息子の「熱性けいれん」で感じた命の尊さ

息子の「熱性けいれん」で感じた命の尊さ

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まっつん

 次男(当時6才 幼稚園児)が熱性痙攣(ねっせいけいれん)になり、パニックになった親の体験記です。白目になって気を失った我が子を見て「死んでしまう」と、私はパニックになりました。お医者さん曰く、「熱性けいれんは、小さい子どもに、よくあることなので、心配しなくていい」とのこと…。でも、子どもが気絶する姿を見たら、普通は、パニックになりますよね。

「熱性けいれん」で白目になった次男(6才)

  2011年1月の出来事です。長男(当時11才)の小学校でインフルエンザが流行していました。まず長男がインフルエンザとなり、それが次男(当時6才)にうつり、次に妻が高熱を出し、最後、娘(当時4才)が高熱にうなされました。

家族5人中4人がインフルエンザ

 全員インフルエンザでした。父親の私は「最後の砦」だと気を張っていたせいか、熱を出さずにすんでいました。

 その日、家で仕事をしていました。長男が寝込んでいて、前日まで大きな声を出して家の中を走り回っていた次男が午前中に、熱を出し始めました。

 「インフルエンザは熱が出てから12時間を経過しないと、検査をしても結果がでない」。そうお医者さんから聞いていました。次男の熱は38度ほどでした。「今すぐ検査しても結果が出ないね」。妻は病院に電話をして、午後の時間帯を予約しました。

 私はリビングでパソコンを開き、時々、長男と次男が寝こむ部屋の様子をうかがっていました。

 熱で赤い顔をしている次男に「大丈夫か」と声をかけると、苦しそうに、うなづいきます。リビングでは、その時まだ元気だった娘が退屈そうにおもちゃで遊んでいました。

家族5人中4人がインフルエンザ

 妻の悲鳴が家に響きました。なっ!なんだ!私は音をたてて階段をかけあがり、長男と次男の寝る部屋に入りました。

「おかしいの!おかしいの!」

 妻が、次男のそばに座って叫んでいます。次男の顔を見ると、顔が痙攣(けいれん)していて、何度も目を閉じたり開いたりしています。

 「おい、どうした、大丈夫か、どうした、大丈夫か」

突然、嘔吐!

 私は次男の名前を呼びました。返事はなく、私と目が合いません。どこか遠くを見つめていて、けいれんが止まりません。  
  
 妻は泣き叫び、次男を抱きかかえました。顔はひきつり口から何かが出てきました。妻が近くあったゴミ箱をひきよせると、次男は嘔吐しました。

 私は、痙攣は嘔吐物が喉につまっていたからじゃないかと思い、

 「吐け、吐け、全部吐け、大丈夫だぞ、大丈夫」

 そう叫びながら次男を抱き、背中をさすりました。そのからだは、牛乳にひたした食パンのようにだらりと垂れて力がまったく入りません。吐き終えたところを見計らい、寝かせると、次男は白目になってしまいました。

 (死んでしまう、死んでしまう)

 妻は「病院に電話して、はやく電話して」と、叫び、私は階段を下りて、午後に予約してある病院に電話をすると、「今は診療時間外ですから診ることができないです」と言われ「そんな、大変なんです、大変なんです、顔が痙攣してしまって・・・」と、パニックに陥り、自分でも何を言っているのかわからなくなっていました。 

パニックになりながら救急車を呼ぶ

 病院の人は「もし症状がおさまらないのなら救急車を」と言ったところで「そうですね、救急車ですね、救急車!救急車!」と私は電話を切り、上にあがると、「ごめんね〜、ごめんね〜」と妻が子を抱いて泣いています。

 「おい、救急車だ、救急車、え〜と何番だっけ、何番だっけ」 

 そうなんです。出てこないんです。119が。まさかです。そんな話しをよく聞いて「そんなことのあるのか」と思っていた私、見事にはまりました。
 
  妻が「119でしょ」「そうだよ119だよ119」。

 「119を押そう」と電話の表示版を見ると、すでに119がおされているんです。あれ、だれが押したんだ…と思い、自分で無意識に押していたんです。人間42年間やってきて、生まれて初めて「119」を押しました。

 すぐに電話はつながり、早口で住所を言って(このあたりの記憶が曖昧なのですけれど)電話の相手はしつこく「一軒家ですか、マンションの名前はないんですか」と、聞いてきていたのを覚えています。

 次男は白目になっていて、私は大きな声で子の名前を叫びます。それにしかできないんです。叫ぶしか・・・。何もできなんですね。そのうち電話が鳴りました。

 電話に出ると、「救急車が今出払っていて、すぐに救命の資格をもった消防隊員がゆきます。その後、救急車も向かいますので・・・近くに通っている病院はありまか?」

 「通っている病院って?」なんでそんことを今聞くんだと、思いつつ、おでこに手をあてて、頭を叩き「えーと、えーと、なんだっけ、なんだっけ」と病院の名前が出てきません。結局、答えられませんでした。

最初に来たのは消防車

 そのうち遠くからサイレンが聞こえてきます。私は、ころがり落ちるように階段をおりて、玄関の扉をひらきました。赤いサイレンの回る消防車が1台とまっていて、家の前で、隊員がうろうろしています。

 「こっちです、こっちです!」

 私は、近所中に響く大声をはりあげました。3人だったか、4人だったかヘルメットをかぶった隊員が、どっと家になだれこんできました。

 次男の様子を見て「意識レベル」がどうのこうのと叫びあっています。「今、救急車が、こちらに向かっていますので…」。隊員が早口に説明します。 

 私は「大丈夫なのでしょうか、大丈夫なのでしょうか」と、隊員に、しつこく同じ言葉を投げかけます。このあたりも記憶があまりなく、そうこうするうちに、救急車がやってきました。

 「お父さん、お子さん、運べますか。お父さん!お父さん!」

 そう救急隊員に言われ、「はい、運べます、大丈夫です」と答え、私は子を抱え、階段をおり外に出て、救急車に運び込みました。そこでも「意識レベル」がどうとか「バイタル」がなんとか、救命救急系のドラマで聞いたことのある単語が飛びかっていました。

なかなか出発しない救急車 なんで?

 私は子を運び込んだら、すぐに救急車は病院に向かうと思っていました。そうではないんですね。それから受け入れ先の病院を探すのです。隊員の方が病院に電話して、症状を説明して「受け入れてもらえるでしょうか」と聞いていました。

 子の顔を見ながら、「これが新聞によく書かれていることか」と考えていました。救急車でたらい回しにされて、命を落としてしまう。

 (そんな、早くし欲しい)。

 何年か前にインフルエンザで子を亡くした親御さんのニュース番組をみたことがあって、すっかり忘れていたことが急に思い出されてきます。悪いことばかり思いうかんでくるんです。

 一方で、日夜、救命救急のプロフェッショナルとして多くの人たちの命と対峙している人たちなんだ、この人たちに任せるしかない。そうだ。この人たちを信じるしかないんだ。そう自分に言い聞かせ、「どこでもいいから早く出発してくれ」と、怒鳴り声をあげそうになる自分をおさえつけていました。

 「お父さん、受け入れ先が見つかりました。ただ、入院はできません。ベットが満員だそうです。その際、別の病院へまた移動します。それでよろしいですか、いいですね、いいですね」

 これまたしつこく聞かれ、私が了承すると、救急車はサイレンを鳴らして走り出しました。

私の命はいならない…

 けたたましい音が鳴り響き、右に左に揺れ動く救急車の中で、酸素マスクのようなものを口にあてられ目を閉じている子を見ながら、私、親になって初めて思いました。

 「私の命はいらないから、この子を助けて欲しい」

 本気で、そう思いました。「かわれるものなら、かわりたい」。そう痛切に思いました。

人は祈る

 でも、何もできないんですね。見てるだけです。そうなると、もうあとできることって、何でしょうか。そうなんです。「祈る」だけです。祈るしかできなかった。祈るだけ。

 「お願いです、もし神様がいるなら、この子を助けて欲しい、お願いです。お願いです。私の命はいらない」と。

 そんな祈って命が助かるなら、もっとたくさんの人が助かっているはずですけれど、人は極限の状態で、やっぱり祈るんですね。

 「早く病院に、1秒でも早く」と救急車の進む方向を見ると、都立大駅前の狭い2車線道路の反対車線を走りながら、目黒通りの大きな交差点に進入していくところで、サイレンの音が一層大きくなりました。

 その時、なんてありがたいんだと思いました。車がちゃんと、止まってくれているんです。何台も、何台も、車がどんどん、道路の端によけてくれるんです。さあーっと道が開けていくように見えました。
  
 救急車の中からその光景を見た時に、「なんて優しい人たちが、この国にはいるんだ」と。本当にありがたい、ありがたい…。

 自分が車を運転していて救急車が来た時、「あっ救急車だ」と、道にとまることは、当然やっていましたが、立場が逆転すると、まったく違った感慨になるものです。

「熱性けいれん」は心配ない 

 救急車の中で、次男はだんだんと意識をとりもどしていきました。病院についた時には、「救急」という状態からは抜け出していて、お医者さんも落ち着いたものでした。

 「熱性けいれん、ですね」と、冷めた感じで言われて、私のほうは、ちょっと前まで「死んでしまうかも」と思っていたから、そのギャップに拍子抜けというのか、「本当なのか?」と、信じられませんでした。 

「熱性けいれん」とは

 「熱性けいれん」は、高熱で脳が一時的に麻痺してしまう病気です。幼稚園生はよくあるそうです。女の子より男の子のほうに多く、繰り返す子もいるようですが、小学生になって成長していくと発症することは、ほぼ無くなるとのことです。

 診てくれたお医者さんは、「また何かあったら救急車を呼んで来てください」と言っていました。

熱性けいれん 「日本小児神経学会」
 子どもの脳は熱に敏感で、風邪などの熱でもけいれん発作を起こすことがあります。一般に生後6か月から5歳までに、発熱時(通常は38度以上)に起きるけいれん発作を熱性けいれんと呼びます。
 日本では5%以上の子どもが熱性けいれんを起こし、欧米よりも頻度が高いと言われます。熱性けいれんは熱の上がり際に多く、突然意識がなくなり、白目を向いて、身体をそらせるように硬くしたり、手足をガクガク震わせ、顔色が悪くなります。ただし、体の力が抜けて、ボーッとして意識がなくなるだけの場合もあります。
「日本小児神経学会」サイトより

 詳しくは、「日本小児神経学会」のサイトにありますので、参考になさってください。

「日本小児神経学会」の記述を読むと、まさに、次男の症状通りのことが書かれています。親へのメッセージとして、「子どもがけいれん発作を起こすと保護者の方などもびっくりしますが、大事なことはパニックにならずに落ち着くことです。」と書かれています。

 見事に「パニック」になった私は、なんだか恥ずかしいかぎりです。でも、「5%以上」の確率ですから、それほど多くの親が体験するものでもないのでしょう。

 お医者さんからすれば、「熱性けいれんで、そんなおおげさな」となるのでしょうけれど、突然、けいれんし出して、白目になる我が子を見て、落ち着いていられるのは難しいと思います。

 ちなみに、次男はその翌週には元気になって幼稚園に行ったと記憶しています。2019年時点で、中学3年生ですが、その後「熱性けいれん」は、1度も発症せず成長しました。インフルエンザを何度も経験していますが「熱性けいれん」は出ませんでした。

 もし、お子さんが「熱性けいれん」になって、ご心配でこのサイトにたどり着き読んでいたら、我が子の事実を「安心する材料のひとつ」になさってください。

命は尊い 

 息子の「熱性けいれん」で、パニックになり、当時、ふと思ったのは、

「命は、とても儚(はかな)いもので、だからこそ、尊いもの」

 私は『名もなき人の生きるかたち』(著 松山淳 文芸社)を執筆するにあたって、ある女性にインタビューしました。その女性のお父様は、ある日、急に具合が悪くなり、救急車で病院に運びこまれ、その夜に、亡くなってしまったのです。 

 「こんな簡単に人って死んでしまうんだ」
 
 命のあっけなさに愕然(がくぜん)とした、と言っていました。

 我が子は、「熱性けいれん」でしたので、死に至る確率はほぼなかったのでしょう。でも、「我が子が死んでしまう」と思った時、命はとても儚(はかな)く、何かのきっかけで、あっという間に「こちら側」から「あちら側」へ連れて行かれてしまうものだと実感しました。

 「命は儚い」。だからこそ、なお一層、私たちは、人の命や人を尊重しなくてはいけないのだ、と学びました。

 その時まで、「人はそう簡単には死なないもの」と思っていました。「命の強さ」という視点から「命の尊さ」を倫理観として抱いていました。

 もちろんそうした考え方は、今も完全には消えていないのですけれども、「コペルニクス的転回」といったら大げさですが、

  「命はとても儚(はかな)い、だから尊い」

 そう42歳で、思うようになりました。

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まっつん

 我が家の近くに消防署があります。休みの日など家にいると、救急車のサイレンが鳴り出すのをよく耳にします。救命救急や医療関係者の方々の仕事の尊さに思いを馳せつつ、何かの事故や病で死線をさまよっている人が乗っているなら、どうか無事であるようにと祈りつつ…、何事も起きない、一見つまらなく思える「平凡な日々」ほど「奇跡」なんだと改めて実感します。

「平凡は奇跡」

 そのとことを痛感した、息子の熱性けいれん体験記でした。

(文:松山淳)