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大前研一さんが翻訳した本に『あなたの右脳が全開する!』(トーマス・R・ブレークスリー 訳 大前研一 三笠書房)があります。
この本に、大前さんと作者である発明家ブレークスリーとの対談が収められていて、こんなやりとりがあります。
日本には、京セラの稲盛氏のように、記憶力の優れた人は創造性に欠けるという極端な意見もあります。
その説はある意味で当っていると思います。創造するためには不要な部分や記憶をどんどん大胆に捨てていかなくてはなりません。なんでも覚えてしまうということは、一見、頭が良さそうで実は単純な操作、すなわち記憶の入力と出力をしているにすぎないのです。
ですから、方程式をまる暗記したり、年代を諳んじることのできる人は、疑問そのものを抱きませんし、また必要なときにはそのままの形で出してくる。だから、答えがすぐ出てしまうので、考えるということをしなくなるのです。
ここでの創造とは「新たな何かを生み出す」のことです。
「新しい酒は新しい革袋に盛れ」
その意味は、「新しい思想や内容を表現するには、それに応じた新しい形式が必要だということ」(故事ことわざ辞典)です。
確かに、新しいものを生み出していくためには、古いものを大胆に切り捨てていく力が必要になります。「記憶力のよさ」が、古いものへの固執を生み出すのであれば、それは創造性の足かせになりえます。
「記憶力のよさ」が欠けることで、新しい何かを発明する「創造性」が育まれるなら、それもひとつの個性であり、それはそれでよいことです。
医学博士であり解剖学者である養老孟司さんは、400万部を超える大ベストセラーとなった『バカの壁』(新潮社)の中で、こう述べています。
「何かの能力に秀でている人の場合、別の何かが欠如している、ということは日常生活でもよく見受けられます。これは脳においても同じようです」
『バカの壁』(養老孟司 新潮社)
どんな人にも長所と短所があります。短所に目を向けると「何かが欠けている」と感じられます。その時、長所には意識が向いていません。でも、長所と短所は表裏一体となって互いを支えあっているのです。
つまり、欠けていることで、満たされているものが必ずあるわけです。
ですから、「記憶力が悪ければ、創造性を発揮する」「記憶力が良ければ、創造性を発揮できない」なんて、単純なことではなく、人間には、「長所」もあれば「短所」もあって、それは様々なレベルで互いに入り交じり、その人の個性を形成していると考えるのです。
欠けることで、人はバランスをとっています。
すると、「欠けている」という感覚は、必ずしもネガティブなものではないとわかります。「何かが欠けている」と感じることは、誰もが経験することであり、極端に否定的でないなら、ある意味、その「欠落感」は、健全な感覚といえます。
「人の長所を発見し、長所を伸ばせ」。
そうよく言われます。「長所伸展」という言葉もありますね。
「長所伸展」とは、経営コンサルタントの船井幸雄さんが、自身の経験から導き出したコンサルティングのポリシーです。
「お店や会社の悪いところ(短所)を指摘し、それを直そうとすると、余計に悪くなることが多く、反対に、よいところ(長所)を見つけ出し、それを伸ばそうとすると業績がよくなりました。そこで、船井さんは「長所伸展」をポリシーに、コンサルティングをしていくようになったのです。
「長所伸展」型のマネジメントは、減点主義を止め、加点主義になることです。「ダメ出し」を少なくし、「よい出し」をより多くしていくのです。
欧米では、「弱み」「悪いところ」を見つけて、変革しようとすることを「ネガティブ・アプローチ」と呼びます。反対に、「強み」「良いところ」に着目した変革手法を「ポジティブ・アプローチ」といいます。
船井さんが、若き日に発見した「長所伸展」とは、「ポジティブ・アプローチ」のことですね!
よく考えてみれば、仕事だけでその人の「全人格」をはかることはできません。プラベートではまったく違う優れた才能をもっていることもあります。最終的には、会社という環境の中で、組織の判断基準にのっとり、時にはある上司の主観だけで、人を評価していくわけです。
つまり、人の「部分」だけを見て、私たちはあかたもそれが、その人の全体だと思ってを評価しています。人の「全て」を評価するのは、本当はとても難しいわけですね。
「本来なら人を評価するの難しい」という謙虚な姿勢が、「長所伸展」を実践していく時に役に立ちます。
「優秀な人間はどこの会社にいっても優秀である」と、よく言われますが、ある会社でダメ社員だった人が、転職してから突然、輝きを増すというケースも多く存在します。その原因は、会社という環境が合わなかったケースもあれば、本人が、自分のよさ(長所)に気づけいていなかった場合もあります。
ですので、「何かが欠けている」という感覚にとらわれた時には、欠けたことで満たされている「よさ」(長所)が自分にあるのだと認識し、では「それは何か」を考えてみて、実際に、書き出してみるのです。そして、できれば、書いた内容を誰かと話し合えるといいですね。
これぞまさに「ポジティブ・アプローチ」です!
「欠けているもの」に注がれていた心のエネルギーを「満たされているもの」に振り向けることで、「何かが欠けている」という感覚から生まれる「虚しさ」「やるせなさ」「人生に意味がない」というネガティブな感情・感覚を、少しでも軽減することができます。
次の言葉は、私が運営しているFacebook『リーダーへ贈る人生が輝く言葉』に掲載したものです。参考になさってみてください。
長所と短所は表裏一体。
いい加減だなと怒られる人は、人を許せるいい人かもしれない。
神経質だなと言われる人は、 細やかな気配りのできる
心の繊細な人かもしれない。
のん気過ぎると叱られる人は、
一緒にいると安心できる大らかな人かもしれない。
長所と短所は表裏一体。
長所と短所、どっちも その人にとっての大切な個性。
朝日新聞の『素粒子』というコーナーを約8年間担当した轡田隆史さんの本に『「考える力」をつける本3』(三笠書房)があります。轡田(くつわだ)さんは、この本のなかで自身の「記憶力の悪さ」を嘆いています。
でも、夏目漱石の門下である随筆家「内田百間」の、次の言葉で「記憶力の悪さ」について救われたといいます。
「身になると云う事は忘れないと云う事ではなくて、覚えた事を忘れる、その忘れた後に、身になる、身についたと云う大切なものが残る。忘れた後から学問の本筋は始まるのではないかと自分は思う」
「知らないと云う事と、忘れたと云う事とは大変な違いなのであって知らないと云う事はお話にならない。しかし忘れたという云う事はどうかすると覚えているよりも、もう一段上の境地に到達したものと云われるものであって、(中略)その忘れたあとに何が残っているかと云う事は、言葉を以て簡単に説明できないけれども、何も知らないと云う事ではない。」
『百鬼園先生言行禄』(内田百間 福武文庫)
文章が古めかしいので、ちょっとわかりにくいですが、簡単に言えば、「忘れた後に残っているものが、身についたもの。だから、忘れることも大事だ」ということですね。
「忘れる」というプロセスを通して、人は、自分が身につけた本当に大事なものを理解します。そう考えると「忘れる」ことは、むしろ必要なのことなのです。
だから「記憶力が悪い」という「欠けたもの」を嘆くのではなく、逆に「欠けたもの」を利用するぐらいのつもりで、おおらかに生きていけばいいのです。
人間、完璧な人はいません。凸凹(デコボコ)があって当たり前。
欠けているものがあって、その人の「美しい個性」が輝いているのです。
(文:松山 淳)(イラスト:なのなのな)