくてはならない当然の代価である」

走ることについて語るときに僕の語ること (文春文庫)

 人生をうまくやっていくためには、「他人にあわせること」を必要とします。山奥に住む自給自足で生きる孤独な仙人なら別ですが、「他人にあわせる」ことは、人間関係を上手にやりくるする知恵のひとつです。

 他人にあわせるから人は、トラブルを最小限におさえ、穏やかな日々を送ることができます。心に負う傷を少なくできます。

 だから、「他人にあわせること」は、決して否定することではなく、「僕が僕であること」は、他人に合わせることで、そう簡単に崩れるものではありません。

 ただ、より積極的に、「僕が僕であること」を確立し証明ようとすると、他人とぶつかり、心に傷を負うことがあります。なぜなら、他人と自分は違っているので、その「違い」が原因となって対立が生まれるからです。

 その対立を恐れて、「他人にあわせ過ぎる」と、僕が僕でなくなっていきます。自分がわからなくなっていきます。

「僕が僕であろうとする意志」

まっつん
まっつん

 その意志は、時に傷を負う事態を招きます。でも、傷を負った分、「僕が僕であろうとする意志」は強くなり、それからの「僕」(自分)を支える力になります。 

 他人に合わせることはとても楽なので、ついつい、そうしてしまうけど、楽なことをつづけると、ある時、ものすごい勢いで「僕」(自分)にダメージを与えてしまいます。

「僕」という資産は、「他人と違っていい」という、心の傷を怖れない意志によって創られていくのです。

村上春樹の名言6:常に悪を抱えて生きている

『約束された場所で』(文藝春秋)
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村上春樹の名言

人間というのは自分というシステムの中に常に悪を抱えて生きているわけですよね」

『約束された場所で』(文藝春秋)

 水清ければ魚住まず。

 あまりに「清い」と、生き物が生きにくくなる、その比喩です。

 「清く生きよう」

そう思い理性的に自分を律して生きることは、とても尊いことです。

まっつん
まっつん

 でも、人間、100%清くなることは、難しいものです。なぜなら、人には理性に反する本能があるからです。理性より本能のほうが、力が強いからです。

 それに、世の中、清さを求めている人ばかりじゃありません。

 「清い人」は「清くない人」をものすごい勢いで批判したり、攻撃したり、排除したりします。それって、批判される側から見たら「悪」といえる行為じゃないでしょうか。

 SNSで誰かをターゲットにして、徹底的に攻撃することに似ています。それが原因で自殺者まで出ています。

 でも「清い人」は、自分のしている「悪」を、「清き戦い」として、「善」にしたてあげます。

 善は悪となり、悪は善となる。ふたつは相反しながら似ていて、どちらから見るかによって判断は変わるものです。

 だから、「悪の部分みたいなもの」を誰もがもっています。

 「悪」を抱えていることが怖いのではなく、自分のなかに住む「悪」に対して無自覚になっていることが怖いのです。

 なぜなら、無自覚だと「悪」が暴走するからです。

「自分だって悪を抱えて生きている」

そう自覚できていない人ほど、どうも他罰的で、少しの悪を許さない不寛容である傾向が強いようです。

誰だって少しの「悪」を抱えていて、我が身を振り返ってみれば、「悪」をしたことはあるはずです。

そう「自己の濁り」「自分の悪」をおおらかに認めることが、むしろ、人として健康的です。

村上春樹の名言7:結論なんてないのだ

『雑文集』(新潮社)
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村上春樹の名言

「世の中のものごとには多くの場合、結論なんてないのだ。とくにそれが重要なものごとであればあるほど、その傾向は強くなっていく」

『雑文集』(新潮社)

 決断を下す。

 結論を出すことが、人間の仕事です。

 人生において、仕事において、結論を出さなければ、実行が伴わず、結果も出ません。

 右に行くか左に行くか。岐路に立った時、どっちに行くべきかを迷いながら、「こっちにいこう」と決断することで、人生は前に進んでいきます。

 その決断が「正解」なのかどうかは、わかりません。

まっつん
まっつん

 「正解」と「不正解」は、常に未来に用意されています。その未来を実際に歩いてみて、「正解」か「不正解」かがわかります。

 ところが、ある時点で「正解だ」と思ったことが、さらに歩いていくと、やっぱり「不正解だった」なんてことがありますね。

 ひとつの結論を10年、20年とおいかけていくと、結論の正解、不正解が、時の流れとともに玉虫色のように変化していくのです。

 「あの時、あーしてればよかった」と思ったことが、「やっぱり、あの時、あーしていなくてよかった」みたいに…。

 夫婦関係が悪化して、「この結婚は失敗だった。離婚したい」と結論づけていたことが、数年たって「この人と結婚して、やっぱりよかった」と思うようになることは、決して珍しいことではありません。

 結論を出すことは、時に、とても難しいことです。

 けれど、正解か不正解は、後で変わるのだから、村上さんのように「結論なんてない」と考えて、何より気をわずらわせないことが大切です。

村上春樹の名言8:受け入れ覚悟を定める

夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです 村上春樹インタビュー集1997-2011 (文春文庫)
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村上春樹の名言

「その時点では何だかよくわからない。でもよくわらかないからこそ、人生にはきっと意味があるんだろう。よくわけがわからないからこそ、これからどうなるのか先が見えないからこそ、人は必死になってそこから何かを吸収していくのだ」

夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです 村上春樹インタビュー集1997-2011 (文春文庫)

 国際的に成功している日本人の小説家として村上春樹さんの名前をあげても、否定する人はそれほど多くないでしょう。ノーベル文学賞をいつとるのか、期待され続けています。

 そんな村上さんは、プライベートをあまり公開しないことで有名です。

 インタビューに答えることは数少なく、その数少ないのをまとめたのが、『夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです 村上春樹インタビュー集1997-2011』 (文春文庫)です。

 上の言葉は、「あとがき」にありました。村上さんは「あとがき」に、こう書いています。

「歩みが停滞することもあった。めげることもあれば、失望しうんざりすることもあった。いつも確信をもって前に進み続けていたというわけではなかった」(by 村上春樹)

 村上春樹さんの小説が嫌いな人は多いですね。嫌いな人は、村上さんを批判します。「こんなの小説じゃない」みたいに…。

 そういった声が実際に村上さんの所にも届くようです。批評家をあまり信頼していないと村上さんはいいます。そして、信頼しているのは読者だと…。

まっつん
まっつん

 批判され、悪口をいわれ辛くなった経験があって、そして、あの村上さんでも「何だかよくわらかない」「失望しうんざりすることも」あって、でも、だからこそ「意味がある」というわけで、そんな言葉にとても励まされます。

 誰だって、うまくいかないことはあります。心無い批判に苦しんだ人も多いでしょう。

 そんな時こそ、自分なりに「意味」を見いだせると、いいですね。

「人生って、よくわからないからこそ、意味がある」

 これって、ちょっと矛盾していますけど、人生、矛盾していることのほうが多いですから、そうした矛盾を受けいれていくことが人をたくましくしていくのですね。

 人生、よくわけがわからないからこそ、人は何かを吸収し成長できるのです。

村上春樹の名言9:学校で学ぶ重要なこと

 

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村上春樹の名言

『学校で僕らが学ぶもっとも重要なことは、「もっとも重要なことは学校では学べない」という真理である』

走ることについて語るときに僕の語ること (文春文庫)

「学校での学び」

 これを頭から100%否定することはないと思います。先生から、友だちから、学校で過ごした時間で、人生に大切なことを学ぶことができます。

まっつん
まっつん

 学校で学んだことが、実際に役たち、先生から教わったことが、社会人になっても、作用し続けることは決して、珍しい話しではなく、むしろ、より多くの人が、そう感じていることと思います。

 もちろん、そうでない人もたくさんいます。村上春樹さんがいうように、「もっとも重要なコト」が学べないという真理は、確かにあるでしょう。

 というのも、その「もっとも重要なコトは人それぞれ」だからです。

 A君とB君では、人生にとって大切なことは、違います。それを画一的に「誰にも重要なコト」と決めていることには、無理があります。学校での教えが、A君には響き、B君には上の空、となることは普通です。

 だから、「学校では学べなこともある」と学ぶことですね。

 学校がなければ、「学校で学べないことがある」と気づくことができません。

 そう考えると、学校での学びは、やっぱり大切となりますね。

村上春樹の名言10:最も簡単な言葉で最も難解な道理を

夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです 村上春樹インタビュー集1997-2011 (文春文庫)
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村上春樹の名言

「僕自身が理想的だと考える表現は、最も簡単な言葉で最も難解な道理を表現することです。
 少なからざる人がごく簡単な道理を難解な言葉で表現しようとします。これは馬鹿げているだけではなく、時としてとても危険なことでもあります。」

夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです 村上春樹インタビュー集1997-2011 (文春文庫)

「難しいことをやさしい言葉で」

 これは文章を書く人が、いつかは到達したい境地であり、常に心がけている戒めの言葉でしょう。

 かの「井上ひさし」さんも、文章を書く時に心がけていたこととして、こんな言葉を残しています。

むずかしいことをやさしく 
やさしいことをふかく

ふかいことをゆかいに

 ある本で、井上ひさしの執筆する机の前の壁に、この言葉の貼られているのを見たことがあります。

 その心中は、村上春樹さんと似ています。

 文章を書く時、自分の知を誇ろうとして、専門用語が幅をきかせたり、難解な表現に酔ったりして、一般の人にはよくわからない文章になってしまうことがあります。

 表現に凝ると、自分は「よくわかる」のですが、他人からは「よくわからないな~」と思われてしまいます。

「最も簡単な言葉で最も難解な道理を表現する」
むずかしいことをやさしく

この心得は、文章を書く時だけでなく、いろいろな場面に通用する戒めの言葉です。

(文:松山 淳


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