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学ぶことは真似ることから始まる

学ぶことは真似ることから始まる

 

白州正子「模倣も極まれば独創を生む」

 「学ぶ」(まなぶ)の語源が、「まねぶ」(学ぶ)であり、「真似ぶ」(まねぶ)も同じ語源ある。そんな説があります。

「学ぶ」ことは「真似る」ことから始まるんだ

 語源が同じだと、そう諭す時に説得力があります。言語学の説によらず、私たちが実際に、誰かの「真似」をすることで「学ぶ」経験をしているのは確かです。

 日本の武道や芸事では、先生や師匠から基本の「型」を教えてもらい、その「型」を「真似る」ことから「学び」は始まります。職人の世界でも、「師から技を盗め」といわれます。これは師の技を「真似る」ことに他なりません。

まっつん
まっつん

 私は小学生から中学にかけて剣道を習っていました。中学で初段をとるまで道場に通っていました。道場では7段、8段の先生たちが、子どもたちの前に4〜5人ほど並んで、いつも「模範」を見せてくれていました。先生の模範を「真似る」ことで、技量が伸びていったものです。

 ビジネスの世界でも、「上司の背中を見て学ぶ」と表現しますね。これは、上司の姿、行動を「真似る」ことで、仕事を覚えていくことです。

 この「真似る」ことの大切さを説いた人に白洲正子さんがいます。

 白州さんといえば、随筆家として、また、吉田茂首相の右腕だった「白州次郎」の妻として有名です。日本の伝統文化に造詣が深く、日本人の女性として初めて「能」の舞台に立った人物です。

世阿弥「風姿花伝」は「物真似」の書。

 「能」といえば、その源流にいるのが「観阿弥」(かんあみ)、世阿弥(ぜあみ)です。ふたりは親子ですね。

『風姿花伝』(世阿弥 岩波書店)の表紙画像
『風姿花伝』(世阿弥 岩波書店)
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 父「観阿弥」の教えを元に世阿弥が書いた『風姿花伝』は有名です。私たちがよく口にし耳にする「初心忘るべからず」は、『風姿花伝』に書かれてあった言葉です。

 『風姿花伝』は、いくつかの出版社が本にしていて、今も読むことができます。そのひとつ、岩波書店が出版している『風姿花伝』の表紙には、こう書かれています。

室町時代以後日本文学の根本精神を成していた「幽玄」「物真似」の本義を徹底的に論じている点で、堂々たる芸術表現論として今日もなお価値を失わぬものである。

『風姿花伝』(世阿弥 岩波書店)

 『風姿花伝』には「物真似」という言葉が、繰り返し出てきます。わかりやすいので『現代語訳 風姿花伝』(水野 聡 PHP研究所)から引用してみます。

「名人ぶった芸をひけらかすなど何ともあさましい。たとえ人にほめられ、名人に競い勝ったとしても、これは今を限りの珍しい花であることを悟り、いよいよ物真似を正しく習い、達人にこまく指導を受け、一層稽古にはげむべきである。

『現代語訳 風姿花伝』(水野 聡 PHP研究所)

 『風姿花伝』の、今でいう第二章は「物学條々」というタイトルです。この「物学」と書いて「ものまね」と読むのです。「物学條々」(ものまねのじょうじょう)は、こう始まります。

「物真似の品々は、筆には尽くしがたい。とはいうものの、この道の肝要なのでこれらの品々をくれぐれもよく嗜(たしな)むべきである。おおよそあらゆるものをすみずみまで、そのまま真似ることが本意である

『現代語訳 風姿花伝』(水野 聡 PHP研究所)

 「物学」の脚注には、「物真似の語源、すなわち〈ものまねび〉である」と書かれています。『風姿花伝』』は室町時代の書物です。「真似る」が「学ぶ」に通じることは、古くから言われてきたのですね。

「真似る」からオリジナリティが生まれる

 白洲正子さんが、世阿弥について記した本『世阿弥―花と幽玄の世界』(白洲正子 講談社)の中に、こんな言葉をみつけます。

白洲正子の言葉

「世阿弥を育てたのは、まったくこの物真似の精神に他なりません。独創ばやりの世の中では、真似とか模倣とかいうことは、えらく落ちぶれてしまいましたが、本来それは学ぶから出た言葉で、まなぶ、まねる、まね、という風に変わって行ったと聞きます。だから、「物学」という字を当てて、ものまねと読ませているのですが、近頃、独創がしきりに叫ばれているのも、本気で学ぶ気持を失った為か、と勘ぐれないこともありません。(中略)

 模倣も極まれば独創を生むことを、身をもって示す結果となりました。 

『世阿弥―花と幽玄の世界』(白洲正子 講談社)

 そうなんですね。どうも現代語として「真似」という言葉は、「学ぶ」よりも低レベルに受け取られがちです。誰かを「真似る」というと、「それパクリでしょ」「受け売りだろ」と批判されかねません。

 ただ、能がそうであるように、武道でもスポーツでも、経営でも、リーダーシプでも、誰かを「真似る」ことで、自身の技量を高められることは、室町時代でも今も変わらない真理です。

「型」があるから「型破り」ができる

 文章の技量を高めようとしたら、小説家や作家の名文を書き写してみる。これは定番の文章上達のノウハウです。真似てみると、その作家独自の「型」を感じ取ることができます。その「型」と自分の「型」を混ぜ合わせていくことで、さらに独自の「型」が生み出されてきます。これが独創です。

 まず「型」がある。これを破っていくのが「型破り」です。「型破り」が独創性につながります。そもそも「型」がなければ「破る」ことができません。これを「形なし」(かたなし)といいます。

 「形なし」の意味は、「本来の価値が損なわれ、何の役目もしなくなる・こと(さま)」(三省堂「大辞林」第二版)です。「台無し」と同じ意味です。

「形を持つ人が、形を破るのが型破り。形がないのに破れば形無し」

 上の一文は、早逝された歌舞伎界の名優中村勘三郎が、よく口にしていた言葉として広まっています。もとは禅僧「無着成恭」の言葉だと、『朝日新聞デジタル「仕事力」』の中で、勘三郎さんが書いていました。

 型をもつためには、真似ることです。真似るから型ができ、型破りとなって独創性を発揮できます。

 模倣も極まれば独創を生む

 白州さんの言葉は、勘三郎さん、禅僧「無着成恭」が後世に伝えたかったことに通じています。


思想家エマソンの言葉「独創家は借りる術を心得ている」

 米国の思想家エマソンは『代表的人間像』(日本教文社)の中に、こんな言葉を記しています。

思想家エマソンの言葉

「そもそも偉人とは、あらゆる芸術や科学、知ることのできるすべてのものを、自分の食物として内部に取り入れる強力な同化力の持主にほかならないのではあるまいか。本当の独創家だけが、他人から借りる術を心得ているのである。」

『代表的人間像』(ラルフ・ウォルドー エマソン 日本教文社)

 「本当の独創家だけが、他人から借りる術を心得ている」の部分を読んで、スティーブ・ジョブズを思い出す人もいるのではないでしょうか。

 1979年12月に、ジョブズたちはゼッロクス社の研究所(ゼロックスPARC)に視察に出かけています。ゼロックス側は、ジョブズたちを警戒して、自社の技術をあまり見せないようにしていました。そこで、ジョブズは2回も押しかけているのです。

ジョブズもピカソも「真似る」を大事にしていた。

 この時、ジョブズの心を奪ったのが、コンピュータの画面を美しく映し出す「ビットマップスクリーン」でした。この技術をジョブスはアップルで実現してしまうのです。ゼロックスから担当者も引き抜いています。自伝『スティーブ・ジョブズ 1』(ウォルター・アイザックソン 講談社) には、「業界至上最大級の強盗事件」だと書かれています。

 言葉は悪いですが、要は「パクった」わけですね。ジョブズは、これを認めていて、こういっています。

スティーブ・ジョブズの言葉

「つまり、人類がなし遂げてきた最高のものに触れ、それを自分の課題に取り込むということです。ピカソも、『優れた芸術家はまねる、偉大な芸術家は盗む』と言っています。我々は、偉大なアイデアをどん欲に盗んできました」

『スティーブ・ジョブズ 1』(ウォルター・アイザックソン 講談社)p166

 歯に衣着せぬジョブズらしい言葉です。「盗む」という表現には、どうしても抵抗感ありますし、法的に罰せられる「盗作」は実際にはしてはいけないことです。

 ただ、ジョブズは世界に衝撃を与える最高の製品を創り出すために、どん欲に「真似る」ことを続けたリーダーでした。

 ピカソは「優れた芸術家はまねる、偉大な芸術家は盗む」といい、思想家エマソンは「本当の独創家だけが、他人から借りる術を心得ている」といい、ジョブズは、「偉大なアイデアをどん欲に盗んできました」といいました。

 ジョブズがいった「最高のものに触れ、それを自分の課題に取り込む」という点は、エマソンの「知ることのできるすべてのものを、自分の食物として内部に取り入れる強力な同化力の持主」という言葉に似ています。

 これは、「真似ることが学ぶことになり、独創を生み出していく」ということですね。白洲正子さんがいっていた「模倣も極まれば独創を生む」と同じことです。


学んで独創的になるために「真似」を恐れない

 染色の技術で、「黒」を出そうとする時、赤や青や緑など、複数の色をかけ合わせることでも「黒」になります。

 すると味わい深い「黒」になると聞きます。単色の黒は、複数の色から創られた「黒」には、とても及びません。複数の色を取り入れることによって魅力的な独創的な「黒」になるのです。

「ベンチマーク」「ベストプラクティス」は真似ることだ。

 独創的であろうとする時、自分や自社の内側からだけで、他にないオリジナルを生み出そうとするのは、ひとつの思考・行動パターンです。

 もうひとつは、世阿弥やピカソやジョブズのように「真似から独創性が生まれること」を前提条件として、他人や他者という外側からどん欲に真似て、取り入れていくことです。

 他者の優れた経営手法を学び、自社に取り入れるマネジメント手法を「ベンチマーク」「ベストプラクティス」といいますね。これはエマソンの言葉でいえば「内部に取り入れる強力な同化力」です。

まっつん
まっつん

 トヨタを始め、日本企業の多くは工場をオープンにして、視察できるようにしています。これは中小企業でも同じです。グーグルは自社で研究しわかったことはオープンにし、世界に向けて情報発信しています。どんどん「真似してください」といっているのです。

 独創性は、ひとりの個人で完成されるものでありません。

 多くの人からの影響を受けて、知識やスキルを自分自身の中に取り入れ消化し、そして「型破り」をすることで「独創的」な何かが生み出されます。

 「型」があって、型破りです。その「型」は、「真似る」ことで創られます。

 「真似る」ことのなかった深みのない独創は、「独りよがり」といえるでしょう。「独りよがり」とは「独り善がり」と書きます。つまり、「自分だけで善い」と満足している状態です。

 だから、「受け売り」「物真似」という言葉を恐れて、「真似ること」「学ぶこと」がおろそかになるより、「真似る」ことを肯定的にとらえ「真似る」行動量を増やしたほうが独創性は近づいてきます。

「模倣も極まれば独創を生む」

 この言葉を胸に秘めて、どんどん真似していきましょう。自分に執着せず、色々な人から影響を受けて、学びを深め、自分の独創的な「色」を創り出していきましょう。

 (文:松山淳)