スターバックスを世界企業に育てあげたハワード・シュルツは、こう言った。
「企業が草創期の情熱と精神を失わずに大きく成長するには、利益の追求を第一とするのではなく、正しい価値観と人材を基盤とした経営が必要である。その要は真心にほかならない」
『スターバックス成功物語』(ハワード・シュルツ 日経BP社)
このシュルツの言葉を彷彿させる「真心」を何よりも大事したリーダーが日本にいます。1部上場企業イエローハットを一代で築き上げた「トイレの神様」「掃除の神様」と呼ばれる「鍵山秀三郎」氏です。
鍵山さんが、イエローハットの前身となるローヤルを個人創業したのは、28歳になる1961年です。それから15年の時が流れ、売上高51億円になった1976年のこと…。
29億円の取引があった大手2社との取引を中止にしたのです。理由は、執拗なまでの「下請けいじめ」です。過酷な値引き交渉が行われ、社員に無理難題がつきらつけられていました。
「骨までしゃぶられて使い捨てにされる」「社員の心まで蝕まれてしまう」「社員にそんな卑屈な思いをさせてまで、会社を経営しても意味がない」(『やっておいてよかった』PHP研究所)
鍵山さんは、そう考え決断をしました。
51億円の29億円です。周囲から「社長は正気を失ったのか」と反対されました。おまけに、その大手2社からの「嫌がらせ」もありました。クレジット会社とは取引中止となりました。
「でも私は会社の売上を犠牲にしてでも、社員にみじめな思いをさせたくなかったのです」
『やっておいてよかった』(鍵山秀三郎 PHP研究所)p110
周囲からの反対、批判がありながら、創業期の情熱と真心を失わず取引停止の決定は翻しませんでした。
後に、この経営判断の正しかったことがわかります。下請けいじめをした大手2社はもちろんのこと、その2社と取引を続けた同業他社は、現在、1社も残っていないのです。
真心なくして経営なし。大手2社のリーダーは、他の会社を巻き込みながら、雇用を喪失させ、多くの人の人生にダメージを与えました。鍵山さんは、ギリギリのところで雇用を守り、社員の幸福に貢献することができたのです。
『やっておいてよかった』(鍵山秀三郎 PHP研究所) p136
鍵山さんは、1933年、東京に生を受けます。父親は無口で、人様に迷惑をかけることを極度に嫌った人でした。困った人に自らお金を貸す義理人情に厚い人でもありました。鍵山さんの正義感の強さは、きっと父親譲りですね。
太平洋戦争が始まり1945年、東京大空襲がありました。育った家は焼け落ち、全財産を失うことになります。
そこで、両親の故郷である岐阜に疎開。屋根に穴あく牛小屋のような廃屋を借りて住み、自給自足の厳しい生活となりました。
両親はこの家を修理して愚痴ひとつ言わず、毎日、何度も丁寧に掃除をしました。幼い鍵山さんは「どうしてこんなに掃除をするのだろう」と不思議がったそうです。今や「掃除の神様」と、国を越えて尊敬を集める鍵山さんの原点がここにあります。
高校を卒業後、鍵山さんは岐阜県にある中学の代用教員となります。ところが組合運動に必死になって生徒たちをないがしろにする先生たちに幻滅し、辞職します。あてもなく東京に上京。浅草の洋食屋で働いた後、自動車用品を扱う「デトロイト商会」に就職しました。
この会社で鍵山さんは才能を発揮します。米軍キャンプの払い下げ品をトラックで取りに行ったり、ドラム缶積みをしたり、日曜祭日関係なく朝6時から夜中12時、1時まで働きました。会社の掃除も徹底的にやりました。営業マンとして有能で会社の売上を伸ばし続けました。
その働きぶりを認められ27歳の時には、専務取締役に抜擢され高給取りとなります。その頃、結婚もし、間もなく、子どもできました。仕事に不満はなかったのですが、どうしても許せないことがありました。
それは、社長家族が会社のお金を私的に流用することです。
社長の奥さんだけでなく子どもまでが、レジのお金を鷲づかみにして持っていってしまうのです。公私混同を辞めてくれと何度もお願いしましたが、聞き入れてもらえませんでした。社員を道具のように扱う社長の態度も許せませんでした。社長と意見が対立し辞職を決意します。
そうして個人創業したのが「ローヤル」です。
「社名を「ローヤル」としたのは、せめて社名だけでも上品にしたかったからです。たとえ会社は小さくても、「どこまでも王道を貫く会社経営をしよう」という、私の強い思いを込めて命名したのです。
『やっておいてよかった』(鍵山秀三郎 PHP研究所)p63
『凡事徹底』(鍵山秀三郎 致知出版社) p136
「ローヤル」と名を立派にはしましたが、日々、自転車に乗って売り歩く行商です。奥さんと子どもと一緒に町を歩いたこともあります。生活は一転し、極貧の生活。
辞めた「デトロイト商会」の社長がメーカーに圧力をかけ、商品を仕入れることができません。そこで鍵山氏はメーカーの倉庫で埃をかぶる売れ残った商品を譲り受け、自分で売ることにしました。本来は「売れ残り」ですから「売れない」はずですが、鍵山さんはこれを売りました。
「人が見捨てたり、見逃したり、見過ごしたりしているものの中に宝の山があるということです。それから、自分が見捨てたり、見逃したりしている宝の山を他の人が拾っているということです。
『凡事徹底』(鍵山秀三郎 致知出版社) p36-37
人が見捨てた商品を売って売って、ローヤルは会社組織となり従業員を雇い、後にイエローハットと社名を変え大きく成長していくことになります。
1963年、社員数がまだ5、6人だった頃、当時の自動車部品業界は、荒々しい人が多くいました。営業に行くと、「二度とくるな」と水をかけらたり、差し出した名刺を目の前で破り捨てるお客様もいました。そんな風潮でしたから、自然と社員の心も荒んでいきます。
営業から帰ってくると、社内で鞄を投げつけ椅子を蹴り飛ばす姿が見られたそうです。そんな社員の荒んだ心をなんとか癒そうと、鍵山さんは、社内の清掃、トイレ掃除に力を入れました。
鍵山さんがトイレ掃除をしている横で、社員は平気で用を足し、礼も言わなければ手伝おうともしません。銀行の担当者からは嫌味を言われ、某大学の経営学の先生からは「そんなことをしていたら経営が成り立たない。あなたは経営者に向いていない」とバカにされました。
それでも鍵山さんはあきらめることなくトイレ掃除を続けました。
「何度やめようと迷ったかしれません。迷っては戻り、戻っては迷って今日までやってきました。それでも何とか続けてこられたのは、自分がやっていることの価値を見失わなかったからです。
少なくとも、自分が取り組んでいるこの掃除は、心の荒みをなくし、穏やかにすることに役立っている、と確信していたからこそ、「虚しさ」「はかなさ」に負けることなく続けてこられたのだと思います」
『やっておいてよかった』(鍵山秀三郎 PHP研究所)p73
そして10年の歳月が流れた時、初めて社員が手伝ってくれました。10年独りのトイレ掃除。誰でもできるものではありませんね。
『やっておいてよかった』(鍵山秀三郎 PHP研究所)p72
「会社で何が大事かというと、利益より社風をよくすることだと思います。社風が悪い会社で未来永劫よくなった会社はありません。社員といういのは命令や規則、あるいは職務規定によって仕事をするということは絶対にありません」
『凡事徹底』(鍵山秀三郎 致知出版社) p53
社風をよくするために鍵山さんは掃除を続けました。やがて鍵山さんに掃除を学ぼうと、イエローハットには全国から人が集まるようになりました。
そして、経営から第一線を退いた後は、創設した「日本を美しくする会」の活動で、全国各地に赴き掃除の指導しています。「日本を美しくする会」の活動は海外にも広がっています。
広島では警察と連携し暴走族と公園の清掃を行い、それがきっかけで暴走族は解散しました。新宿で清掃活動を行うと犯罪率が低下しました。場が綺麗になると、人の心も綺麗になるのです。
これは、昭和の古臭い話ではありません、私は3年間、大学でリーダーシップの講義を担当した経験があります。14回に渡る講義で様々なリーダーの生き様・哲学を学生に伝えました。授業終了後のレポートを読むと鍵山さんの回は毎年、1位2位を争う反応のよさなのです。文章量がとても多く、質の高いレポートになります。正直、とても驚きました。人として何が大切なのか、その哲学は世代を越えて伝わるのだと痛感しました。
鍵山さんはこう言っています。
「自分の力以上にひとさまに仕事をさせていただけるようになりました。すべてこれは平凡なことを非凡に努力するとうことから始まったことだと思うのです」
『凡事徹底』(鍵山秀三郎 致知出版社) p53
凡事徹底。
この言葉は、今や鍵山さんの代名詞のようになっています。鍵山さんは、この言葉を信じて、ひたすら実践し、大きな企業をつくりあげました。
平凡を継続すると非凡な結果となる。
リーダーシップも「凡事徹底」。難しいことを考えない。ひたすら凡事を丁寧に続けていけば、必ず実るものがあるのです。
『凡事徹底』(鍵山秀三郎 致知出版社) p26-27
(文・イラスト:松山淳)