トリックスター・リーダーシップは、私(松山淳)が、『バカと笑われるリーダーが最後に勝つ』(SB新書)で提唱した考え方です。トリックスターとリーダーシップの行動特性を融合したものです。
目次
「トリックスター」とは、神話学や深層心理学の分野で考察が深められてきたキャラクターです。
文化人類学者「ポール・ランディ」(Paul Randy)によって研究され、深層心理学者ユングの「元型」論にも組み込まれています。
「トリックスター」は、「愚か者」「道化」などと訳されます。
「愚か者」と訳されますので、あまり良いイメージはないですね。様々な物語に登場する「トリックスター」の行動はトリッキーで、失敗をしでかし、神に逆らうこともあります。ですが、トリックスターは「愚か者」と嘲笑される存在でありながら、時に、英雄的偉業を成し遂げます。
文化人類学者ポール・ラディンは、深層心理学者ユングとの共著『トリックスター』(晶文社)の中で、トリックスター神話を分析して、こう書いています。
「トリックスターは世界の創造者、文化の確立者として描かれている」「トリックスターのような主要な古い人物はつねに、二つの面、神聖な文化英雄と神聖な道化の面を持っている」
『トリクスター』(晶文社)p172、p173
(by ポール・ラディン)
また、ユングは、こう記しています。
「彼は救世主の先駆者であり、救世主のように神であり、人間であり、動物である。彼は人間以下でも以上でもあり、半神半獣的存在であり、彼の主な驚くべき特徴は、無意識である。そのため、彼は彼の(明らかに人間の)仲間から見棄てられるが、それは仲間の意識水準からの落ち込みを示唆しているのであろう。」
『トリクスター』(晶文社)p267
(by カール・G・ユング)
「世界の創造者、文化の確立者」「神聖な文化英雄」(ポール・ラディン)
「救世主の先駆者」「救世主のように神」(ユング)
ランディとユングの記述からわかる通り、トリックスターは確かに「愚か者」「道化」としての側面もあるのですが、それだけではない、もっと豊かな特性をもったキャラクターであり、「英雄性」も見逃せないのです。
トリックスターの大きな特徴は、ひとつのキャラクターの中に「道化性」と「英雄性」という相反する要素をもった「アンビバレント」(両価的、両義的)にあると言えます。
ユング派の心理療法家河合隼雄氏は、『影の現象学』(講談社学術文庫)で、こう書いています。
「トリックスター(trickster)とは、いたずら者、ぺてん師、詐欺師などとも訳されているが、これは神話・伝説の世界に活躍する道化であると考えればよいであろう。この道化的存在を主人公とする神話・伝説は世界中に広く分布している。それは「文明のそもそものはじめから、特別に、また永遠に訴える力と、人類にとっては珍しい魅力とをもった人物」なのである。」
『影の現象学』(講談社学術文庫)p205
では、ここから具体的に、世界に分布する神話に登場するトリックスターたちを見ていきましょう。
神話でトリックスターのキャラクターとして有名なのは、日本では「スサノオ」、北欧神話では「ロキ」、ギリシア神話は「ヘルメス」です。
「スサノオ」の両親は、神話の中で日本を創った「イザナギ」(父)と「イザナミ」(母)です。「イザナギ」「イザナミ」の生んだ3兄弟が、「アマテラス」(天照)、「ツクヨミ」(月読)、「スサノオ」(須佐之男)です。
スサノオは母「イザナミ」が亡くなると、深く悲しみ、「黄泉の国にお母さんに会いに行きたい」とわがままを言います。父「イザナギ」はこれに激怒します。そこで「スサノオ」は、お姉さん「アマテラス」のいる「高天原」に行くのですが、ここで乱暴狼藉を働き「アマテラス」を困らせます。胸を痛めた「アマテラス」は「天の岩屋」に隠れてしまい、世界は闇となります。
「スサノオ」は高天原を追放され、人間の世界へ降りていきます。「スサノオ」が降りた地は「出雲の国」です。ここで一目惚れした「クシナダヒメ」(櫛名田比売)を助けるために、8つの頭と尾をもつ怪物「ヤマタノオロチ」を退治します。この「ヤマタノオロチ」の尾から出てきた剣が、「三種の神器」のひとつ「草薙の剣」(クサナギノツルギ)です。
神の国で邪魔者扱いされていた「スサノオ」は、「ヤマタノオロチ」を退治して、人間界で英雄的存在となるのです。
「ロキ」は「北欧神話」に登場するキャラクターです。「巨人族」の出身で、主神オーディンと義兄弟になったためアース神族の住むアースガルズで暮らしていました。
ロキは、嘘つきでとても狡猾な神でした。「北欧神話」のクライマックス「世界終末の日(ラグナレク)」で、巨人族を率いてアース神族と闘うことになります。よって「反逆者」というイメージが「ロキ」にはあります。
ですが、神「トール」のハンマーが巨人族に盗まれた時に、ロキの知恵によって、ハンマーを取り返すことができました。ロキにも、困った誰かを助ける「英雄性」があるのです。
『北欧神話物語』を書いた英国の作家K.クロスリィ・ホランドは、ロキについてこう書いています。
「彼はダイナミックで何をやるか予想がつかず、そのせいで多くの神話の触媒者であり、神話全体の中でも最も魅惑的な人物だ。ロキの挑発的で不安定な欠点をもった姿なしには、固定した事物の秩序には変化が生じえず、活発な鼓動もなく、またラグナレクもないことになる。」
『北欧神話物語』(青土社 キーヴィン クロスリイ・ホランド )
ギリシア神話に出てくる「ヘルメス」は、神々の王「ゼウス」の息子です。
「ヘルメス」は、生まれてすぐ、予言の神「アポロン」の牛を山に隠してしまいます。この悪事は「ゼウス」の知るところとなり、「ヘルメス」は「アポロン」に牛を返すことになります。
「アポロン」と一緒に牛の隠し場所に向かう途中で、「ヘルメス」は竪琴をつまびきます。この琴は、「亀の甲」と「牛の腸のすじ」から創った「ヘルメス」の発明品です。
「アポロン」は、この竪琴が欲しくなり、牛と交換することします。「ヘルメス」は悪知恵によって結局、牛を手に入れてしまうのです。ちなみに、アポロンは音楽の神様ですが、ヘルメスから手に入れた竪琴を持っているからです。
怪物メドゥーサを退治したペルセウスが履いていた空飛ぶ靴は、ヘルメスがプレゼンとしたものです。
ゼウスは「ヘルメス」の賢さに感心して、使者としての大切にしました。ですので、「ヘルメス」は、ギリシア神話の様々な場面に登場するのです。
文化人類学者「山口昌男」氏は、『道化の民俗学』(岩波現代文庫)で、トリックスター「ヘルメス」の行動特性を7つに整理しています。
- 小にして大、幼にして成熟という相反するものとの合一。
- 盗み、詐術(トリック)による秩序の擾乱。
- 至るところに姿を現す迅速性
- 新しい組み合せによる(亀の甲と牛の腸のすじから琴を発明)未知のものの創出。
- 旅行者、伝令、先達として異なる世界のつなぎをすること。
- 交換という行為によって異質のものの間に伝達(コミュニケーション)を成立させる。
- 常に動くこと、新しい局面を拓くこと、失敗を怖れぬこと、それを笑いに転化させるなどの行為、態度の結合
『道化の民俗学』(山口昌男 岩波現代文庫)p83-84
この7つの特性には、リーダーの条件として登場するワードが多く含まれていますね。「盗み、詐術(トリック)」は別にし、その他は、リーダーの行動特性としてビジネス書に登場してもおかしくないものです。
ヘルメスは「泥棒の神」「使者の案内役」というダークな側面を持ちつつ、「旅人の神」「商業の神」として人々から愛されています。ヘルメスも「善」と「悪」ともいえる相反する資質をもつ「アンビバレント」性が特徴です。
トリックスターは、「狡猾」「粗暴」「悪知恵」「愚かさ」などの特性を備え、決して道徳的に褒められる存在ではありません。でも、その「道化性」ゆえに、境界を越えて幅広く行動するという特性をもち「英雄的偉業」を成し遂げることがあるのです。
よって、物語のキーになるキャラクターとして、新たな局面を切り拓き、ストーリーを前へ前へと進める力をもちます。
この「境界を越える」という行動は、リーダーに求められる資質のひとつであり、リーダーシップと親和性が高い要素です。
ご相談にのってきたリーダーたちは、リーダーシップが開発されていくプロセスにおいて、「境界を越える」行動をとるようになり、行動範囲が拡大していきます。
例えば、部長クラスの管理職が、自部署の利益にこだわって他部署と争うようになると、互いにコミュニケーションがスムーズにいかず「組織の壁」が高くなって、いわゆる「大企業病」に冒されていきます。
ゴーン改革によって再生された「日産」も、稲盛和夫さんによって蘇った「日本航空」も、改革以前は、リーダーたちが「境界の内」に閉じこもる、典型的な大企業病だったのです。
リーダーが、他部署の利益・都合を考えながら行動し、コミュニケーションを密にとれるようになれば、大企業病は防げると言えます。これはリーダーの「境界を越える意識」にかかっています。
組織においてリーダーが「越境性」の高い意識を持てば、「部分最適」ではなく「全体最適」を図るようになり、経営者意識をもったワンランク上のリーダーになることができます。
「越境性」は「トリックスター」の行動特性を意識することで高まるものであり、リーダーシップ力を高めるポイントになります。
さて、詳しくは、拙著『バカと笑われるリーダーが最後に勝つ トリックスター・リーダーシップ 』(松山淳 SB新書)を読んでいただけたら嬉しい限りですが、トリックスター・リーダーシップの定義を、ここに記します。
この定義は、山口昌男氏のトリックスターの行動特性のエッセンスを凝縮して、キーワード化してから、文章にしたものです。トリックスター・リーダーシップの行動特性として5つのキーワードを私は設定しました。
- アンビバレント(両義性) 矛盾する「強み」を自分の中でに持っている
- 創造的破壊 新たな何かを創り出すために壊す役割を自覚している
- したたかさ 小さなプライドを捨てて、バカのふりができる
- 異なる世界をつなぐ 組織の内と外を境界を越えて動ける。
- 転化と統合 失敗を笑いに変えることができる
トリックスター・リーダーシップを考えついたのは、私が行っているリーダー研修や個人セッションで日頃感じていたことが、ベースになっていますが、これには「原点」があります。
私はサラリーマン時代、まだ20代の頃、あるプロジェクトに組み込まれ、社外の組織改革やサービス開発を担当したリーダーたちに会って、集中的にヒアリングをした経験があります。インタビュー自体は、私の上司が担当し、私は議事録を取っていました。
その仕事で、某大手企業のCS部門(顧客満足:Customer Satisfaction)のJ部長に会ったことがあります。「CS」という言葉が、まだ日本企業に広く普及していない頃、会社の中で「CS」(顧客満足)の重要性を唱え、ある部門の管理職だったにも関わらず、経営陣を説得してCSをキーワードに組織変革を成功させた人です。本も何冊か書いています。
聞きなれないキーワードを聞けば、経営陣の反応は、多くのケースで「なんだそれは」と、失笑、冷笑されるのが関の山です。変革やイノベーションを導くリーダーたちは、その初動においてほとんどのケースで「笑い者」になります。
ですが、「笑い者」になってでも、自分の成すべきコトに焦点をあてて前へ進み続けるのがリーダーシップです。J部長は、組織の壁を越えて動き回り、冷たい目を向ける社内の人間たちから陰口を叩かれ、それでも動き続けました。その時の心境をこう表現して、高らかに笑いました。
「バカのふりしてやったんですよ」
バカのふりして、組織の中で「愚か者」という評価を引き受け、部署を越えて、境界を越えて動き回るその姿は、まさに「トリックスター」の行動特性です。
英国の偉大な作家チャールズ・ディケンズは、全世界で今なお読み継がれる名作「クリマス・カロル」で、こんな言葉を残しています。
彼はそういう人たちを笑うがままにしておき、
少しも気にかけなかった。
彼はこの世では何事でも善い事なら必ず最初にはだれかしらに
笑われるものだということをちゃんと知っていたし、
またそういう人々は盲目だということを知っていた。
『クリスマス・キャロル』(C・ディケンズ 新潮社)
J部長がこの言葉を知っていたかは定かではありませんが、J部長のリーダーシップは、ディケンズのこの言葉を地で行くものでした。
リーダーシップを発揮して、組織の中で新しいことを始めれば、白い目で見られることも多いです。笑い者になります。そんな時こそ、「笑われてなんぼだ」と、トリックスターの「したたかさ」を発揮して難局を乗り越えていきたいものですね。
「闘う人を笑うより、闘って笑われるリーダーでいたい」
トリックスター・リーダーシップを発揮するためのマインドセットです。
(文:松山淳 イラスト:なのなのな)