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マンダラと自己《ユング心理学》

マンダラと自己〈ユング心理学〉のアイキャッチ画像

 ユングはマンダラ (曼陀羅)を「自己」(self)の象徴と考えた。ユング心理学における「自己」とは、意識と無意識を合わせた心全体の中心であり、人格が発展していく「個性化」(individuation)を促進する統括的な働きをする心の機能である。ユング心理学は、「自己」(self)の働きを重視する。ユングはフロイトと決別した後の精神的危機の時期に、自己の象徴であるマンダラを描くことで、心のバランスを保とうとしていた。

 ユングにとってマンダラは重要な意味を持つ。ユング心理学におけるマンダラの意義について解説していく。  

ユングのマンダラ体験

  1913年、ユングは、心理学上の意見の対立から、師(メンター)のような存在であったフロイトと訣別することになります。1914年には国際精神分析学会会長を辞退します。

 1912年、フロイトとの対立が鮮明になっていくにつれ、ユングの心は不安定になっていきます。不可解な幻覚(ビジョン)や夢が、ユングを圧倒し始めるのです。それは統合失調症の初期に見られる症状と似ていました。「統合失調症になってしまうのではないか」と恐れるほどの自覚症状でした。

ユングの精神的危機

 ユングは自伝『ユング自伝1』(みすず書房)にこう書いています。

『ユング自伝』(みすず書房)の表紙画像
『ユング自伝1』(みすず書房)
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 フロイトと道を共にしなくなってから、しばらく間、私は内的な不確実感におそわれた。それは方向喪失の状態と呼んでも、誇張とはいえないものであった。私は全く宙ぶらりんで、立脚点を見出していないと感じていた。

『ユング自伝1』(C.G.ユング みすず書房)p244

 この精神的な危機の時期にユングは、第1次世界大戦の勃発を予知する夢を見ています。北極の寒波が下りてきて、土地が凍り、人がいなくなり、草木が霜で枯れ果ててしまう夢です。この夢は、1941年の4月、5月、6月と3回繰り返して現れました。そして、8月に対戦が始まりました。

 未来を予知する夢であり、ユング心理学でいう「シンクロニシティ」(共時性)の現象が起きたのです。

「シンクロニシティ」とはアイキャッチ画像 シンクロニシティ(共時性)とは《ユング心理学》

 ユングは、圧倒してくる無意識から逃げるのではなく、反対に「無意識と対決」する道を選びます。1905年から8年間勤めていた大学も辞職してしまい、診療は続けながら、夢やビジョンを記録し続けるのです。

マンダラを描き始める

ユングが初めて描いたマンダラ(1916年)
ユングが初めて書いたマンダラ(1916年)
出典『エッセンシャル・ユング』(創元社)p253

 ユングが1912年から始まった精神的危機を脱出し始めたのは、1918年頃からです。1918年〜1919年に、ユングは戦争被抑留英国人の収容所の指揮者を務めていました。

 この時期ユングは毎朝、ノートに小さい円形の絵(マンダラ)を描いていました。本格的なマンダラ体験の始まりです。ユングが心の危機を乗り越えるのに、確かにマンダラは役立っていたのです。

 私の描いたマンダラは、日毎に新しく私に示された自己の状態についての暗号であった。それらの私は私の自己─すなわち、私の全存在─が実際に働いているのを見た。確かに最初はそれらをうっすらとしか理解できなかったが、それは非常に意味深く思われ、私はそれらを貴重な真珠のように大切にした。私は、それらが何か中心的なものであるという明確な感情を抱いた。そして、時ともにそれらを通じて、自己の生きた概念を獲得した。

『ユング自伝1』(C.G.ユング みすず書房)p279

 最後に「自己の生きた概念を獲得した」とあります。

 ユングはマンダラを描き続けることで、自身の心理学上、最も重要な概念である「自己」(self)の働きへの確信を深めていくのです。

知らずに描いていたマンダラ

「曼陀羅」イメージ

 マンダラといえば、仏教などの宗教画として古くから存在しています。

 ユングは東洋の宗教に見られる「曼陀羅」を知っていてマンダラを描いていたのではないのです。その存在を知らずして描いていたのです。

1927年、ユングは「自己」(self)の存在を確信する夢を見ます。その本質を表現しようとマンダラを描きました。描き出されたマンダラは、ユングから見ると中国風に感じられました。

 間もなくして、中国学者リヒャルト・ヴィルヘルムから道教に関する論文『黄金の花の秘密』が送られてきました。「論文の注釈をユングに書いてもらたい」という依頼でした。ユングは驚きます。なぜなら『黄金の花の秘密』は、マンダラについて書かれた論文だったからです。

 夢に見た内容をマンダラにしたら中国風だった。すると道教のマンダラに関する論文が送られてくる。シンクロニシティ(共時性)の発生です。

 ユングは、この論文で東洋の曼陀羅の存在を知り、自分が描いてものが似ていることに気づくのです。時代を超えた人類に共通する心の動き方のパターンが、そこにありました。この事実は、ユング独自の無意識観である「集合的無意識」の存在を証明するかのようでした。

マンダラは自己の象徴

 ユングはマンダラを自己(self)の象徴と考えます。

 ユングにとって自己(self)は、心の中心であり本質です。自己(self)なくして「意識と無意識の統合」も「心の成熟」も「個性化」(individuation)もありません。

個性化と曼陀羅の意味

 「個性化」とは、ユング心理学の大きな目標です。自己(self)の働きによって、意識と無意識が統合されていき人格がより高次の段階へと発展していく人間の成長プロセスです。「個性化」に完成はなく、生涯を通して行われ続けます。

個性化の過程とは(individuation process)のアイキャッチ画像 「個性化の過程」とは〈ユング心理学〉

 『ユング心理学入門』(河合隼雄 培風館:p232)によると、曼陀羅(mandala)は、曼陀(manda)羅(la)に分けられます。曼陀(manda)は「心髄本質」を、羅(la)は「所有」「成就」を意味します。

 「心髄」とは、「中心にある髄」「 物事の中心となる最も大事なところ」のことです。すると曼陀羅(mandala)は、「心の中心となる最も大事なところの成就」について表現していると考えられます。

 ユング心理学で「心の中心となる最も大事なところ」といえば自己(self)であり、その成就とは、まさに「個性化」(individuation)のことです。

 ユングは『個性化とマンダラ』(みすず書房)の中で、こう書いています。

 祭式用のマンダラがつねに特別な様式と、内容に関しては限られた数の典型的なモチーフしか示していないのに対して、個人のマンダラはいわば無限と言えるほどたくさんのモチーフやシンボル的表現を利用している。それらを見れば容易に分かるように、それらは個人の内的外的世界体験の総体を表現しようとしているか、それとも個人の根本的な内的中心点を表現しようとしている。その対象は自我ではなく、自己である。

『個性化とマンダラ』(C.G.ユング みすず書房)p226

描くのではなく描かされる

 ユングだけでなく、ユングの患者も東洋の「曼陀羅」を知らずして、マンダラを描いていました。

 患者たちは、ユングから「治療に役立ちますので、マンダラを描いてください」と言われていたわけではありません。無意識のイメージを絵にすることで、治療効果のあることを認めていたので、ユングは患者に絵を描くことを勧めることはありました。

まっつん
まっつん

 その中で患者は、東洋の曼陀羅に似た象徴的な図形を、自然と描き出していたのです。自分の意識で「描いた」というより、「個性化」のプロセスにおいて自己(self)が働き、自己によって「描かされていた」ともいえます。

 ユングに言わせれば、マンダラを描けば「治癒が促進する」「心のバランスがとれる」という考え方は、ナンセンスということになります。ユングの患者たちは、無意識から込み上げてくるイメージを「絵」にする時、その絵を「マンダラ」にせざるを得なかったのです。

 ユングは、書いています。

 その種の円のイメージの厳格な秩序が、心的状態の無秩序と混乱を補償しているのである。その補償作用は、中心点が構築され、それを中心にしてすべてのものが秩序づけられたり、あるいはさまざまな無秩序なもの・対立しているもの・結合できないもの・が同心円的に整然と配置されることによるのである。これは明らかに自然の自己治癒の試みであって、それはなにか意識的な熟慮といったものからではなく、本能的な衝動から生まれるものである。

『個性化とマンダラ』(C.G.ユング みすず書房)p224

 患者たちが描く「マンダラ」は、「意識的な熟慮」ではなく「本能的な衝動」から生まれました。「意識的な熟慮」とは、「頭でよく考えて」のことであり、「無意識」を含まない「意識」のレベルに限定した心の働きといえます。

 一方で、「本能的な衝動」とは、意識と無意識を合わせた心全体を通しての心の働きです。より強く「無意識の力」が作用しているといえます。

 マンダラは、「生み出す」ものではなく、「生み出される」もの。
「描く」ものではなく、「描かされる」もの。

 意図的にではなく、その人の中から自ずと生まれてくる時に「マンダラ」は、自己治癒の効果を発揮する。ユングそう考えていたのです。

ユングがマンダラをやめた夢

 フロイトと決別した後の精神的危機を、マンダラを描きながらユングは乗り越えてゆきますが、ある夢を見てから、マンダラを描くことをやめてしまいます。

 ユングの見た夢を要約すると、次のようなイメージです。

 ユングは夢の中で、リバプールにいました。四角い広場を中心に、街は放射状に配置されていました。広場の中心に池があります。池の中心に島があります。島には赤い花をつけた1本の木蓮が立っていました。辺りは薄暗くぼんやりしていたのに、その島だけが太陽の光で輝いています。まるで木蓮そのものが輝きを放っている光源のようにも見えました。

 ユングは上の夢と関連して、こう述べています。

 この夢は一種の窮極性の感じを伴っていた。私はここにゴールが明らかにされたのを見てとった。誰も中心を超えてゆくことはできない。中心がゴールであり、すべてのものが中心に向けられている。この夢を通して、私は自己が方向づけと意味の原理であり元型であることを理解した。その中に治癒の機能が存在している。私にとって、この洞察は中心への接近、従ってゴールへの接近を意味している。そこから、私の個人の神話の最初の暗示が生じたのである。

 この夢の後で、私はマンダラを描くことをやめた。

『ユング自伝1』(C.G.ユング みすず書房)p282

 この夢は、ユング自身の「自己」(self)の象徴でした。広場を中心に放射状に街が配置されている図式は、まさに「マンダラ」(曼陀羅)といえます。

 夢の意味を読み取った時の「納得感」は、その本人にしかわからないものがあります。どれだけ劇的な夢を見たとしても納得感がなければ、夢は意識の中を素通りしていくだけです。

 ユングは「私は全く満足であった」(p282)と書いています。自身の心理学の中心的な概念である「自己」(self)の存在を確信させる極めて強いインパクトのある夢だったのです。

 何より、マンダラを描くのをやめてしまったのですから…。

 ユングは「1918年から1920年の間に、私は心の発達のゴールは自己であることを理解し始めた」(p280)と書いています。

 つまり、この時点での「心の発達のゴール」=「自己」(self)への到達を、ユングはその夢から十分に感じることができたのです。

 人間は生涯を通して心を発達させていきます。

 ユング心理学におけるマンダラは自己(self)と結びつき心の発達と深く関連します。

 もし、マンダラを思わせる夢を見たら、絵に描いて残しておきましょう。

 無意識のイメージに形を与えることは、意識化を促進することであり、心を成長させる小さくて力強いきっかけになります。

(文:松山 淳


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