第1章-4 嫌いな部下がいるのは普通のことです
「部下と膝をつきあわせて仕事の話をしていたら目の前で眠られてしまったのです。しかも一度だけではなく、何度もですよ」
と、ある企業の中間管理職の方は、口をとがらせます。この部下のことを考えると憂鬱になるので「二度と思い出したくない」とまで、言っていました。
上司となり部下が五人、十人と増えてくれば、その中にはどうしても嫌いな部下が出てくるものです。
嫌いな部下がいるのは、普通のことです。
「はじめから廃棄処分して蓋をしてしまうのではなく、「嫌い」を正確に見届けてゆくことは、「好き」と同様やはり豊かな人生を築く一環なのではないか」
『ひとを〈嫌う〉ということ』(中島義道 角川書店)
哲学者中島義道氏は著書『ひとを〈嫌う〉ということ』(角川書店)のなかでこう述べています。
「嫌い」という感情は人から生まれてくる自然なものと考え、嫌いを自己成長の素材として見つめることが大切だということですね。
喜怒哀楽、人の感情はすべて人生に必要だからあります。嫌いも同様です。
まず、嫌いという感情を否定することをやめましょう。
自分の感情を否定することは、自分自身の存在を否定することつながってしまいます。大切なことは、あなたの人生を良い方向へ導くために、嫌いという感情とどうつきあい、嫌いから何を学ぶか、です。そして、心からお伝えしたいことがあります。
「嫌いな部下がいるんです」という苦しみは、できるならその部下を好きになり、うまくやっていきたいと願っているからこそ生じます。あの部下は「どうでもいいや」と、上司としての責任を放棄していません。
「愛」の反対語は「憎しみ」ではなく「無関心」。
部下に対して「無関心」になることが、上司にとって最も恐いことです。
もし、嫌いな部下がいてお悩みであれば、次の質問について考えてみてください。
「なぜあの部下のことが嫌いになったのですか」
「嫌いな原因は、何ですか」
時間があれば、メモ用紙とペンを用意して、書き出してみてください。「あの部下のことは考えるのも嫌だ」という場合も、ここは少し我慢して・・・。
えっ「長所は書かなくていいのか」って。
いいんです。どうぞ悪口をたくさん書いてください。部下の方ごめんなさいね。
* * *
どうですか? 書き出せましたか。
「嫌い」の訳を文字で表してみると、自分の感情を客観視できるようになります。客観視とは、自分の心をはなれて、少し遠くから自分の心を見ているような感覚です。
人にもよりますが、「なんて馬鹿げたことで嫌いになっているんだろう」「私って子どもだわ」と、自分が部下をどう見ていたのかを冷静に判断でき、おかしくなることがあります。
また、部下との関係が、幼い頃の親や兄弟との関係を反映していることに気づくケースもあります。
その部下の悪口を書いていると、職場では決して口にすることのできない「何であの娘だけ特別扱いなの、私だってホントはそうして欲しい」という心の叫びが出てきます。
そのとき、ふと妹はいつもかわいがられ、自分は「お姉ちゃんなんだから」と我慢ばかりしていた幼い頃の感情がよみがえってきます。すると、涙がこぼれてくるかもしれません。
そうしたときにこそ、今までとは違った視点で現実を解釈するようになり、部下を嫌っている根幹の感情を意識が把握し、心が軽くなるのです。自分を愛おしく感じるのです。
頭の中だけで嫌いな感情をぐるぐる回すと、それは小さくなるどころか、逆に大きく強くなっていきます。刷り込み現象が起きて頭から離れなくなり、ますます、嫌いな部下を嫌いになってしまいます。だから、自分の感情を吐き出し客観視することが大切なのです。
あなたが働くのは、思い煩うためではありませんね。
部下を嫌うためでもありません。
仕事を通して社会に貢献し、働くことで自己を成長させ、社内の仲間とともにより豊かで充実した人生を歩むためです。
でも、「なぜ働くか」の考え方は人それぞれです。
「家族のため」でも、「自分の夢のため」でもいいのです。あなたならではの仕事の「目的」「目標」「夢」「志」を思い出してください。
いつかその部下を好きになる・・・、いや、そもそも好きになることなど、必要ないのではないでしょうか。普通でいいのです。
人は、いつでも変われる存在です。
人と人との関係は、ほんの些細なことがきっかけで良くなるものです。何かの拍子で相手が本音をぶつけてきて、お互い言いたいことを言ったら「急に関係が回復した」という例は、いくらでもあります。
ですから機が熟すのを待つことも大切なことです
嫌いな部下とも心を切らず共にいれば、いつかあなたの祈りは届くことになると思います。
いつの日か、必ずその日はやってきます。
他人を「嫌い」になり、自分を「傷つける」のは、もうやめましょう。
(著:松山 淳)
2. 私は、部下のことに対して感情的になっていないだろうか。
3. 私は、部下が嫌いだという感情にとらわれ過ぎていないだろうか。