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「インスパイア」(inspire)という英単語があります。日本での日常会話では、「海外アーティスにインスパイアされた」「まじで、あの上司にはインスパイアされたよ」と「受身形」で使われることが多いですね。
「インスパイア」を辞書で引くと、こんな意味があります。
鼓舞する、激励する、発奮させる、鼓舞して(…を)させる、鼓舞して〈…する〉気にさせる、霊感を与える、(…を)示唆する
『新英和中辞典』(研究社)
ある部下が「あの上司にはインスパイアされた」といった時には、その上司から「いい影響を受けた」という意味合いが強いでしょう。もし、そう言われたら、リーダー冥利に尽きますね。
リーダーシップとは、社会心理学で「対人影響力」と、ひと言で表現されることがあります。リーダー(上司)がフォロワー(部下)に対して「よい影響を与える」ことで、成果をあげるのがリーダーシップです。
そう考えると、「インスパイア」という英単語は、リーダーシップの役割を凝縮した言葉です。
「リーダー(上司)の仕事は、フォロワー(部下)をインスパイアすること」
「激励、鼓舞、〜する気にさせる」。これらの意味は全て「インスパイア」(inspire)の一語に含まれているのです。上司が、部下を激励し、鼓舞し、やる気にさせたら、それは立派なリーダーシップといえます。
私は日頃、部下をインスパイアできるだろうか?
そう自問自答することは、リーダーとしてのマインドセットを磨く、よい問いかけです。激励したり鼓舞したり…つまり、リーダーとは周囲の人を刺激し続ける存在です。
組織でリーダーというと、多くのケースで、管理職や経営陣を指します。通常ですと、課長より部長のほうが、部長より社長のほうが、つまり、役職の上の人間のほうが権限が大きくなるので、影響力も大きくなります。
そこで、中間管理職(ミドルリーダー)が、部下をインスパイアしようとするならば、「自分の力」にだけ頼るのではなく、上の人間の「影響力」を有効活用しない手はありません。ひとりの力には限界がありますが、誰かの力を借りれば、影響力も大きくなります。
リーダーは、リーダーを上手に使うのが仕事です。
資生堂の末川元社長が、トップリーダーとして「使われた」経験を、日経新聞に書いていました。
『管理職候補の研修を受けた経験のある社員が、「最近の仕事でがんばった研究チームの16人とランチを一緒にとってください」と頼んできた。
そこで研究所の社員食堂で数百円の定食をみんなで食べ、一人ひとりの話を聞いた。それだけでも社員の帰属意識が高まる好循環が生まれる。』
『日経新聞「経営塾」』(2013.2.6付 朝刊)より
末川元社長が頼みやすい気さくな人だったのか、または「ある社員」が物怖じせずトップにお願いできる性格だったのか…実情はわかりませんが、結果として、この「ある社員」は、代表取締役社長を動かすことで、チームメンバーを刺激することに成功しています。
この「ある社員」は「秀吉だな〜」と、ふと思いました。
秀吉のエピソードとして語り継がれる「三日普請」です。「三日普請」とは信長の拠点であった「清洲城」を修繕するお話しです。
ある時、台風が来て、清洲城の塀が壊れます。信長は「普請奉行」に修繕を命じます。ところが、遅々として作業が進みません。そこで話し合いが行われ秀吉が修繕を担当することになります。
秀吉は、工事人たちを鼓舞し、やる気を起こさせるために、次のような工夫をしました。
- 塀の修理箇所を10等分にする
- 作業員も10組にわける
- 1組が1箇所を担当する
- 誰と誰が組むかは作業員に決めさせた
- どこを担当するかはクジ引き
- 作業を最初に終えた組には、信長様より“報奨金”が出ると競争させた
上の施策ばかりでなく、さらに秀吉は「信長を現場に呼んで、激励してもらった」という文献を目にしたことがあります。
秀吉の英雄譚は、創作も含まれるので、恐らく史実とは異なるでしょう。ただ、トップリーダーである信長を、わざわざ工事現場に連れてくるアイデアは、秀吉らしくて「ありえることだな」と感じます。
さて、資生堂末川元社長の逸話と重ねると、次の通りですね。
■「ある社員」─「秀吉」
■「末川社長」─「信長」
資生堂クラスの大企業になれば、本社社員は別として、「社長を見たのは、入社式の時だけで、その後、何年も会ったことはない」という可能性があります。
以前、機種変更のため「ソフトバンクショップ」に行き、店員さん(正社員)と雑談となり、「孫社長に会ったことありますか?」と聞いたことがあります。すると、そんなとんでもない、といった感じで首を横にふり「見たこともないですよ!」と、いっていました。
社長と接することができるか否かは、企業規模によりますが、資生堂であれば、代表取締役社長と直接、話しをすることは、一般社員にとってスペシャルな出来事であり、大きな刺激となる体験だったでしょう。
秀吉が信長を呼んできたように、資生堂の「ある社員」は、社長を上手に活用して、チームメンバーの日頃の苦労を「ねぎらう」ことができたのです。末川社長にインスパイアされた社員もいたことでしょう。
誰かをインスパイアできるか、できないかは、コミュニケーション力に大きく左右されます。コミュニケーション能力が高ければ、それだけ他者をインスパイアできる可能性は高くなります。
経営学者ドラッカーは、コミュニケーションについて、『マネジメント[エッセンシャル版]』(ダイヤモンド社)にて、こう書いています。
「コミュニケーションは、それが受け手の価値観、欲求、目的に合致するとき強力となる。逆に、それらのものに合致しないとき、まったく受けつけられないか抵抗される。
もちろんそれらのものに合致しないときでも、コミュニケーションが力を発揮したときには受け手の心を転向させることができる。受け手の信念、価値観、性格、欲求までも変える。」
リーダーは他者とコミュニケーションをとってリーダーシップを発揮します。つまり、他者をインスパイアしながら成果をあげていくのです。
リーダーにとって部下の成果が、リーダーの成果にもなります。営業課長にとって、営業部のチームメンバー全体の数字が、課長の成果です。だから、リーダは部下を激励したり、鼓舞したりして、その気にさせるわけですね。
ドラッカーがいうように、コミュニケーションが力を発揮し、上手に部下をインスパイアできれば、「信念、価値観、性格」までも変えることができます。
ドラッカーは、上の一文の後に、そのようなケースは「まれである」と書いているのですが、上司から影響を受けて、部下のマインドセット(信念・信条、かちかん)が変化することは、日常的に見られる現象です。
でも、「どうも人とコミュニケーションをとるのが苦手だ」というリーダーもいます。そうした時には、秀吉や資生堂の「ある社員」のように、他人の力をかりましょう。
「社長も役員も毎日顔をあわせているので、刺激になりません」という、笑っていいような、笑えない話しも出てくるかもしれませんが、それなら「社外の人」に目を向けてみましょう。
友人知人、仕事の取引先関係などなど、チームメンバーに刺激を与えられる人はいませんでしょうか。
実は、会社員時代、私を育ててくれた上司が、いろいろな人に会わてくれるリーダーでした。社内で勉強会を定期的に開き、異業種の人から話しを聞く機会をつくる人でした。また、残業していると「松山、まだいるのか、仕事を終わったら顔出せ」と言われ、飲み屋に行くと、普段会えない異業界の社会的地位の高い人や本を書いている人が、目の前に座っていることもありました。
当時、私は20代でまだ若く、残業中に急に呼ばれることに、ブツブツ文句をいっていましたが、「本を書いている人と話しができるとは…」と、驚いたことが何度もあって、まさにインスパイアされる数々の出来事でした。
この時の経験があって、つまり、かつての上司からインスパイアされて、私もまた本を書く人間になれたのだと確信しています。その上司には感謝しかありません。
時は流れ、ある中小企業の社長さんから依頼があって、講演をしたことがあります。講演後、皆さんと雑談となり、20代と思える若手社員が「本を書いている人に初めて生で会いました!」と、興奮しながら目の前に立っていたことがあります。
その言葉を聞き、若き日の自分を思い出しました。リーダー論として、よく次の考え方を目にしたり耳にしたりします。
上の世代から受けた恩は、下の世代に返せ。
上司から受けた恩は、部下に返せ。
リーダーの仕事は、誰かをインスパイアすることです。
その大きな目的は、組織で求められている成果を出すことです。でも、それだけではなく、上の世代から受けた恩を、下の世代に返すことで「恩返し」することも目的のひとつです。
恩人に恩を返すのではなく、他の人に返すことを「恩送り」といいますね。
リーダーとは、誰かをインスパイアすることで「恩送り」できる存在なのです。
(文 松山淳)