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「憎しみの連鎖」の断ち切り方

『もののけ姫』にみる憎しみの連鎖

 宮崎駿監督の『もののけ姫』(スタジオジブリ)は有名です。その映画に「タタリ神」というキャラクター設定があります。

 「タタリ神」とは、もとは「守り神」であった山犬や猪などの「動物神」が、怒りや憎しみで変わり果て、人間に祟(たた)りを及ぼすようになる存在のことです。

『もののけ姫』(監督:宮崎駿 スタジオジブリ)
『もののけ姫』
(監督:宮崎駿 スタジオジブリ)
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 この世界、それぞれの立場に「善」があります。一方の「善」はもう一方にとっては「悪」であり、互いの「善」と「善」が対立し争いになります。

 『もののけ姫』では、山犬や猪が森を守る神として、人間は森を破壊する存在として描かれます。森を守る立場から見れば神は「善」であり、人間は「悪」です。でも、人間を襲う森の神たちは、人間からすれば「悪」です。

 それぞれの「善」と「善」が対立するなか、武器(銃)をもった人間の力が優勢になっています。

 憎しみにとらわれると「動物神」は思考回路が麻痺し、言葉を無くし、理性を失った「タタリ神」になり果てます。ミミズのようなものが体中から生えてきて、見るも恐ろしい姿です。「憎しみ」が源となり、恐るべき力が備わります。

 「破壊する者」を憎んだが故に、自分が「破壊する者」となる。

 その時、神は神でなくなり、タタリ神となるのです。

 「憎しみの連鎖」の始まりです。


「怒り」「憎しみ」にとらわれると…。

 『もののけ姫』では、物語の途中で、「猪神」の軍団が武器をつくる人間の村を襲おうとします。しかし、爆薬によって「猪神」は次から次へと殺されてしまうのです。

 仲間とともに森へ逃げ帰る途中、「猪神」のリーダーである「乙事主」(おっことぬし)は、憎しみに支配され「たたり神」になる兆候が現れ始めます。その時、一緒に歩いていた主人公「サン」が叫びます。

 「タタリ神になっちゃ駄目!」

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まっつん

 『もののけ姫』が上映されたのは1997年。私は会社員として働いていました。入社5年目で、まだ20代です。仕事をしていて、職場で誰かがカッとなるのをよく見ましたが、それが仲のよい同期だったりすると、冗談まじりで「たたり神になっちゃダメ」と言っていたのを記憶しています。もちろん、私がそう言われたことも…。

 会社にはいろいろな性格を持った人間が集まります。誰とでも相性があうかといえば、そうもいきません。仕事が全て順調に行くということもないですし、上司に叱られたり、お客様から怒鳴られたりすることもあって、感情が乱れることが頻発します。

 給料、人事異動などなど、それらが100%本人の満足いくこともまた少ないですね。それがサラリーマンの悲哀といえば悲哀ですが、組織に属すれば、必ずしも自分の思った通りにならないのが現実です。

 それ故に「怒り」「憎しみ」の感情が、職場の至る所で見られます。それは日常茶飯事です。

 怒り憎しみ、職場で一緒に働く人間の悪口を言っている時、次から次へと言葉が出てきます。そのパワーたるや湯水が湧くがごとしです。酒も入れば、さらにその力は増し、「あの人はあ〜だ」「この人はこうだ」と、同僚とともに朝まで、誰かの悪口合戦になった経験をお持ちの人もいるでしょう。 

 誰かに対して「怒り」「憎しみ」の感情を抱くことは誰にでもあること。

 ただ、「怒り」「憎しみ」にとらわれて、会社や社会を「呪う」ような心理状態がキープされると「タタリ神」のような存在になって、自己を客観的に見ることができなくなり、自分をダメにしてしまいます。

 自分が「破壊する者」になっていること、自分から「憎しみの連鎖」が始まっていることに気づけないのです。

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まっつん

 カウンセラーとしていろいろな方の相談になっていると、「タタリ神のようだな」と感じる方のお話しに耳を傾けることがあります。「絶対に相手が悪い。絶対に私は正しい」と、罵詈雑言が飛び出してきます。

 例えば、Aさんがその人だとします。

 Aさんは、会社も気に入らなければ、一緒に働く人も気にいりません。会社のことで、満足できるものがひとつもないのです。会社も悪ければ社会も悪く、そのことを1時間でも、2時間でも喋り続けます。

Aさん

 うちの会社の人間はバカばっか。上もダメなら下もダメ。よくもまあ、こんな無能な奴らが集まって経営が成り立ってるわよ。世界の七不思議のひとつよ!

 「タタリ神」がそうであるように、「怒り」「憎しみ」にとらわれ、会社や職場の人間を攻撃するエネルギーは恐るべきものがあります。

 こうなると、「悪口の権化」になって職場にマイナスのエネルギーをまきちらし、周囲に悪影響を及ぼしていることが、容易に想像できます。会社にとってAさんはプラスになっていなく、そのため、Aさんも攻撃される対象になっています。

 まさに「憎しみの連鎖」です。

 では、この「憎しみの連鎖」を断ち切るにはどうすればよいのでしょう?


「気づき」と「許し」が憎しみの連鎖を断ち切る

 「タタリ神」になると、自分が「タタリ神」になっていることに気づけません。憎む相手のしていることを、自分もしていることに気づけません。自分が「破壊者」になっていることに…。

自分が「タタリ神」だと気づく

 だから、自分が「タタリ神」になっていることに、憎む相手と自分も同類だと「気づく」ことが、「憎しみの連鎖」を断ち切る第一歩です。

 「気づき」が重要ワードです。

 でも、その「お節介」は、安全第一を目標として確実にゴールへたどりつくためにぜひとも必要な「いい意味でのお節介」でした。お節介でなければ、インストラクターは務まらないでしょう。

 気づくためには自分を客観視する必要があります。「怒り」「憎しみ」が日頃の精神状態に固着してしまっている人は、職場以外で自分を客観視する機会をもつとよいでしょう。「コーチング」でも「カウンセリング」でもいいので、職場とは違った利害関係のない第三者との「対話」が理想的です。

 「対話」はネガティブな感情を発散させ、思考を冷静にし、自己を客観視するのに役立ちます。激しい「怒り」「憎しみ」に囚われている人は、こう発言する傾向があります。

 「絶対に相手が悪い。絶対に私は正しい」

 でも、コーチングやカウンセリングを重ねていくと、この「絶対」が緩んでくるのです。ほどけていきます。

 ちなみに、セクハラ、パワハラなど、法に抵触する行為をしている時には、この「絶対」は成立します。ここでは法に抵触しない「人間関係のちょっとしたいざこざ」と考えてください。

 「絶対」が緩むと、どうなるかといいますと、相手の立場から自分を見られるようになります。そうなると「絶対に相手が悪いわけではなく、絶対に私が正しいわけでもない」というちょうど真ん中に立つような微妙な思考が生じてきます。

 この「絶対」がほどける感覚は微妙でありながら、個人から始まる「憎しみの連鎖」を断ち切る確か一歩なのです。

 ただ、感情としては、釈然としないものが残ります。長年の恨みつらみがあるわけで、そう簡単に許すことはできません。

 そうなのです。「許せない」のです。

自分を許すことが相手を許すこと

 ということは、「許す」ことができないから、「タタリ神」になっているわけで、「許す」ことができれば「タタリ神」から解放されるのです。

「憎しみの連鎖」を断ち切るキーワードは「許し」です。

 インドを独立に導いた半裸の聖者マハトマ・ガンジーはこう言いました。

ガンジーの名言

 「敵を許すことは、敵を罰することより気高いことです」

 ガンジーは150年も続いた、英国の植民地支配からインドを解放へと導いた歴史的偉人です。

 その主義は「非暴力」でした。暴力を受け続けたのに、暴力で返さなかったのです。タタリ神にはならなかったのです。相手を「許す」ことで「独立」を勝ち取ったのです。

 ガンジーは「敵」を許しましたが、例えば、Aさんのようなケースを心理学的に考えると、どうなるでしょう。本当に許すべき「敵」とは誰だったのでしょうか?

 それは、会社でもなく…同僚でもなく…「自分自身」なのです。

 カウンセリングで話し合いを重ねていくと、多くのケースで、相手に向けていた「刃」が、自分自身に向けられていきます。

 自分を許すことができないから、相手を憎むのです。自分を否定しているから、相手を否定するのです。だから、自分を許し、自分を肯定できれば、相手を許し、肯定することができます。

 米国の小説家ヘルマン・ヘッセの『デミアン』(岩波書店)に、こんな言葉があります。

「ある人間をにくむとすると、そのときわたしたちは、自分自身のなかに巣くっている何かを、その人間の像のなかでにくんでいるわけだ。自分自身のなかにないものなんか、わたしたちを興奮させはしないもの。」

『デミアン』(ヘルマン・ヘッセ 岩波書店)

 相手に「悪」を問いただそうとしていたのに、問われべきは自分自身だったのです。

 その問いから逃げずに、しっかり向きあうことができると、「タタリ神」だったのは自分自身だったと気づき、それから卒業することができます。

 自分自身を憎んでいることに気づくこと、そして、自分を許すことが、ひとりの人間から始まる「憎しみの連鎖」を断ち切る方法です。

(文:松山 淳)