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「カリマス」
この言葉が、2000年前後に流行しました。「カリスマシェフ」とか「カリスマ美容師」とか「カリスマ店員」とか、様々な業種で、第一線で活躍する人気ある人たちを「カリスマ◯◯」と名づけて、メディアがはやし立てていました。
この流れで「カリスマリーダー」なんて言葉も、当時、よく目にしました。日本では、ちょうど日産のカルロスゴーン社長が脚光を浴びていて、プロ野球の星野監督など、偉大な業績を上げたリーダーを指してそう表現していました。
「カリスマ」を辞書でひくと、「超自然的、超人間的な力をもつ資質」「天与の非日常的な力」(デジタル大辞泉)とあります。
元は宗教用語で、その意味は「神からの贈り物」です。そこから「超人間的な力で人を惹きつける指導者」のこと「カリスマ」と言うようになりました。数々の奇跡を起こしたと伝えられる「キリスト」はまさに「カリスマ」の代表例でしょう。
この「カリスマ」という言葉をアカデミックの領域で使用した学者がいます。マックス・ウェバーです。彼はドイツの経済学者・社会学者で、「支配の三類型」という論の中で、「カリスマ」という言葉を使っています。ここでいう「支配」とは、ある正当性をもって人や集団、組織を「支配」することです。
②伝統的支配:血統・家系・古来からの伝習・しきたりなど
③カリスマ的支配:個人の超人間的・超自然的資質など
「支配の三類型」については、『権力と支配』(講談社)に詳しく書かれていますので、ご参考までに…。
「支配」というと、現代の日本では、ちょっと言葉が強すぎますね。ここでは「統率」と置き換えてもいいでしょう。集団・組織を「統率」する時のパターンとしてウェバーは3つのパターン(類型)を考え出したのです。
ウェーバーが活躍したのは、1900年前後のことです。日本では明治時代の終わりから大正時代にかけて。この「3類型」は、集団・組織の支配に関する「組織論」のひとつに数えることもできますので、リーダーシップ論の「源流」に位置づけられることもありますよ!
かの権威高きウェーバーによって「カリスマ」が指摘されたことは、後のリーダーシップ論に間違いなく影響を与えています。リーダーに求められる資質として「カリスマ性」が登場するのは、ウェーバーが原点といえます。
でも、どうなんでしょう。
本当にリーダーにカリスマ性は必要なのでしょうか?このあたりの疑問について、ここから考えていきたいと思います。
世の中には、卓越した才能を生まれ持つ「天才」と呼ばれる人がいます。同じように、もともと「カリスマ性」を持った人がいます。でも、それは一部の人たちです。
この一部の人たちの「資質」を取り上げて、「全てのリーダーにカリスマ性が必要だ」とするのは、ちょっと無理がありますよね。カリスマ性をリーダーの条件にあげることは、リーダシップ論を毛嫌いする人を増やす要因になっています。
「リーダーには、超人的ともいえる人を魅了する力があるとよい」
そう言われたら、誰だって「そりゃ、そうだ」と答えるでしょう。でも、と同時に、「そんなの現実には無理だよ」と、言葉を吐き捨てたくなるのです。
私たちはリーダー論に漠然としたイメージを抱いています。「優れたリーダーになる」ことは、「カリスマ的な存在になる」というイメージです。
「わたしはリーダー向きではない」と悩んでいる人にとって、「カリスマ性がなければ優れたリーダーになれない」なんて言葉は、リーダーであることを苦しくするばかりです。これは時に、深刻な問題を招きます。
そこで、結論です。
リーダーにカリスマ性は、必要ない。
カリスマ性がなくてもリーダーは務まります。超人的な人を魅了する力があったら、それはそれでいいですけど、それは一部の人です。カリスマ性がなくても、チームをまとめ、成果をあげている優れたリーダーは、たくさんいます。
「カリスマ性」とは、「リーダーが本来持つべき資質」ではなく、「リーダーがリーダーシップを発揮し、その結果として身につくもの」です。だから、最初から、自分にカリスマ性が「ある」とか「ない」とかで、悩む必要はありません。
それでも「カリスマ」というならば、その語源に注目してみましょう。「カリスマ」の語源は、ギリシャ語の「カリス」。その意味は「恵み」「恩恵」です。
そこで「人に恵みをもたらす」のが、「リーダーの役割」だと考えてみたらどうでしょう。すると、こう言えます。
カリスマ性をもつ人が優れたリーダーになるのではない。
誰かに「恩恵」をもたらす人が、優れたリーダーになるのだ。
カリスマ・リーダーになろうとするより、愚直に、真面目に仕事に取り組みましょう。時に厳しく時に優しく、部下の成長を願って行動していれば、自ずと誰かに「恵みを施す」ことになります。
「カリスマ性があるか、ないか」を問うよりも、「人に恵みを施すことができているか、できていなか」と問うことのほうが、リーダーシップを発揮するうえで大切なことです。
それでは次に、調査によって明らかにされたカリスマ型リーダーとは、対局にある「リーダー像」について書いていきます。
「第五水準のリーダー」
この言葉は、『ビジョナリー・カンパニー2』(日経BP社)で提唱された概念です。作者のジェームズ・C・コリンズ氏は、非常に厳しい基準を設けて、ある時点から飛躍を遂げ、その後15年に渡り業績を維持し続けた企業を調査しました。
厳しい基準をクリアし選ばれたのは、たったの11社でした。その11社は、あまり名の聞かない企業でした。研究者として豊富な経験のあるコリンズ氏でさえ、初めて聞く会社の名前もあったのです。
コリンズ氏は、調査に入る前、「リーダーシップ」という言葉や「リーダーの資質」に飛躍の原因を求めることは避けようと考えていました。
なぜなら「すべの答えはリーダーシップにある」という考え方は「すべての答えは神にある」に等しく、それ以上の深い考察を妨げてしまうからです。11社の業績がよかったのは、「リーダーがよかったからだよ!」という安易な結論に落ち着くことをコリンズ氏は避けようとしていました。
ところが、調査を開始してみると、選ばれた11社の「ビジョナリー・カンパニー」を率いた「リーダー」には、ある共通の特性がみられました。コリンズ氏は、「良い企業を偉大な企業に飛躍させた経営者は全員、おなじ性格を持っていた」(p35)と書いています。その特性が、こちらです。
謙虚さ
調査チームは、まったく予想していなかった結果に驚き、「驚くほどの謙虚さ」という言葉を文中にて使っています。それほど予想外の結果だったのです。カリスマ性ではないのですね。
「 飛躍を指導したリーダーは火星から来たのではないかと思えるほどである。万事に控えめで、物静かで、内気で、恥ずかしがり屋ですらある。個人としての謙虚さと、職業人としての意思の強さという一見矛盾した組み合わせを特徴としている。」
『ビジョナリー・カンパニー2』(ジェームズ・C・コリンズ 日経BP社)p18
「火星から来たのではないか」というのは、ちょっとおおげさにも思えますが、それほどまでに「謙虚」で「物静かな」な、つまり、「カリスマ」とは対局にある人物だったわけです。コリンズ氏の驚きぶりが、この一文からわかります。
「謙虚さ」だけではなく、プラスして「不屈の精神」もあげています。この「不屈の精神」を抜きにすることはできません。「謙虚さ」と「不屈の精神」という一見矛盾した資質を内に秘めたリーダーが、偉大な業績を残していたのです。
コリンズ氏は、調査で明らかになった最高のリーダー像を「第五水準のリーダー」とネーミングしました。
ちなみに、第一水準から第五水準までの定義を全て記すと以下の通りになります。
- 第一水準「有能な個人」
才能、知識、スキル、勤勉さによって生産的な仕事をする - 第二水準「組織に寄与する個人」
組織目標の達成のために自分の能力を発揮し、組織のなかで他の人たちとうまく協力する - 第三水準「有能な管理者」
人と資源を組織化し、決められた目標を効率的に効果的に追及する - 第四水準「有能な経営者」
明確で説得力のあるビジョンへの支持と、ビジョンの実現に向けた努力を生み出し、これまでより高い水準の業績を達成するように刺激を与える - 第五水準「第五水準の経営者」
個人としての謙虚と職業人としての意思の強さという矛盾した性格の組み合わせによって、偉大さを維持できる企業を作り上げる。
ここで「有能な経営者」「第五水準の経営者」と書かれていますが、「経営者」の部分を「リーダー」と置き換えることができます。
第一から第五までの読むと、「プレイヤー」が「マネジャー」となり、そして「リーダー」になるステップを踏んでいっていることがわかります。
第一〜第二水準が「個人」とありますので、これが「プレイヤー」段階です。第三水準が「管理者」ですので「マネジャー」であり、その上の第四、第五水準が「リーダー」といえます。
第四水準の定義を読むと、もうこれで十分に優れたリーダーの条件を満たしているわけですが、飛躍した業績を維持し続けた、さらにその上の卓越したリーダー(第五水準)の特性を導き出したのが、コリンズ氏の大きな業績です。
いかがでしょうか。カリスマ性へのアレルギーが、少し和らいできたのではないかと思います。ここで、さらに情報を追加して、カリスマ・アレルギーを払拭していただけたらと思います。
コリンズ氏の調査は、「ビジョナリー・カンパニー」11社に対して、「そうならなかった企業」を選定し、比較しています。
優れた11社に対する比較対象企業は、つまり、「飛躍を遂げられなかった企業」です。比較対象企業の「リーダー」について調査すると、驚くほど対照的な結果が出ました。
コリンズ氏は、こう書いています。
飛躍を達成した企業はすべて、第五水準の指導者に率いられていた。さらに、比較対象企業は、第五水準の指導者がいない点で一貫していた。
『ビジョナリー・カンパニー2』(ジェームズ・C・コリンズ 日経BP社)p35
コリンズ氏は、比較対象企業の経営者が「極端なまでに「わたし」中心のスタイルをとっているのに対して、」と書き、業績を長期に渡って維持できなかった企業には「カリスマ経営者」と呼ばれるようなマスコミに華々しく登場し、雄弁をふるうタイプのリーダーが存在していたことを指摘しています。
いくつか、それに関する記述をピックアップしてみます。
「胸をはって大声をあげ、相手構わず自分の業績を話そうとする」(P45)
「比較対象企業の三分の二以上では経営者の我が強く欲が深く、この点が会社が没落したり低迷が続く一因になっていた。」(P46)「目をおおいたくなるのは、アイアコッカが表舞台からしりぞいて企業の王座に伴う特権を手放すことがなかなかできなかった点だ。」(P47)
『ビジョナリー・カンパニー2』(ジェームズ・C・コリンズ 日経BP社)
3番目の「アイアコッカ」とは、倒産の危機にあったクライスラー(自動車メーカー)を救い、アメリカ経営史に残る偉業を成し遂げたカリスマ・リーダー「リー・アイアコッカ」のことです。
経営危機に陥ったクライスラーの再建に成功し、世間からその偉業が大きく注目されました。メディアに次から次へと登場し、自伝を書き、自伝は大ベストラーとなり、時代の寵児となって、アイアコッカは、まさに多くの人を魅了するカリスマ・リーダーとなりました。
アイアコッカ個人の「お株」はあがりましたが、在任期間後半のクライスラー株は低迷を続けました。そして、最後の最後まで地位と名誉を捨てきれず、会長職に居座り続け、乗っ取り屋と手を組み、クライスラーを買収しようとすらしました。
アイアコッカが引退してクライスラーは一時的に復活しますが、1998年、ダイムラー・ベンツと合併することになります。表向きは合併となっていますが、実質的には、ダイムラー・ベンツに買収された形です。
リーダーに「私欲は禁物」。古くから言われるリーダーの哲学です。それでも、「晩節を汚す」リーダーは、いつの時代にも登場します。繰り返される歴史です。アイアコッカ氏の事実から学ぶべきことは多いと思います。
そして、コリンズ氏の提唱した「第五水準のリーダー」の「謙虚さ」には、勇気づけられるものがあります。カリスマ性には、「天賦の才」の面がありますが、「謙虚さ」は、後天的に意識すれば身につけられる資質だからです。「第五水準のリーダー」について、こうも書かれています。
「 飛躍を導いた指導者は、並外れた英雄になりたいとはまったく考えていない。胸像が飾られるようになろうとか、畏敬される人物になろうとかはまったく考えていない。一見、ごく普通の人物であり、めったにないほど素晴らしい実績を静かに達成してきた。」
『ビジョナリー・カンパニー2』(ジェームズ・C・コリンズ 日経BP社)p18
「一見、ごく普通の人物」でいいのです。実績を残せるかどうかは、能力と意思が関わってきますが、「カリスマ」にこだわることはありません。
そうした人としての生きる姿勢が、最後の最後、よりよい「リーダーシップ」につながってゆくのです。
であれば、私たち誰もが、リーダーシップを発揮することができます。
(文:松山淳)(イラスト:なのなのな)