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土光敏夫の名言に学ぶリーダーシップ

土光敏夫の名言に学ぶリーダーシップ

土光敏夫のキャリア

 「めざしの土光さん」こと土光敏夫(どこう としお)といえば、昭和の名経営者として、今も、多くの人が尊敬する存在です。

 1億円の赤字を出していた石川島工業(現、IHI)を社長として立て直し、その後、1965年(昭和40年)、当時の東芝社長石坂泰三にお願いされて、東芝の社長に就任します。東芝の経営改革も成功させた功績は大きく、1974年(昭和49年)には第四代経団連会長に就任しています。78歳になる年です。

まっつん
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 その人望と手腕は政財界に轟き、国の行政実態を調査する「第二次臨時行政調査会」(通称:臨調)の会長を務めたのは、85歳になる1981年(昭和56年)。そして、中曽根首相の強い意向で、1983年(昭和58年)に「臨時行政改革推進審議会」(通称:行革審)の会長に就任します。この年、87歳です。

 87歳の人間に、日本の首相が「どうしてもお願いしたい」と依頼した事実を考えてみると、いかに土光さんの存在が、当時の政財界で大きかったか理解できます。

「めざしの土光さん」って?

 さて、冒頭「めざしの土光さん」と書きました。これは、『NHK特集 85歳の執念 行革の顔 土光敏夫』(1982年)で、自宅での夕食シーンが映し出され、メザシをおかずとした、まさに「一汁一菜」だったことから定着したイメージです。

 NHKの取材を土光さんは断ったそうですが、奥様がOKを出してしまい、撮影されることになりました。大企業の社長をした人物なのに、家も食事も極めて質素であり、多くの国民の共感を呼びました。

 贅沢を嫌い、私生活は極めて質素。志を高くもち、80歳を超える高齢になっても、請われれば「私心を捨て」仕事に勤しんだリーダーでした。その高潔な生きる姿を、今も見習おうとする人たちがいるのです。


土光敏夫の座右の銘

 「めざしの土光さん」の座右の銘は、「日々に新た」です。土光さんが晩年に語った内容をまとめた本『日々に新た わが人生を語る』(土光敏夫 PHP研究所)は、タイトルがずばりそれです。

 この本の中で、土光さんはこう述べています。

土光敏夫の名言

「日々に新た」な気持ちで、毎日々々を大切に、全力をあげて生きてきたとだけはいえる。この「日々に新た」というのは、中国の古典『大学』にあるもので、ぼくのもっとも好きな言葉だ。

『日々に新た わが人生を語る』(土光敏夫 PHP研究所)

中国古典『大学』の原文は、次のものです。

苟(まこと)に日に新たに、日日に新たに、又日新たなり。

「きょうの行いはきのうよりも新しくよくなり、明日の行いはきょうよりも新しくよくなるように修養に心がけねばならない。」『中国の古典名言辞典』(講談社学術文庫)

 紀元前、古代中国に、殷(いん)という王朝がありました。この王朝の創始者である湯王(とうおう)は伝説的名君でした。湯王が手水のたらいに、この言葉を刻みこんで、毎日、自分を戒めていたと伝えられています。

 日々、新しく新鮮な気持ちで過ごすことができら、心は健やかで、仕事の能率もあがるというものです。では、土光さんは、「日々に新た」であるために、どんな工夫をしていたのでしょうか。それが次の一文です。

土光敏夫の名言

 現役時代もいろいろ失敗があった。だから家に帰って寝る前に、「きょうも失敗しました。あした頑張りますから」といって、お経をあげながら懺悔するわけだ。それで安眠できるんです。
 ぼくは安眠しないと次の日、動けない。そしてあくる朝起きたら、「きょうはもう少し本気でやりますから…」と手を合わせる。ぼくみたいな凡人が生きていくには、精神の安定が要るわけですよ。

『日々に新た わが人生を語る』(土光敏夫 PHP研究所)

 土光さんは仏教(日蓮宗)を信仰していました。これは親が信仰していて幼い頃から身についていたものだそうです。

まっつん
まっつん

 お経でなくても瞑想をしたりヨガをしたり、何か一日の区切りをつけ心を安定させる習慣があるといいですね。最近は、マインドフルネス瞑想を多くのビジネスリーダーたちが実践しています。1日10分で効果が出ると言われています。朝と夜に、10分、瞑想することでも「日々に新た」を胸に刻むことはできます。

 


リーダーの哲学

 さて、企業経営だけでなく行政を含めて数々の改革を導いてきた土光さんは、どんなリーダー哲学をもっているのでしょうか。リーダーについて、こう述べています。

土光敏夫の名言

 リーダーの条件はなにも頭のいいことではない。先のことは誰もわからない以上、必ず反対の意見はでるもんだ。だけど、自分が「こうだ」と思ったらやってみる。その代わり、間違ったときは責任をとることだ。
 日本じゃ「責任をとる」というと、すぐ「辞表を書く」となるけれど、本当に責任をもつということは、自分が受けもっている仕事を、いかに完全にやるかということだ。

『日々に新た わが人生を語る』(土光敏夫 PHP研究所)

 土光さんは、リーダーの決断について、最後の最後は、自分自身で決断して、責任をとる姿勢を強調します。もちろん、周囲の人から意見は聞くわけですが、最後はリーダーが決めて、仕事を進めるのだといいます。

自分が正しいと思ったことは、やり抜くことですよ。他人がやるからついて歩くということではダメだ」(『日々に新た わが人生を語る』)とも言っています。

 一方で、部下たちに「仕事を任せるときには任せきる」ことも重視しています。

任せるときは任せきる

 1985年茨城県筑波で「国際科学技術博覧会」が開かれました。通称「つくば万博」です。1979年に発足された「つくば万博」準備協会の会長が土光さんでした。部下には、ウシオ電機の創立者である「牛尾治朗」さんがいました。牛尾さんといえば、現在、財界の重鎮です。

 会議が何度も開かれ議論に行き詰ると、その度にメンバーは、「土光会長、どう思われますか」と、意見を求めました。すると、こんな言葉が返ってきたそうです。

土光敏夫の名言

「僕が何か言うと、会長が言ったことなんだからということで、みんな気を遣って採用するだろう。それでは若い人たちでやっている意味がなくなってっしまうじゃないか。僕だって技術屋だから、将来の科学技術に対しては理想も抱負も持っているし、何か言いたいという衝動に駆られるよ。
 だけど僕には何も言わせるな。
 僕の仕事は、この委員会の報告に反対する年寄りたちを箒で掃いて捨てることなんだから…

 このセリフから、土光さんがリーダーとして、「自分の役割」を明確にしていることがわかります。「責任はとるから、好きにやれ」。まさにこのスタンスですね。

 ここでいう「年寄り」とは、官僚や政治家たちのことです。準備委員会でまとめた案を、国に説明するのが土光さんの役割です。ですが、時には、案が通らないこともあって、すると、土光さんはメンバーの前で「僕の力が足りなかったせいだ。こんな結果になったのは自分の不徳だ」と頭を下げたそうです。

 その姿を見た牛尾さんは「ここまで信用され任されると、人間というのは必ず動くものである。信用を裏切るまい、そして期待に応えよう、という思いは何よりのエネルギーとなる」と書いています。

 リーダーシップの源泉は「信頼」だとする説があります。まさに上司と部下、リーダーとフォロワーの信頼関係が強くなるほど、リーダーシップが効果的になるという好例ですね。

まっつん
まっつん

 1979年は、土光さんが83歳になる年です。どれだけ高齢になっても、部下に頭を下げるとは、なんとも謙虚な人柄が偲ばれます。実際には「行革の鬼」とも呼ばれ、会議などでは部下を叱りとばす気性の荒い面がありました。ただ、地位を笠に着て傲慢になることは、自分自身に対して強く戒めていたようです。

 それは石川島重工業を再建する時のエピソードからもわかります。

「謙虚さ」は人望の源

 経営再建のため「石川島重工業」の社長に就任したは1950年(昭和25年)のことです。トップの意思を伝えるために土光さんは社内報「石川島」を作成しました。

『社内報「石川島」は、二十六年一月四日、本社、初出社の日に全社員に配布した。その日早朝、私は正門前に立って、「おめでとう」と言いながら、出社してくる従業員に、「石川島」を手渡した。
 正月早々、社長の私が正門前に立っているものだから、従業員はかなりびっくりしたらしい。が、なかに、びっくりしただけではなく、モジモジしている者もいる。(中略)
 そのオーバーの合い間に、一升ビンがのぞいているのである。正月のこととて、職場でお祝い酒をやろうと、一升ビンを持参して来たが、社長が門の前に立っているので、あわててオーバーの下に隠したのであろう。私は苦笑いしながら、見て見ぬふりをしていた。』

『私の履歴書 土光敏夫』(日本経済新聞社)

 昭和の時代に、企業の社長が自ら門に立って挨拶するのも珍しければ、社内報を手渡しすることなど、驚くべきことです。「重役出勤」という言葉が、言葉通りになされていた時代です。組織で重役は特別な存在であり、社長ともなければ、社員から見たら雲の上の人です。

 その社長が、社員より先に来て、門に立って挨拶をしているのです。社員は驚きつつ、「今度の社長はどこか違うぞ」と、さぞ思ったことでしょう。

 こうした常識外れのことを、謙虚な姿勢でさらりとやってのけるのが、土光さんの人柄であり、人望に結びつく大きな要因です。

 つくば万博の準備協会のメンバーに頭を下げたのは晩年ですが、リーダーとしての謙虚な姿勢は終生、変わらないものであったことが、このエピソードからもうかがい知れます。

 土光さんは、こうも言っています。

土光敏夫の名言

 経営にリスクはつきものだが、それは自分が〝首〟になるリスクではない。そんな私心は捨てなさい。上に立つ者は部下を〝使う〟のではなく、いかに〝活かす〟かを心掛けるべきですよ。そして人をみる〝眼〟を養うことだ。

 この言葉を考えてみると、もしかすると、門に立って出社してくる社員の様子を見て、「人物鑑定」をしていたのかもしれませんね。

土光 敏夫の写真
土光 敏夫

 中曽根首相にお願いされて「行革の鬼」となったのが、87歳になる年でした。享年は91歳です。老衰のため品川区の東芝中央病院で息を引き取ります。

 生活は質素で、人柄も謙虚だった「めざしの土光さん」。

 そんなリーダーの姿を、「古きよき時代の幻」としてしまうのではなく、今を生きる私たちも模範としたいものです。

(文:松山淳)

土光敏夫の名言

人間というものは、いろいろ付き合ってみると、悪いところばかりでなく、いいところがたくさんあるものだ。まったくダメな人間なんていない。こちらが真剣に話をし、対応すれば、相手も同じように対応するものですよ。逆にこちらがウソをいえば見抜かれる。人と人との関係がなにより大切ですよ。

『日々に新た わが人生を語る』(土光敏夫 PHP研究所)


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