性格検査MBTI®︎を活用した自己分析「オンライン個人セッション」

『夜と霧』《フランクル心理学》

フランクル心理学「夜と霧」のアイキャッチ画像

 『夜と霧』は、ロゴセラピーの創始者ヴィクトール・E・フランクル(1905-1997)がナチスの強制収容所に収監されていた時の模様を描いた著書。1947年に出版された。日本での出版は1956年。原題は「強制収容所におけるある心理学者の体験」である。英語版は『Man’s Search For Meaning』。

 日本版のタイトル『夜と霧』は、1941年から始まったアドルフ・ヒトラーの特別命令に由来する。いわゆる「ユダヤ人狩り」のことである。フランクルは1942年10月、37歳の時にテレージエシュタット収容所に連行され、1945年4月、39歳の時にダッハウ収容所の支所「テュルクハイム病院収容所」で解放された。『夜と霧』の物語は、1944年10月にテレージエシュタット収容所からアウシュビッツ収容所に移送された所から始まり、テュルクハイム病院収容所でフランクルが解放されるまでの約半年間である。

 フランクルは解放後、9日間で『夜と霧』を書き上げたとされている。1985年時点で、18か国語に翻訳された世界的ベストセラーである。日本では翻訳者を変えて、旧版と新版があり双方とも「みすず書房」から発売され続けている。

 『夜と霧』には何が書かれているのか。旧版(1961年初版)をベースにして、そのエッセンスを紹介していく。

一. プロローグ

「夜と霧」(みすず書房)の表紙画像
『夜と霧』(旧版)
クリ
 ックするとAmazonへ!

 「ブロローグ」で、フランクル は『夜と霧』の原題「一心理学者の強制収容所体験」の言葉から書き始め、『夜と霧』を描いた意図と全体像を提示しています。外部の人間が取材したものではなく、収容所を実際に体験した心理学者が、収容所での出来事を記述したのが『夜と霧』の他にない特徴です。

 この叙述は、あの身の毛のよだつ戦慄ーそれはすでに多くの人によって描かれているーを述べるのを目的とせず、むしろ囚人の多くの細やかな苦悩を、換言すれば、強制収容所において、日々の生活が平均的な囚人の心にどんなに反映したか、という問題を扱うのである。

『夜と霧』(旧版)〈V・E・フランクル みすず書房)p75

 119104。

これがフランクル の囚人番号です。フランクル は1945年4月解放される直前の数週間は、テュルクハイム病院収容所の医師として働きました。それまでは囚人119104でした。この数字を提示することで、フランクル は自身があくまで「平均的な囚人」のひとりであり、人間としての扱いを受けなかったことを強調します。

 『夜と霧』は、フランクル が体験した主観的記述であり「私的な体験談」と言えます。「私的な体験談」であれば、医師が心えるべき科学的客観性は乏しくなります。その批判を覚悟しつつ、勇気をもって語ることの重要性をフランクルは主張します。

 それ自身歪んでいるということは可能だし、あり得ることなのである。そのことは常に考慮に入れなければならない。ただ、重要なのは、所謂(いわゆる)私的なことを叙述からできるだけ排除し、しかしもし必要ならば、体験の個人的な叙述する勇気をもつということなのである。

『夜と霧』(旧版)〈V・E・フランクル みすず書房)p75
※(いわゆる)は筆者が追加

「私的体験談」でありながらも、客観的であろうとした医師としての姿勢が、『夜と霧』の文体を感情的に抑制されたものにし、作品の質を高めています。

 プロローグの最後では、強制収容所の観察から囚人の心理的反応を3段階に分類しています。

  1. 収容所に収容される段階
  2. 本来の収容所生活の段階
  3. 収容所からの釈放・解放の段階

 『夜と霧』は、この3段階に分けて記述が展開していきます。

 第一段階の「収容所に収容される段階」が、アウシュビッツ収容所に到着したシーンから描かれます。

フランクルの収容所勾留の変遷

1941年 ナチス当局から出頭の通達

親衛隊の相談にのり、1年間勾留が延長される。

1942年9月 テレージエンシュタット収容所に拘留される

フランクルの両親、妻と共に連行される。

1944年10月 アウシュヴィッツ収容所へ移送

労働者として選別される。勾留は数日でダッハウ収容所へ。

1944年10月 ダッハウ収容所へ

『夜と霧』で描かれる世界の多くはダッハウ収容所

1945年3月 ダッハウ収容所の支所「テュルクハイム病院収容所」へ

ダッハウ収容所の医師から依頼され、フランクルは志願してテュルクハイム病院収容所へ行くことになる。

1945年4月 テュルクハイム病院収容所で解放される

二. アウシュヴィッツに到着

 「恩赦妄想」

 この言葉は、死刑囚が、死刑の直前に「恩赦で自分で許されるかもしれない」と楽観的な妄想を始めることです。フランクル はテレージエントシュタッド収容所から数日かけて鉄道で移動させられました。着いた場所が悪名高き「アウシュヴィッツ」であることを知り、戦慄します。

 アウシュヴィッツでフランクル は身ぐるみ剥がされ、親衛隊員に「何としてとっておきたいのだ」と切実に願った学術書の原稿も没収されてしまいます。いい靴を履いていた人は、他のボロ靴をあてがわれました。

まっつん
まっつん

 この時没収された原稿をベースにして、解放されてから書き上げたのが、ロゴセラピーを解説した『死と愛』(みすず書房)です。もちろん、この時のフランクル は、奪われた原稿が、後に、本となって世に出ることなど知るよしもありません。

 フランクル は、アウシュヴィッツでの心理的反応を2つ述べています。

 ひとつ目が「すてばちなユーモア」です。裸にされシャワー室に連れていかれた時、冗談を口にし無理にでも陽気でいようとしました。ふたつ目が「好奇心」です。

 アウシュヴィッツにおいても、このいわば世界を客観化し、人間を距離をおいて見る殆ど冷たい好奇心が支配した。それはこの瞬間において心をひきしめ、自らを救おうとする注視と期待の気分であった。

『夜と霧』(旧版)〈V・E・フランクル みすず書房)p94

 「冷たい好奇心」についてフランクルは、岩からずり落ちていきながら冷静に自己を観察していた時のことを例にあげ説明しています。彼はロッククラミングを趣味としていました。

 怪我をする時など、「あっ、これはまずいな」と思いながら、自分の状態を見つめている「もう一人の自分」を感じることがあります。

 「冷たい好奇心」は心身を守る自己防衛の役割を果たすのでしょう。

 第二章では、認知を変容させレジリエンスを高めるヒントとなる言葉が最後の方で記されます。

 異常な状況においては異常な反応がまさに正常な行動である。

『夜と霧』(旧版)〈V・E・フランクル みすず書房)p99

 コロナ禍や戦争という「異常な状況」となった時に、心身に何らかの症状が出るのは「正常なこと」と考えてみるのです。自分だけ心が弱いのではないか、異常なのではないか、と自分を責めることが状況を悪化させてしまいます。

 その反対に、「異常なことが正常」と認識できれば、自分に起きている受け入れがたい心身の反応を受容することができます。今ある状況を否定せず、受け入れいていくことが、心身によりよい変化をもたらすのです。

 さて、アウシュヴィッツに着いた多くの人は恩赦妄想も虚しく、そのまま収監され殺されました。フランクルは違いました。彼は「労働者」として選抜され、数日後、ダッハウ収容所へと移送されるのです。

 次の章「死の蔭の谷にて」で、フランクル は囚人心理の「第2段階」から話しを始めます。  

三. 死の蔭の谷にて

 第2段階とは「比較的無感動」の段階です。

 フランクル のいう「比較的無感動」とは、自分の置かれた状況や目の前で起きている悲劇に対して無関心、無感覚になっていくことです。

 強制収容所ですので、多くの死者を目にします。さっきまで話ししていた仲間が、死んで横たわっていることも珍しくありません。そんな時でも、嘆き悲しむことがなく、ただ傍観するだけのような感情の動かない心理状態になっていったのです。

 無感覚、感情の鈍麻、内的な冷淡と無関心…収容囚人の心理的藩王の第二の段階のこれらの特徴は、彼をまた間もなく毎日の、また毎時間の殴打に対しても無感覚にさせた。この無感動こそ、当時囚人の心をつつむ最も必要な装甲であった。

『夜と霧』(旧版)〈V・E・フランクル みすず書房)p103105

 理由もなく殴られ蹴られることに対して身体的に無感覚になるものの、家畜のような扱いを受けることに対しての心理的「苦痛」は感じていました。人間の尊厳を踏みにじられることへの憤りです。

 1日に与えられる食事は、わずかなパンとスープのみです。もしスープに具が入っていたら喜びでした。飢えを常に感じる状況のためか、寝てみる「夢」は「パンや果物パイや煙草や温かい素晴らしい風呂」(p111)などであったと、フランクル は報告しています。

まっつん
まっつん

 フロイト流に考えれば、夢は「願望充足」のためにみるものです。現実で満たされない欲求(願望)を、夢によって満たします。フランクルたち囚人が見た夢は、フロイトの理論と一致します。

 誰もが心地よい夢を見られればいいですが、悪夢にうなされる人もいました。フランクルはある日、横で寝ている仲間が悪夢にうなされ転げ回っているのを目撃します。この時、フランクルは苦しむ仲間を起こそうとした瞬間、慌てて手を引っ込めました。その理由は次の通りです。

 なぜならばその瞬間に、如何なる夢も、たとえ最も恐ろしいものでさえ、収容所でわれわれを取り囲んでいる現実、すなわち私がすんでのことでそれへと目覚めさせようとした現実、に比べればまだましであるということが、強烈に私の意識にのぼったからである。

『夜と霧』(旧版)〈V・E・フランクル みすず書房)p111112

 悪夢より現実の方が恐ろしい。どれほど強制収容所の現実が過酷であったのか。その悲惨さが伝わってくるリアルなエピソードです。

 次の章でフランクル は、「悪夢の現実」を前にして、どのような心構えで臨んでいたのかについて語ります。囚人心理の第三段階は解放された時の話しですので、最後に書かれています。

四. 非情の世界に抗して

 収容所で囚人たちの関心のひくことに2つのことがありました。

 「政治的関心」と「宗教的関心」です。

 「政治的関心」とは、「戦争がいつ終わり、自分たちがいつ開放されるのか」についてです。様々な情報が飛び交い、希望をもたらす情報は、時が過ぎると多くのケースで失望に変わっていきました。

内的な豊かさへの避難

 「宗教的関心」は、祈りによって表現されていました。宗教に関心を持っていなかった者も、収容所に来てから祈るようになりました。祈りを捧げるような繊細な感性が、心を支える杖になっていたのです。

 元来精神的に高い生活をしていた感じ易い人間は、ある場合には、その比較的繊細な感情素質にも拘らず、収容所生活のかくも困難な、外的状況を苦痛ではあるにせよ彼等の精神生活にとってそれほど破壊的には体験しなかった。なぜならば、彼等にとっては恐ろしい周囲の世界から精神の自由と内的な豊かさへと逃れる道が開かれていたからである。かくして、そしてかくしてのみ繊細な性質の人間がしばしば頑丈な身体の人々よりも、収容所生活をよりよく耐え得たというパラドックスが理解され得るのである。

『夜と霧』(旧版)〈V・E・フランクル みすず書房)p121-122

 繊細な感性をもつ人が、屈強な身体をもつ人間よりも、「悪夢の現実」を逆に耐えられました。辛い現実において、内面世界へと避難することは、有効な手段といえます。

 フランクルは愛する妻を何度もイメージし、自身を勇気づけました。「たとえもはやこの地上に何も残っていなくても、人間はー瞬間であれー愛する人間の像に心の底深く身を捧げることによって浄福になり得るのだ」(p123)と書いています。

 自分を励ますイメージが心にエネルギーをもたらします。これこそ人間の心の豊かさを証明するものです。

ユーモアへの意志

 フランクルは収容所に入ってから無感覚・無感動になっていきました。しかし一方で、収容所生活の中で自然の風景に感動したり、歌を聞いて心を動かされたり、ユーモアを言い合うことを約束して互いに笑い合ったのです。地獄の日々に負けないように、囚人たちの心はより善きものを求めたのです。

 ユーモアもまた自己維持のための闘いにおける心の武器である。周知のようにユーモアは通常の人間の生活におけるのと同じに、たとえ既述の如く数秒でも距離をとり、環境の上に自らを置くのに役立つのである。

『夜と霧』(旧版)〈V・E・フランクル みすず書房)p131-132

 ユーモアを通して辛い現実の見方を変えようとする。

 これをフランクル は「ユーモアへの意志」と書きます。

 フランクルたちの目の前で繰り広げられる現実は、常に死と隣り合わせのひどいものでした。ひどい現実を、そのまま「ひどい」と受け取るのではなく、ユーモアで自分を離れたところから見るようにして「受け取り方」を変えていったのです。

 「笑い飛ばす」とは、まさにこのことです。

 ユーモアを語り笑うことは、自分や現実から距離をとり心を変化させる効果があります。この効果をフランクル は次のように表現しています。

自己距離化

 苦しい時は、心が苦悩に飲み込まれている状態です。自分と苦悩とに距離がとれていません。ですが、ユーモアを通して笑うことで、自分から距離をとることができれば、苦悩を眺めることができます。

 苦悩はそれが大きかろうと小さかろうとどちらにせよ人間の心、人間の意識を満たしているのであった。人間の苦悩の「巨大さ」も全く相対的なものになるのであり、他方それ自身は極めてささやかなことも最大の喜びをもたらし得るのであった。

『夜と霧』(旧版)〈V・E・フランクル みすず書房)p133

 つまり、見方・感じ方にひと工夫を加えることで、苦悩は相対的になっていくのです。「相対的になる」とは、「比較することで変化していく」ということです。

 フランクルはひとりの囚人として、と同時にひとりの心理学者として、自己の内面を見つめ、悪夢の現実に耐えている「心の動き」を冷静に観察していたのです。

五. 発疹チブスの中へ

 この章は、フランクルが解放される地となるダッハウ収容所に輸送されているシーンから始まります。ダッハウ収容所には、ユダヤ人を大量虐殺する「ガス室」がありませんでした。

 その後、過酷な強制労働で苦しむことになるのですが、生の可能性を高める事実を知り、フランクルたちは冗談を言い合い喜びでした。

本当に嬉しい瞬間

 フランクル は収容所生活での「二回だけ本当に嬉しい瞬間を体験した」(p139)こととして、食事のスープを分配するFコックの列に入れたことをあげています。

 多くのコックが仲間内の人間にはスープの具を多く分け与える不公平な行いを露骨にするのに対して、Fコックは、顔を見ることなく全く公平にスープを分ける人でした。囚人にとってスープの具があることどれほど喜びであるか、また、どれほどフランクルたちがひどい飢餓状態であったかがわかるエピソードです。

死を覚悟して

 フランクルはある時、病気となり病舎で4日静養をとることができました。静養期間が終わり夜間の労働中隊に配属されたら、それは死を意味していました。その時、収容所の医師が来て、発疹チブスに悩まされている他の収容所への勤務を打診してきました。

 これが最終的に解放される場所となるダッハウ収容所の支所「テュルクハイム病院収容所」です。

 フランクルは決断します。本当に病院収容所に行くのかはわかりません。ガス室へ直行して殺される可能性もあるのです。だから仲間たちは反対しました。しかし、フランクルの決意は固いものでした。

 どうせ死ぬことが決まっているのなら、私の死は意味をもつべきであった。医師として病める仲間を少しでも扶(たす)けることができるということは、現在のように役に立たない土工として、次第に弱り終には斃死(へいし)してしまうよりは、疑いものなく遥かに意義に充ちているように思われた。

『夜と霧』(旧版)〈V・E・フランクル みすず書房)p141

 苦悩に意味があるとするならば、人間は苦悩を引き受けようとします。

まっつん
まっつん

 フランクルの創始したロゴ・セラピーは、「生きる意味」を重視します。自己の為す行いに「意味」があることを求める「意味への意志」(will to meanineg)を認めます。

 フランクルの「死の覚悟」は、まさに「意味への意志」が働いた結果でもあったといえます。

 フランクル はガス室へ送られる可能性も視野に入れ、仲間に遺言を残します。そして、暴力を受け続け過酷な労働を強いられたダッハウ収容所を後にするのです。

六. 運命と死のたわむれ

 フランクルの決断は正解でした。彼はガス室へは送られず「テュルクハイム病院収容所」に行くことになったのです。解放後、仲間から聞いた話しでは、フランクルが去った後のダッハウ収容所は、それまで以上の飢餓状態に陥り、人間の肉を食べるまでになったのです。

 フランクルは、この「病院収容所」で解放されます。1945年4月のことです。6章では解放された時のことが描かれます。

 解放される直前、フランクルは同僚と脱走を計画しました。戦線が近づいてくるに連れて、医師であるフランクルは収容所の外に出ることができました。しかし彼は自分が診ている患者(囚人)たちを残して去ることに罪悪感を覚えて、脱走を断念するのです。

 患者の下に留まろうと私が決心するや否や、あのやましい感情は急に消えてしまったのだった。私はこのまま続く日々がどうなるかは知らなかった。しかし内面的には今までになかった程安らかであり、私の同僚の寝床板の足の所に坐り彼を慰めることに努め、それから他の発熱患者と語り安心させようとするのであった。

『夜と霧』(旧版)〈V・E・フランクル みすず書房)p141

 そして、収容所の最後の日が訪れます。

 フランクルたちを苦しめたナチス親衛隊やカポー(囚人の中から選ばれた囚人を管理する人間)は去って行きました。赤十字が来て、フランクルたちは保護下に置かれました。

 この時、「生」と「死」を分ける選択があったのです。

 赤十字がやってきた後、ナチス親衛隊たちが貨物自動車でやって来ました。残った囚人を捕虜との引き換えに貨物自動車に乗せてスイスに連れていくといいます。それは命が助かることを意味します。ところがフランクルは貨物自動車に乗る人数に入っておらず、残ることになったのです。

 不運と思われた出来事は、幸運でした。この貨物自動車に乗った囚人たちは、後にバラックに閉じ込められ火を放たれ殺されたのです。

 フランクルが生き延びられたのは、彼が提唱した心理学のためだでけではなく「神の采配」といえる幸運が重なったためでもありました。  

七. 苦悩の冠

 7章「苦悩の冠」から8章「絶望との闘い」にかけて「フランクル心理学」(ロゴ・セラピー)のエッセンスが語られます。

 強制収容所という地獄で、多くの人間の精神は地に落ちました。絶望し死を選ぶ人がいました。仲間を裏切り、自分だけ助かろうとする人がいました。

まっつん
まっつん

 全ての人の精神が朽ち果てたわけではありません。どんな状況に置かれても、どんな人間になるか、どんな態度をとるのか、その最後の選択は人間にゆだねられていたのです。

 その証拠に強制収容所には、模範と呼ぶべき人間が存在していました。他者に優しい言葉をかけ、パンのひとかけらを分け与える人がいたのです。

 彼等は、人が強制収容所の人間から一切をとり得るかも知れないが、しかしたった一つのもの、すなわち与えられた事態にある態度をとる人間の最後の自由、をとることはできないということの証明力をもっているのである。「あれこれの態度をとることができる」ということは存するのであり、収容所内の毎日毎時がこの内的な決断を行う数千の機会を与えたのであった。

『夜と霧』(旧版)〈V・E・フランクル みすず書房)p166

 フランクル心理学「ロゴ・セラピー」では、生きる意味を満たす3つの価値を提唱しています。「創造価値」「体験価値」「態度価値」です。3つの価値について詳しくは、「創造価値・体験価値・態度価値」に書いています。

創造価値・体験価値・態度価値 アチキャッチ画像創造価値・体験価値・態度価値

 フランクルが、与えられた事態にある態度をとる人間の最後の自由とは、「態度価値」のことを意味します。死の直前まで、どのような態度をとるのか、その選択の自由は残されています。そのとる態度によって人生に「意味」が満たされます。

 よって、フランクルが主張するように「どんな時にも人生には意味がある」といえるのです。

 苦悩は人間の業績です。苦悩の中で、その人の「とる態度」によって「生きる意味」が生まれ、その意味を生み出したことは「業績」だからです。

 一人の人間がどんなに彼の避けられ得ない運命とそれが彼に課する苦悩とを自らに引き受けるかというやり方の中に、すなわち人間の彼の苦悩を彼の十字架としていかに引き受けるかというやり方の中に、たとえどんな困難な状況にあってもなお、生命の最後の一分まで、生命を有意義に形づくる豊かな可能性が開かれているのである。

『夜と霧』(旧版)〈V・E・フランクル みすず書房)p141

 つまり、フランクルが6章の最後に「多くの囚人の如く貧しい生存をするか、あるいは少数の稀な人々の如く内的な勝利かである」(p176)と書くように、強制収容所を生きることは、ただの苦悩ではなく、実は、人生の意味を実現できる可能性に満ちた場でもあったのです。

 天使になるか悪魔になるか、最後は、人間自身が決めていたのです。

八. 絶望との闘い

 フラクル心理学は「希望の心理学」ともいえます。

 強制収容所を生き延びた人たちは、希望を失いませんでした。反対に、未来に希望を見出せなかった人たちは、残念な結果となりました。

 ある作曲家兼脚本家だった囚人は自分が睡眠中に見た夢の中で、「解放される日がいつになるか」のお告げを受けました。その日は5月30日でした。彼はそれを信じ期待しました。しかし5月30日が近づいても、戦争状況に大きな変化はありませんでした。彼は5月30日に意識を失い、翌日、亡くなりました。

 1944年のクリスマスと1945年の新年には、大量の死者が出ました。伝染病が蔓延したわけではありません。考えられる理由は、希望の喪失による心身の衰弱です。「クリスマスが来れば、解放されるのではないか」「新年になれば、きっと戦争が終わるのでは」。そんな希望が打ち砕かれ、囚人たちの生きる力は、消滅していったのです。

人生観のパラダイムシフト

 希望を失うことで弱くなってしまう人間に対して、フランクルが提唱するのは「生命の意味についての観点変更」です。

 人生はわれわれに毎日毎時問いを提出し、われわれはその問いに、詮索や口先ではなくて、正しい行為によって応答しなければならないのである。人生というのは結局、人生の意味の問題に正しく答えること、人生が各人に課する使命を果たすこと、日々の務めを行うことに対する責任を担うことに他ならないのである。

『夜と霧』(旧版)〈V・E・フランクル みすず書房)p141

 「生命の意味についての観点変更」は、人生観のパラダイムシフトを求めてきます。

 人間は「生きる意味があるか」「こんな人生に意味はないじゃないか」と問う必要はないのです。「意味」は常に存在するからであり、人間とは「問われている存在」だからです。

人生は人間に決して絶望しない

 「問われている存在」ですから、人は問いに答えていく義務があります。「問いに答えていく」とは、今、目の前にあるやるべきことを粛々と行っていくことです。それを人生(運命)からの問いかけととらえて、使命ととらえて、自分に与えられている務めを果たしていくのです。

 問われている存在と考えれば、いつでも未来に希望を見出すことができます。なぜならば、「問われている」とは「期待されている」ことであり、期待されているとは、そこに希望があることを意味するからです。

 人生に絶望するのは人間であって、人生は人間に決して絶望しません。

 期待され続けている存在、それが人間の本質です。

 フランクルは、「強制収容所の心理学」を講演しているシーンを思い描きました。そうして自分の未来に希望を持ち続けたのです。

九.深き淵より

 最終章「深き淵」では、囚人の心理的反応を3段階の最後「収容所からの釈放・解放の段階」について語られます。

解放後の離人症

 解放されて自由になっても、フランクルたちはすぐに自由を実感できませんでした。「頭ではわかるが、心が追いついていかない」状態です。それは現実感覚の喪失ともいえます。

 解放された仲間の体験したものは心理学的な立場からいえば著しい離人症であった。あらゆるものは非現実的であり、不確実であり、単なる夢のように思われるのである。まだ人はそれを信じることができないのである。

『夜と霧』(旧版)〈V・E・フランクル みすず書房)p198

 離人症は、強度のストレスを受けた場合に発症するとされています。長期に渡り、むごい経験をした囚人たちが離人症の症状を見せるのは当然といえば当然です。

 その離人症から抜けて現実感覚が戻ってくると、囚人たちは旺盛な食欲をみせ始めました。「人々は何時間も何日も夜遅くまで食べるのであった」(p199)のであり、食欲の次に来た欲求は、カタルシス(感情の解放)を目的としてか「語る」ことでした。

 自分が収容所で、どんな体験をしたのかは「語らざるを得ない」ものでした。

歪んだ倫理観

 囚人たちは食べ語り、現実に慣れていきました。

 慣れていきながら、被害者としての「権力意識」を強めていきました。つまり、「これだけひどい目にあったのだから、少しぐらい悪い事をしたっていいじゃないか」という歪んだ倫理感の登場です。

 フランクルが仲間と歩いていて、麦の芽が出たばかりの畑を避け歩こうとした時、「俺の妻も子供もガスで殺されたのだ!それなのにお前は俺がほんの少しの麦藁を踏みつけるのを禁ずるのか!…」(p202)と怒鳴りました。

 何人も不正をする権利はないということ、たとえ不正に苦しんだ者でも不正をする権利はないということ、かかる平凡な真理をこういう人間に再発見させるには長い時間がかかったのである。

『夜と霧』(旧版)〈V・E・フランクル みすず書房)p202

 歪んだ倫理観を携えつつ、囚人に現実が迫ってきます。収容所にいた時には知らなかった悲劇が彼等の心に追加されていくのです。生きていると思っていた人が、すでにこの世にいないことを知るのです。

 自由になった後に知る悲劇は、生き延びた囚人たちを打ちのめします。

 囚人のうち少なからざる人々が新しい自由において運命から受け取った失望は、人間としてそれをこえるのが極めて困難な体験であり、臨床心理学的にみてもそう容易には克服できないものである。

『夜と霧』(旧版)〈V・E・フランクル みすず書房)p204

 フランクル は、「容易には克服できないものである」と最終章で書きました。

 そう書いたからこそ、『夜と霧』の出版以降、その克服方法として人生に意味をもたらす「ロゴ・セラピー」の臨床経験と啓蒙活動に力を注いだのです。

 その行いは苦しんだ囚人たち、苦悩する人たちを助けることを目的としているのはもちろんのことですが、自分を救うことなることをフランクルを自覚していたのかもしれません。

 フランクルは享年92歳。解放されたのが39歳の時でした。

 解放後、精力的に活動し続けたフランクルの人生は、他者を助けるためでもあり、自分を救うためでもあったのでしょう。

「夜と霧」(みすず書房)の表紙画像
『夜と霧』(旧版)
クリ
 ックするとAmazonへ!

(文:松山 淳