『死ぬときに後悔すること25』(大津秀一 致知出版社)を、ある方から頂き、読んだことがあります。

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作者の大津さんは1,000人の死を見届けた終末医療に従事する医師です。ターミナルケアという言葉が、ピンと来る人もいるかもしれません。
死を覚悟する状況におかれた人々に対して、「延命」を目的とするのではなくて、身体的、精神的苦痛をやわらげていくことで、人生の終末期に人間としての尊厳を確保しようとします。それが終末医療(ターミナルケア)です。
この本は、終末期の人たちが「後悔すること」を提示し、事例をあげながら解説しています。

私も50歳という年齢を過ぎ、日本人の平均年齢からいくと、人生の折り返し地点をすでに折り返して走っている身です。だからか、こうした本を読みますと、深く考えさせられるものがあります。
一読し、たくさんの蛍光ペンを引きましたが、いくつかご紹介していきます。
「死ぬ前に後悔するのは、夢がかなわなかったこと、かなえられなかったこと、そのものよりも、むしろ夢をかなえるために全力を尽くせなかったことにあるのかもしれない」
『死ぬときに後悔すること25』(著大津秀一 致知出版社)より
「後悔」は、人生の後半になればなるほど、大きくなって重くのしかかってきます。「あれができなかった、これができなかった」「あれをやらなかった、それをやらなかった」。
そんな「何かをしなかった、何かに全力を尽くさなかった後悔」を多くの人がするのです。
ですから、今、健康で普通に生活できているなら、やらなかった後悔をできるだけ少なくしたいものです。そこで、詩人で書家の相田みつをさんの言葉に耳を傾けてみましょう。
やれなかった
やらなかった
どっちかな
(c)相田みつを Mitsuo Aida
人は「できなかった」と、よくいいます。「できなかった理由」を、他人のせいにして、会社のせいにして、景気や政治家や国のせいにして、できなかった自分を正当化します。
あの人が悪い、この人が悪い。会社が悪い、景気が悪い、政治家が悪い、そして日本が悪い。だから、できなかった…。
でも、どうなのでしょう。本当に「できなかった」のでしょうか。
「できなかった」のではなく、ただ「やらなかった」だけではないでしょうか。
「やれなかった やらなかった どっちかな」。この問いを自分に発して、やるべきことに全力を尽くせば、「やらなかった後悔」は、確実に少なくなっていくでしょう。
さて、次の「後悔すること」にふれる前に、まず、元NHKのアナウンサー山根基世さんが日経新聞に書いた一文をお読みください。山根さんのお父様についてです。
仕事もすることもなく、ボランティアをすることもなく、飲みに出かけることもなく、ひたすら家にいた。本を読んだりラジオを聞いたりはするが、これと言って特別な趣味があるわけではなかった。
私たちが母と二人で旅行に行くよう手配すれば、一緒に行って「ええ旅じゃった」と喜んでくれたが、自分からどこかに行こうとはしなかった。
25年そのように暮らして90歳になった年のお盆の中日、夜床につきそのまま眠るように逝ったのだ。最後まで自分の足で歩き、おいしく食事を頂き、私たち姉妹のことを気にかけていたという。
『日本経済新聞』(09/6/16付け夕刊)より
山根さんのお父様は、山口県庁を定年まで勤め上げ、外郭団体で第二の定年を迎えました。上の一文は、その後の人生についてです。
父は「火宅の人」ではなく「家宅の人」になった、と書いています。「火宅」とは、仏教の法華経から出た言葉であり、辞書(大辞林)にこうあります。
「煩悩や苦しみに満ちたこの世を、火炎に包まれた家にたとえた語」

「火宅の人」とは、我欲にとらわれこの世で悩み苦しむ人間のことです。我欲から苦しみが生まれ、苦しみから悲劇が生まれます。ですので、我欲をおさえれば、火炎に包まれるような苦しみは少なくなるわけです。
そこで山根さんは、煩悩に満ちた「火宅の人」とは反対の、家にいて無欲で淡々と暮らす「家宅の人」と、お父様の生き方を表現しています。
山根さんのお父様の老後を「つまらない人生だ」と一蹴することは、私たちにできませんし、欲のない「無私の精神」の境地に、頭の下がる思いです。
『死ぬときに後悔すること25』(著大津秀一 致知出版社)にこうありました。
「怒っていても、泣いていても、笑っていても、変わらず一生は過ぎるものである。だったら笑っていたほうが得ではないか。
しかし感情に乱されずしなやかに生きるためには、強靭な精神力が必要となる。強い心を磨き、月下の池のような鏡面の心であれば、どんな苦難もさざ波にすらならぬだろう。
感情に振り回され、特に否定的感情にとらわれたまま生涯を過ごせば、残るのは後悔ばかりである。冷静な心の先に、笑いを見出すことができれば、後悔は少ないに違いない。」
『死ぬときに後悔すること25』(著大津秀一 致知出版社)より
人は死ぬときに、感情にふりまわされた人生を後悔します。
人生が終わろうとする時に、さほどのことでもないのに、「どうしてあんなに怒ったり泣いたり感情的になってしまったのか…」、そう「人は後悔する」のです。
山根さんのお父様の淡々として老後は、まさに「感情に振り回されない人生」といえます。現役で働いている時も、きっと穏やかで心の落ち着いた人だったのでしょう。
大津先生の論に従えば、さぞ後悔の少ない人生だったと思えます。
世の偉大なる経営者やリーダーが「晩節を汚す」ケースを私たちは知っています。
偉大なる業績を残し、偉大なる人物として歴史に名をとどめる寸前にて、我欲にとらわれ「自分のため、自分のため」と悪事に手を染めてしまうのです。いや、ある時点から悪事を働き続けていたことが、「後で発覚した」というケースが多いのかもしれません。
終末期、ある人がこう言ったそうです。
「成功するためには、たくさんの人を犠牲にした。僕にかかわった人は、幸せではなかったろう。蹴落としもした。全ては自分のためだった」
そう後悔する人の言葉をうけ、大津先生はこう書いています。
人をいじめることがよくあるのなら、心を入れ替えたほうが良い。
優しさが足りないのならば、優しさを意識したほうが良い。
それらは死が迫ったときの、後悔の一因となる。
他を蹴落とし、どんなに勝負に勝ってきたとしても、同じように努力して勝利できないものが死である。
(中略)
他人に心から優しくしてきた人間は、死期が迫っても、自分に心から優しくできるだろう。だから真に優しい人は、死を前にして後悔が少ないのである」
『死ぬときに後悔すること25』(著大津秀一 致知出版社)より
人に優しくすることで、後悔が少なくなるのならば、それは意識すればできることですね。人によっては難しく感じるかもしれませんが、小学校の時に先生が言っていたようなシンプルな教えを実践するばいいのです。
ひとついえば、人に感謝をしっかりすることが、それです。
「ありがとうございます」
感謝をすることは、人の気持ちを潤し、元気を与えます。誰かに元気になってもらえたら、それが「人に優しくした」ということです。
感謝を忘れずに、人への優しさを忘れずに、後悔の少ない人生を送りましょう。
「明日死ぬかもれいないと思って生きてきた人間は、後悔が少ない」
『死ぬときに後悔すること25』(著大津秀一 致知出版社)より
(文:松山 淳)(イラスト:なのなのな)